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負けず嫌いな人

 私は代替案をヤスミンに差し出したというのに、ヤスミンはそのこと自体が気に入らないという風に私に見返した。


 新たな署名がある今の用紙を十二年前に逆行出来るのよ?

 そんな技術を持っていると言った私に、尊敬どころか見下げるようなその視線は一体何ですの?


「何か?」


「いや。俺の心はお前には絶対に手に入らないなって、思った。それどころかお前は俺の心を奪いたいとか思っていないだろうって気が付いた。」


 ヤスミンは言い捨てると、大きく溜息を吐いて左手で額を支えて、再び大きな溜息をまたこれ見よがしに吐いた。


「どういう意味ですの?」


「あの意固地な糞兄が書くわけ無い。糞頑固なエマはこの十二年前の用紙を見てぐらつくだろうから書いてくれると思ったが、偽造の為と聞いたら絶対に書かない。真っ新な紙にあいつらの署名を貰うよりも、ルーンフェリア王とイストエール王から和平締結の署名を貰う方がきっと楽だね。」


「まあ、まあ!情けない!じゃあ私が貰ってきます!」


「ムカつくな、お前。簡単じゃないんだよ、あの糞兄は!おぎゃあとこの世に生まれてから四十二年間、誰かに頭を下げた事もなければ、謝った事も、人の話も聞いた事が無いやつなんだよ!」


「まあ!」


「今こそ教えてやるがな、フェリクスとエマに大怪我させたオレリーへの報復、あれは俺にお願いしますと頼んでもいないんだぞ。ある日軍務の最中に呼び出されて、これだって、報告書と金貨を手渡されたんだ。ついでに勝手に長期休暇も与えられてな、お前の働きに期待している、できなきゃ帰れ。それだけだ。」


 私はヤスミンの告白に、ヤスミンがアランに意地悪な理由を知った気がした。

 ヤスミンの兄の侯爵様は、馬車から私達にお姿をお見せになっただけという傲慢さがよく似合う、月の神様のような外見だったのである。


 つまり、アランと同じ系統といえる、傲慢で美しき男達って事だ。


 フェリクスが美しい少年なのも頷けた。

 侯爵様は、誰もが憧れ欲しがる殆ど白に近いプラチナブロンドに、バルバラと同じ空を切り取ったような美しい水色の瞳をお持ちだったのだ。

 私の両親だったルクブルール伯爵夫妻も美しいが、それ以上の整い方をした、溜息どころか息を吸う事も忘れて、ただ茫然と呆気にとられるぐらいに美しい方であったのである。


「わかるわ。あの方に懇願なんて似合わないものね。でも、できなきゃ帰れ?あなたはそれで発奮したのね。負けず嫌いですものね。」


 ヤスミンはぷいっと顔を背け、エマは大事な親族だからな、と呟いた。


「エマとフェリクスの大怪我は絶対に許せるものではありませんものね!」


「そこは笑ってくれ。俺は去年まで全く知らなかった。俺の母方の糞じじいは、俺に自分の孫娘の境遇なんか一言も教えてくれなかった。ただでさえ俺と兄の仲違いは知っているだろ?エマがやり捨てされたと知ったら、俺が兄をぶち殺すと考えたんだろう。あの老獪ジジイめ、ちくしょうが!」


「まあ、あなた。それでも悪い伯爵はいなくなったのだから。あ、いえ、あなたのお兄さんでしたわね。」


 そうだ、オレリーは残虐非道かもしれないが、ヤスミンの兄だった。

 そして、侯爵にとっては同じ母による弟なのだわ。

 私はそこで爵位を相続できる相続人の重要要件を思い出した。


 健康であること。

 まともな思考ができること。


 この二つのうちどちらかの要件を満たさないとき、親族から爵位没収の訴えを起こすことが出来るのである。


「あなたは、お兄様を本当は殺す気は無かった。混乱させてまともな思考が出来ないと爵位を奪ったうえで病院に押し込むおつもりだった?」


 彼は乾いた笑い声をあげた。

 少々やけっぱちに聞こえる声だった。


「その通り!だれも一瞬でぽっくり何ぞ願ってはいなかったさ。知っているか?俺が燃やした教会はな、殆ど誘拐に近い状況でクラルティに連れ込まれた少女を、無理矢理結婚させる場所だったんだよ。結婚してしまえば少女への権利は親じゃなく夫に代わる。女房をどんな風に扱っても誰も文句は言えねえ。証明書のサインが何十の偽名を使う同一人物のものでもな。」


