去る者は追いかけて欲しかった
ヤスミンの唇は思っていた以上に柔らかく優しかった。
キスは素敵、いつまでもしていたい。
イモーテルの告白の意味が分かった。
いつまでもしていたいのは、終わりを認めなきゃいけないからだ。
長々と口づけていたら、私は死んでしまう!
ヤスミンに回していた私の両腕、右手だけ外して彼の肩を叩いた。
だって口が塞がって声が出せない!
私の口からヤスミンの唇は外された。
彼は私をけぶったような瞳で見つめ、口元を柔らかく微笑ませた。
「うん?どうした?」
「待って、息が出来ない。息継ぎの時間をちょうだい。」
蕩けた禁断のチョコレートみたいな魔力を持っていた瞳は一瞬で普通の焦げ茶色の瞳に戻り、だけど、彼は心地よい笑い声を響かせながら私を抱き締めた。
「ああ、可愛いよ。ヒヨコはいつも俺の救世主だ。」
「ヤスミン?」
私は彼の褒め言葉?に嬉しくなって彼を抱き締め直そうと腕に力を込めたが、私の腕は簡単に彼の体から剥がされた。
そしてその腕は優しく私の体の上に重ねられた。
まるで生贄の乙女が自分の胸に手を置く様に、ヤスミンは私の腕を胸の上で交互に組み重なるようにしてそっと置いたのだ。
「ヤスミン?」
「すまない。守るはずの俺が君を奪う所だった。いや、奪われようとしたのかな。俺は最近おかしいんだよ。」
「ま、まあ!体の具合が?ああ!だからアルコール抜きのワインばかりなのですね!ああ、働き過ぎですわ!」
ぺち。
痛くは無いが、ヤスミンに額を叩かれた。
「馬に乗る時に飲酒しちゃ駄目だろうが。それから、今夜のワインは、腹に赤ん坊がいる人間を慮ってだ。この馬鹿者。」
私はヤスミンのお腹を触った。
ヤスミンはぎゅうっと目を瞑り、もう一度私の額をぺちりと叩いた。
「もう!お身体の調子がおかしいとおっしゃるから!」
「俺がおかしいのは頭の方だよ。ちくしょう。無駄に笑わせる行動ばかりしやがって。おかげで俺の目は常にお前ばかりを追いかけている。」
自分の額に私の額を叩いた手を当てて、ヤスミンは愚痴を口にしているが、それは私のせいで彼がおかしくなったから?
ヤスミンは私から目を離せない?
私ばかりを目で追っている?
私は嬉しさそのまま身を起こし、ヤスミンに抱きついた。
「って、わあ!」
「だって、あなたが私を好きだって告白ですわよね!」
私は抱きしめ返されたが、その抱きしめ方は、なんとなく、キスをする前の抱きしめ方ではないような気がした。
「ヤスミン?」
彼は天井に顔を向けおり、まるでクジラが潮を吐くようにして、大きくて長い溜息を天井に向かって吐いた。
ふうう。
「ヤスミン。」
私に顔を戻した彼は、私が自分に向けられると嫌だなって思う、素晴らしき父親の顔をしており、やっぱり父親みたいにして私の頭を撫でた。
次には、私をぽいっと放り投げた。
「きゃあ!」
「はい、このままお子さまは寝ましょう。」
布団までまた被せられた。
そしてやっぱり、私が布団から出られないように、彼は布団を押さえた。
「ヤスミン、ったら!」
「だってやばいだろ?やばいんだよ。結婚する気が無い俺が、何の迷いも無く俺の後ろをついてくるお前のために立ち止まりたくなるし戻りたくなる。こうやって自分から引き剥がしても、お前は俺に向かってしがみ付いてくる。やばいんだよ。お前が可愛らしすぎてさ。」
「ま、あ。」
私の頭はそっと撫でられ、私の額にはヤスミンのキスが与えられた。
唇のキスを知っている私は、やっぱり顎を上げてしまったが、今回は唇に彼のキスはおりてこなかった。
ヤスミンの人差し指が唇に当てられただけだ。
