魔王の采配
数分後、エヴァンは書斎に戻ってきた。
彼の後ろには、彼に案内されたらしきルクブルール伯爵夫妻の姿。
それから、自分達をないがしろにさせてなるものかという風に、夫妻の後ろから続いて姿を現わせたアランとバルバラである。
金の彫像の夫妻は相も変わらずキラキラと輝いてはいたが、どこか埃を被ったような濁りのようなものも感じる彫像となっていた。
召使いがいなくなってしまったから、ね。
私が懐かしく、そして虚しく見つめていると、母が父の手を振り払って真っ直ぐに私達の方へと歩いてきた。
イモーテルに?
いえ、私の方に真っ直ぐに歩いて来たわ!
パシン。
私の頬は軽すぎる音と痛みのない衝撃を受けた。
それでも私は受けた衝撃に軽くよろめき、しかしそんな私をヤスミンは助けもしなかった。
けれども、それは私のせいだ。
私は母の姿を見て、そのまま母の方へと無意識に歩いていたのだから。
私は私の方に母が歩いて来た事で、それだけで嬉しかったのよ!
お母様って抱きつきたかった。
だけど、それは孤児の私には畏れ多い事なのね。
「ああ!あなたはどうしていつもそうなの!どうして、捨てないでママって、その一言が言えないの!どうして母である私を一度も愛してくれないの!」
はひゅって私は息を吸い込んでいた。
いま、いま、たった今、お母様は何を言い出したの?
「どうして私という母を簡単に捨てられるの!あなたは!」
「す、捨てたのはお母様の方じゃないですか!お、お母様だって!どうして私を愛して下さらないの!どうして、私が娘で良かったって一度も言って下さらないの!どうして私を捨てたあの日、私を追いかけて来て下さらなかったの!」
「あなたはいつだって召使いに用意させたどこかの御邸宅で悠々家出暮らしをしていたでしょう!何をなさっているの!どうして今回ばかりはお友達の家に行かなかったのよ!」
「孤児となった私が物乞いの如くお友達の家に行くわけにはいきませんでしょう。私にだってプライドはございますのよ!」
「では出て行かねば良かったでは無いですか!」
「出ていけと詰ったのはあなたでしょう!」
私達は互いに叫び合い、そして抱き合っていた。
これは昔にも経験がある。
バルバラの家から戻ったあの日の事だ。
私は母に勝手に家を出た事を詰られ、私は出ていけと言ったのはお母様だと言い返し、でもなぜか抱き合っていたのだ。
結局、どちらも謝ることはしなかった。
でも、翌日は何もなかったようにして、私達は振舞っていた。
私達はそんな点ではとてもわかり合っていた親子だったかもしれない。
「ディアーヌ!そんな捨て子を!」
「もうお黙りになって!私の代りに責めるのはおよしになって。この子は捨て子でも、私の乳をあげた赤ん坊なんですの!私の娘なんですのよ!ですからもういいのです!」
「お、お母さま!」
私は母親の体に腕を回していた。
そして生まれて初めて、ごめんなさい、と彼女に言っていた。
「し、心配をおかけして、ご、ごめんなさい。」
「いいえ。良いのよ。ファビアンも頑張ったのよ。戻ってきたあなたの為にと、マールブランシュとの婚約は成立させておりますからね。」
え?
私はヤスミンに視線を動かしたが、彼こそ驚いた顔をしていた。
そしてそして、まあ!アランたら!満開の笑みでは無いですか!
えええ?
「では、私のイモーテルとの結婚を認めてくださいますね!」
そうだ、この場はイモーテルの結婚話が先のはずだわ!
