選択肢が少ないセレスト兄弟
月の神様のような侯爵様は、下々の私の発した生意気な言葉に対し、あからさまに気分を害したという風の視線で睨んでくださった。
そして私はというと、取り繕わねばならないと考えるよりも、彼から一勝を手にしてやったという勝利感の方が強かった。
私は結局子供であるのだ。
親に愛されないとうじうじ悩み、自分は矮小な人間だからと自分を卑下するばかりの子供であったのだ。
だから私は、父を知らない憐れな子供、フェリクスの立場に立とうとしていたのかもしれない。
だって、侯爵が動かなければ、フェリクスは一生父親を知らない身の上で、彼を父と呼ぶことが叶わないのでしょう?
侯爵は自分が亡くなった後を考えていらして?
フェリクスは息子として父親のお葬式に参列する事も出来ないのよ。
「小生意気な娘よ。跡継ぎ製作を頑張れと言われても残念ながら私には相手がいない。私が相手をこれから探すよりも君達が番った方が早いというだけだ。」
「あら、お子様と恋人がいる噂をお聞きしましたが?」
「噂だ。私に隠し子などいるわけはない。そうであろう?」
「フェリクスは――。」
「認めたらその子は一生隠し子で非嫡出子の存在になるのでは無いのか?」
「未亡人が再婚したら、子供には義理でも父親が出来ますわ。再婚で新たに男の子が生まれましたら、その子が再婚相手の跡継ぎになれますでしょうに。」
「義理の子供は義理のままだ。同じ血を引く弟が全てを手にするのを指を咥えて見つめるだけか?私はそれこそ残酷だと思う。」
「だったら!」
「侯爵として、人の上に立つ者として、ルール違反は出来ない。」
私は膝の上の侯爵が破った書類を見下ろし、本当によく似ている兄弟なんだなって、悲しく思うしか無かった。
ヤスミンも侯爵も、選択肢が二つしかない。
それも、どうしようもない選択肢だ。
ヤスミンは戦場に戻って死ぬか無為に生きるか。
侯爵は、フェリクスを愛していらっしゃるからこそ、フェリクスを嫡子にできないならば隠し子にもしないのだ。
全てかあるいはまったくは無しという考え方しか出来ないなんて。
なんて頑固な人達なのか。
「熊蜂は自分が飛べると信じているからこそ飛べますのに。」
「ルクブルール嬢?」
「一つお聞きしてよろしいですか?」
「私の答えを聞いて、私の気持ちを動かす答えを探そうというのか?」
「いいえ。お聞きしたいだけです。あなたは神様と人間が決めたルール、どちらを大事になさっているのか、と。」
「君は何を?」
「お答えになって。」
私は真っ直ぐに侯爵を見つめた。
これは以前にも経験がある。
子供を亡くしたばかりの夫妻に、私は同じ質問をしたのだ。
あなた方は神様と人間が決めたルールのどちらをお信じなさるのか?
この子が生まれた瞬間に、神様が祝福を与えたはずでは無いのですか?と。
「神だ。生まれたばかりの息子をお召しになった神の方だ。そうだ。神が連れて行った我が子なのに、どうして教会の我が家の墓所に埋葬できないのだ。」
死んだ赤子の父である彼は神を選んだ。
死んだ赤子の母は、我が子は神のもとにあると叫んだ。
だから私は彼らの為に埋葬許可証を偽造した。
「侯爵様。」
侯爵は私の望む答えを知っていた。
だからなのか、私の質問を捻じ曲げた答えを口にした。
「法を司る者が法を破っては示しがつかないのだよ。」
「納得できない法だとしても、ですか?どうして必ず結婚を願い出なければいけませんの?どうして公に認定されなければ結婚した事になりませんの?どうして生まれたばかりの子供が亡くなったら、洗礼を受けていないって理由で教会の墓地に埋葬させてもらえませんの?赤ん坊こそ神様に一番近い聖なるものでは無いですか!」
侯爵は目を細めたが、私に黙れと言わなかった。
だから私は思う事を彼にぶつけていた。
「私はいつも考えます。そんなこと、神様は本当にお考えになったのでしょうか?って。だって、教会を通さなくても神様に祈れるでしょう?神様にさえ正直ならば、神様はお許しになるのでは無いですか?洗礼を受ける前に亡くなった子供の為に私は埋葬許可証を偽造しました。その家族も私も、まだ何の罰も神様から受けてはいませんよ!」
侯爵は鼻で笑った。
それから、彼は私を魔女だと言った。
「今が中世でなくて良かったな。君はいの一番に異端者の烙印を押されて、火あぶりになっていた事だろう。」
「そうですわね。それで侯爵様はその時代の処刑された魔女達全員が本物の魔女だったと思いまして?」
私と侯爵はしばし目を見つめ合い、侯爵の方が溜息と一緒に視線を外した。
そこで私は侯爵に時間を与えようと考え、ゆっくりと紅茶カップを取り上げ、出来うる限り優雅に見えるように口元に運んだ。
まあ、凄いわ。
私の好みを熟知しているエヴァンのお陰で、砂糖の量もミルクの量も私好みの最適どころか、久しぶりに飲んだ薫り高くて最高に美味しい紅茶だわ。
「なぜそこで泣く。」
「申し訳ございません。だって久しぶりのエヴァンの紅茶なんですもの。」
「紅茶ごときで。」
「でも、エヴァンの紅茶ですわ。私は彼が最高の執事だと思います。だから、もし彼が間違って牢屋に入れられるような事になったら、私は絶対に牢屋破りをいたします。」
「ありがとうございます。お嬢様。」
私の目の間に小さな小皿が差し出された。
粉砂糖で雪玉みたいになっている小さな真ん丸の中に、ほろっと口の中で砕けるとても軽いクッキーが入っているという、私の大好きなブールドネージュ。
「すごいわ。でも、あなたを喜ばせないとお菓子が出てこないって、懐かしすぎて涙が止まらなくなりそうよ?エヴァン。」
「申し訳ありません。際限なくお嬢様に甘いものをお出ししてしまいそうな自分をわたくし自身が諫めてもおりますので。」
ぷっ。
侯爵は私とエヴァンのいつものやりとりに吹き出した。
「確かにな。エヴァン奪還についてはそこは同調できる。侯爵を顎で使おうとする執事は初めてだ。」
しかし、続けて彼の口が紡いだものは否定の言葉でしかなかった。
「だがね、これとそれは違う。君が助けた哀れな家族へのものとも違う。昨日ヤスミンに騙されて私が書いた証明書を十二年前のものに偽造する事は、詐欺でしかないのだ。侯爵家の財産を略取する私的行為でしかない。これは同調できるものではない。」
「現在後継者のヤスミンこそお金も爵位も要らないって言っているのだもの、略取にはなりません。大体ヤスミンはお金が無ければ自分で作って来る人です。」
「マルファ。持ち上げすぎだ。俺はお小遣いをもらえれば良いだけの人だよ。」
ヤスミンに振り返ると、壁に寄りかかったままのヤスミンは、私に投げキッスを投げてからニヤリと嬉しそうに笑った。
そして、私と一緒にヤスミンを見返した侯爵は牛のような唸り声を上げた。
「何と言っても、偽造は詐欺だ、犯罪だ。」
まあ、なんと頑固な人だろう。
私は自分の膝の上にある破れた用紙を見下ろしてしばし考え、それから再び侯爵を見返した。
「いいえ。幸せを呼ぶ芸術作品でしかありませんわ。お話も平行線でございますし、そろそろ私はサロンに戻ってもよろしくて?」
ヤスミンが、こら!と私に怒った。