「一先ず俺達は立ち止まろう。お前のオープンシーズンを無事に迎えて、それから、ああ、それからのことを考えよう。」
「私のオープンシーズン?」
再び頭を撫でられた。
ジョゼに彼がするようにして。
それから軽く私にウィンクして見せた。
「二週間後、君が社交界デビューをするんだ。後援者はラブレー伯爵夫人。コンラッド伯爵夫人まで虜にしてるなんて凄いよ、君は。とにかく、その面子が君の後ろに控えている場所で、君にとやかく言える人間などいない。着飾って楽しいシーズンを謳歌するんだよ。」
「い、いやよ!」
私は布団から飛び出ようと暴れた。
ヤスミンは私が嫌というとは思っていなかったのか、目を丸くした。
「お前はドレス着るのは好きだろう?」
「ドレスを着るのは好きですけれど、社交界デビューはそんなにしたくありませんわ。イモーテルには伯爵令嬢としてやっていくための箔付けで薦めましたけれど、今の私には不要なものでは無いですか。」
「不要か?今後はラブレー伯爵令嬢を名乗るのに?」
私はハッとなるどころではなかった。
バルバラはそこまでして私を守ろうとしてくれている!そんな畏れ多くもありがたい事なのに、私の頭は彼女の養女となることを拒んでいた。
その代わりとして、私の頭には私の両親だった人達の姿が浮かんだ。
騙していたって私の頬を叩いたお父様。
出て行ってと、私に叫んだお母様。
二人に愛を求めても返って来ない日々の理由に納得し、愛を求める事を諦めることを受け入れたあの日の自分に戻っていた。
「わ、私は何度も振り返ったのよ。何度も。ゆ、郵便馬車に乗った後も、何度、ルクブルール伯爵家の馬車が追いかけて来ないかって、私は馬車の音がするたびに身を捩って外を見返したのかわからないわ。わ、わたしは。」
「マルファ?」
私の目元にヤスミンの優しい指先がそえられて、私の零れだした涙を拭った。
次には布団を捲られて、私は布団から引きずり出されて、ベッドに座るヤスミンの腕の中に納まっていた。
「ヤスミン。私はお父様とお母様を愛していたのよ。」
「そうだな。気付くべきだったよ。お前は最初からルクブルール伯爵家をそれはもう大事にしていたものな。首都にまで行かなかったのは、そういう事だったんだよな。」
「私はお母様とお父様に追いかけて来て欲しかったのだわ。」
「うん、そうだな。そうなんだな。」
ヤスミンの腕は、手は、優しかった。
でもそんな手の優しさこそ私は両親から与えられたかったのだ。
「バルバラの娘にはなれないわ。私はラブレー伯爵令嬢として社交界には出られない。だって、私はルクブルール伯爵令嬢なのですもの。」
「そうだな。わかるよ。すごくわかる。俺もそうだった。あの日の俺も、糞兄貴に追いかけて来て欲しかったんだよな。」
「でも、でも、私は追いかけてきてもらえないって、認めなきゃいけないのよね。与えてくれる優しさを受け入れるべきなのね。ち、違う子になるべきなのね!」
私はぎゅうと抱きしめられた。
私の息が止まってしまうぐらいに、ヤスミンは私を抱き締める腕に力を込めた。
まるで、私に与え与えられなかった両親の愛の代りのようにして、彼は私を強く抱きしめてくれたのだ。
「ヤスミン!」
「確かに、お前が別の子になるのは辛いな。俺はこのお前が好きなんだから。」
「ヤスミン。」
「だからさ、俺達は鬱憤を晴らしに行こうか?」
「え?」
私はヤスミンを見上げた。
彼は私ににやりと口元を歪めて見せると、戦場で戦友に尋ねるようにして私に聞いてくれたのである。
「ルクブルール伯爵夫妻に一発かましにいかないか?」