私は母ではなく父の方を見返したが、彼は憮然とした表情で腕を組んだ。
「娘をイモーテルと認めれば、私達は実の娘を失ってしまう。妻はただでさえ本当の娘との暮らしを失って来たのだ。結婚などまだ早い。」
「そ、そうよ。私は娘を二人手に入れるの。孤児のマルファは孤児でもマールブランシュとの婚約が決まっていれば、社交界で生きていける。本当の娘のマルファは社交界でデビューさせることで私達の娘だと周知できるの。」
「でも、私はユベールと結婚したいんだ!私の両親はアルバ村のお父ちゃんとお母ちゃんなんだよ!」
イモーテルは美しい顔を真っ赤にして大声を上げた。
そしてその訴えを聞いた私達の両親、父親の方はイモーテルの言葉遣いにあからさまに顔を歪め、母親の方は芝居がかった気絶をしかけた。
私は母を支え、今こそ!という風に大声を上げた。
「目の前の方はアフリア子爵様よ!お父様!お母様!植物学で有名な、あの、アフリア子爵様なのですよ!領地は小さくても、有名なワインの産地として潤っている、我が家のお隣のあのアフリア子爵さまです!すぐのお隣さんですのよ!」
見るからに父はびくっと反応し、母は、それなら、と呟いた。
私は駄目出しのようにして、母の耳元に囁いた。
「イモーテル様が今後子爵夫人として公の場に出るには、お母様の付き添いは絶対だと思いますわ。イモーテル様は社交界の振舞い方をご存じありません。ご教授して下さる方をそれはもう必要とされていらっしゃいますの。」
「ま、まあ!では、結婚してからも私は娘に関われますのね。」
「ええお母様。アフリア子爵様こそ社交に疎くていらっしゃいますもの。」
母はしゃんと胸を張ると、誰もをうっとりさせる笑みを顔に貼り付けた。
それから自分の伴侶に対し、決まりですわよ、と声をかけた。
父は、うむ、と重々しい声を上げた後、ユベールに対して手を差し伸べた。
「結婚を認めよう。ただし持参金は――。」
「そこのマルファ嬢はまだ結婚が成立していない。マールブランシュに用立てたその子の持参金をそのままイモーテル嬢に融通してはどうだろうか?」
静かな声は提案の形をとっていたが、その提案を蹴ってはいけない程の威厳に満ち溢れていた。
それでも、我が父は抵抗を試みた。
「だが、そうしたらマールブランシュとの婚約自体が無くなってしまう。」
ああ、そうか。
男側のマールブランシュから婚約破棄は出来ないが、受け取るはずの持参金をルクブルールから渡されなければ、婚姻を成立させることが出来ないのか。
少し前の侯爵の言葉が思い出された。
「契約への署名は時期を選ぶべきだ。より多くの果実を得たいのであればな。」
なんと、恐ろしい人だろう。
彼は私とアランの婚約も取り消そうとしてくれている?
「マールブランシュとの婚約は流すことはできない!偽物となったマルファは、それなりの婚約者がいなければ単なる孤児になるのですぞ!」
「そんな問題が些細になるほどの大事な話がある。ルクブルール、エヴァンから説明を受けろ。」
ひどい!
自分で説明せずに執事にさせるなんて!
私は侯爵の冷血さを目の当たりにしたとヤスミンを見返したが、彼は面白くなさそうな顔で、いえ、不貞腐れたような顔で侯爵を睨んでいた。
あなたは私とアランが婚約していた方が良いのですものね。
「まさか!」
父のあげた声に私は再び父の方を見れば、エヴァンに耳打ちされたばかりの父は顔を真っ赤に染め上げており、今にも卒中を起こしそうな様子である。
「子供だと!アフリア!撃ち殺してやる!」
「撃ち殺すのは結婚した後に、いつでも、だ。家に戻ることがあれば持参金も引き上げられる。子爵の後継者の孫も一緒だ。より多くの果実を得るための投資だと今回は考えるべきだ。」
残虐なセリフを吐いて衆目の注目を浴びた侯爵は、殆ど無表情だった顔に笑みを浮かべた。
それはもう、世界が滅んだと喜ぶ魔王のようなえげつない笑みだった。
「さあ、結婚申請書を持ってきなさい。私がそれを証明書に変えてやろう。」
誰がこの魔王様に逆らえようか。
イモーテルとユベールはご成婚為された。