「その証明書を燃やすために火をつけたのね。」


 優男風のガルーシの外見を思い出し、私はあの男がきっと自分が主導でそんな事をしていたのだろうと何となく考えた。

 考えて、次にガルーシに会った時には、一生そんな事が哀れな女性達に出来ないようにしてやろうと心に決めた。


「安心しろ。ププリエ伯爵創設の自警団様達が心置きなくガルーシをやっつけた。奴らにはガルーシに奪われた姉妹への鬱憤が有り余っているからな、大いに頑張ってくれたよ。」


「ま、まあああ!では漆を顔に塗ってやる必要は無いのですね!」


「ぷ、怖い子だ。もう奴は大丈夫だ。それで話は戻るが、オレリーはガルーシにそんな事をさせて、その上前で豪遊していたんだ。一年前の俺はあいつに死ぬまで糞みたいな生活をさせてやりたかったが、ああ、お前の絵の威力は凄いな。ベッドから転げ落ちたそのまま、奴は悲鳴を上げて部屋を飛び出し、そのまんま階段落ちして首をぽっきりだ。」


「まあ!」


「お前の新聞で脅えさせた最初の嵐の日に、あるはずのない絵、それもお化けの絵が寝室に飾ってあったと気が付いたら、そりゃ、脅えるか。いやあ、俺も飾りながら、怖くてちびりそうになったもんなあ。」

 

 ヤスミンは軽く私にウィンクして見せた。

 私の作品の数々を、ヤスミンによって殺人のお道具にされていたなんて!


「まあまあ!それでは、やっぱり筆を折らねばですわ!これ以上作品を作り上げたら、あなたを連続殺人犯にしてしまうではありませんか。」


「ハハハ、安心しろ。糞侯爵は腰を抜かしたが死んではいない。」


「まあ!侯爵様も殺そうとあなたはお考えだったの?」


 ヤスミンは目を細めて私を見返し、残虐ヒヨコと呟いた。

 むう!


「勝手に俺に与えた館に勝手にやって来て、俺に与えたくせに鍵を渡さない屋敷を勝手に開けて、情けない叫び声をあげて腰を抜かしただけだよ。俺は何も知らないね。だが、これだけは言っておく。あいつはあの絵を俺から奪いやがった。物凄く気に入ったんだとよ。あのくそったれ!」


「まあ!よく似たご兄弟だこと!ってぷは!」


 私の顔には枕が軽く押し付けられ、そのまま私はベッドに沈められた。

 顔の上の邪魔な枕を取り除いたら、ヤスミンが私に覆いかぶさっていた。

 私の体の上にいるのに、私の体には触れておらず、でも、私は逃げられない。

 私の檻になった彼は、とってもニヤついた顔で私を見下ろしている。


「ヤスミン?」


「では賢いヒヨコちゃん?偉そうな君はそんな奴からどうやってサインをもらうつもりだった?ご教授願いたいものだねえ?」


 小馬鹿にしたようにヤスミンは言い、私はむっとした顔をするどころか、私こそ小馬鹿にしたような視線を彼に返した。


「まああ、そんなの、紙を二枚重ねてしまえばいいだけではないですか。侯爵様、この受注書のこちらとこちらにサインをお願いします。エマ、戦争反対の書名を集めているの。こちらにサインをして頂ける?間抜け男が前線に辿り着いたそこで、終戦のラッパの音を聞かせてあげたいのよ?ってきゃあ!」


 ヤスミンは吹き出すとそのまま、まるで生意気な私への仕返しのようにして私の体の上に落ちて来たのである。

 でも、重いだけで何処も痛いと感じなかったのは、あら、私は彼に抱きしめられているからなのね!

 私をベッドで抱き締めて横たわっている男は、私に見せた事は無い瞳のきらめきと笑みを私に向けていた。


「お前は最高だよ。ただし、俺には二枚重ねの詐欺はするなよ?」


「まあ!あなたも簡単に騙されてしまいますの?」


「生意気ヒヨコめ。俺のサインが欲しかったら真向から挑んで来いってことだよ。」


 え?


 ……!


 え?


 私が驚いている間に私の上からヤスミンは消えさり、気が付けば私はヤスミンによって掛布団を掛けられている所だった。


「お休み、愛しのヒヨコさん。」


 ヤスミンはナイトテーブルのランプを消すと、私の額に口づけた。

 そのまま足音も立てずに、戸口の方へと歩いて行って、姿を消した。


 私は硬直したまま動けなかった。

 だって、真向から挑んで来いって言った人は、私の唇に軽いキスをしたのだもの。


 柔らかな彼の唇の感触。

 ほんの一瞬のふれあいで、私は痺れて硬直しちゃったのだ。


 私にやり込められたと思ったから、私をやり込めようとしたのだろうか?

 彼は物凄い負けず嫌いだもの。


 ほんっっっとに、ろくでなし!



お読み頂きありがとうございます。

本日はお休みなので、もう一話投稿しました。

ブックマークありがとうございます。

とっても励みになります。

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