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悪辣ヒヨコはヤスミンに物申す

「オーギュストの署名がある用紙、これは使えないわよ。」


 私はとっても偉そうにしてヤスミンに言い切った。

 そして、このオーギュストが十二年前に記入した結婚証明書については、偽造という汚れを付けたくないと私は考えている。

 たぶん、エマに渡したら、彼女がまだ彼を愛しているならば、これは一生の宝物になるような気もするのだもの。


 ええそうよ!

 私だったら自分の名前をすぐに書いてから宝物入れに入れるわ、絶対に。


「どういうことだ?」


「教会の印の偽造は完璧に出来るわよ。だからこそ、新規に書かれたエマの署名がいかにもって風に悪目立ちするはずなのよ。インクは時間が経つごとに色が変わるものでしょう?」


 植物のタンニンと酸化鉄を混ぜて作られる没食子もっしょくしインクは耐久性があり、文字が滲まずに羊皮紙であれば半永久的に文字が消えないという利点がある。

 そしてそのインクの性質で、時間の経過とともに、青が黒に変わっていくという色味の変化があるのだ。


 ヤスミンはハッとした顔になるや、自分の両手が翳していた二枚の用紙を再び自分に向けて見直し始めた。

 ベッドサイドテーブルに置かれたランプの灯りの近くへと彼は身を乗り出し、結果として私の膝の上に?いいえ私の胸元で彼の肩が揺らぐ結果となった。


 ああ、チョコレート色の艶やかな髪の毛を撫でてみたい。

 私が行動を起こさないように、私は右手の指先でシーツを掴んで耐えた。


「本当だ。」


 感嘆したような声に私の指先から力が抜け、紙を見つめていた男はゆっくりと身を起こしながら私に笑って、え?

 笑ってから私の額にキスをしてから座り直してしまった。

 びくっとしてしまったのは、嫌だからじゃない。

 それどころか、反射的にキスを強請るように顎が上がったのが悔しい所だ。


「君の言う通りだな。五年前の俺のものと十二年前のオーギュストの奴でも全然違う。ああ、俺は馬鹿野郎だったよ。俺としたことが。」


 え、偽造が出来ないって勘違いした?

 そうよ、ヤスミンはいつもの笑顔をしているけれども、でも、今の目元の笑い皺がなんだか作り物のような硬さを感じません事?


「エマと糞兄には別の手を考えなきゃなのか。」


 以外にもがっかりした声だったけれど、私は自分には代替え案があると彼には言えなかった。

 だって、フェリクスが嫡子に、つまり侯爵の跡取りになって伯爵になってしまうと、ヤスミンは軍に復帰してしまうのだ。

 身軽な風来坊として、彼は前線に旅立ってしまうのよ。


 彼は軽く舌打ちをすると、乱暴に右手で前髪をかき上げた。

 すると、彼の手が乱暴すぎたのか、彼の後ろに撫でつけていた前髪のいくつかが彼の目元に落ちた。

 目元が隠れたことで、私に出会った頃のヤスミンを思い出させた。


 彼は見ず知らずの孤児の私に何をしてくれた?

 何も返せない私に何をしてくれた?

 私は彼を愛していると言いながら、自分の打算ばかりじゃない?


 でもでも、打算でも彼には死地に行かないでほしい。

 そうじゃなくて?

 このまま私に案があることを黙っていれば、侯爵の跡継ぎのままの彼は戦場に戻れない、そうでしょう?


 でも、その事実をヤスミンが知ることなったら?


 彼は博識よ?

 他の贋作師に依頼してしまったらどうなるの?


 私は結局は打算家のろくでなしだ。

 男に気に入られるために振舞うばかりの愚か者だ。

 私はヤスミンに自分の案を伝えるべく口を開いた。


「ええと、ヤスミ――。」


 そこで私の喉が私の思いによって締め付けられた。

 ヤスミンがいなくなる方が嫌だ。

 嫌われたって彼が生きて目の前にいる方がいいじゃないのって。


 私の頬にヤスミンの指先が触れた。

 優しく触れたその指先は私の顔を持ち上げて、なんと、私を上向かせたその人は、とてつもなく優しいまなざしを私に注いでいるではないか。


 思い悩ませちゃってごめんね、そんな微笑だ!

 ヤスミン!


「マルファ、悪かった。忘れてくれ。本当に悪かった。そんなに思いつめさせてさ。大丈夫だよ。エマと迂闊兄には別の方法を考える。もう少しフェリクスには馬鹿兄が本当の父親だと隠しておかねばならないがな。」


「え?」


 そうか、フェリクスには!

 この自分ばっかりの私の馬鹿!


「この大馬鹿者!」


「うわっと。」


 私の頬から優しい指はパッと外れた。

 ついでに慈愛の眼差しを持っていた落ち込んでいたはずの男性も消え、いつもの適当なヤスミンの顔が私を見返していた。

 いつもの視線を受けた途端、なぜか私は凄くホッとした。

 ヤスミンに適当に扱われる方が良かったの?と、脳内で私を責める私の声が煩いが、いいじゃないの。


 だって私が愛したのは、普段の適当なヤスミンなんだもの。


「何だそれは!」


「え?」


 私はブルドックみたいに顔じゅうを皺くちゃにして私を眇め見るヤスミンから目を逸らして、何が起きたのかなって周囲を見回した。

 どうして急に怒ったように声を荒げたの?


「いいからこっち見ろ。良いから聞け。お前が俺を好きっぽいのはわかっていたが、適当な俺だから好きって言われるのは喜ばしいどころか普通に傷つくぞ?さっきは俺の心はいらない骨だけでいいなんて、ジョゼの化身みたいなことを言い出していたしな!俺はお前にとっては便利な家具みたいなもんか?」


「ま、まあ!そういう意味じゃないのはご存じなくせに!」


「そういう意味じゃなくても、適当な男呼ばわりされて喜ぶ男はいないぞ。」


「いやだ!女性の心の呟きを盗み聞いただけじゃなくて、突きつけてくるなんてデリカシーが無さすぎだわ!」


「だったら、駄々洩れの大声で独り言を言うのは止めるんだな!」


 私達は顔を突きつけ合い、少々睨みあった後、同時に顔を背けた。

 だが、その数秒後にクスッと笑い声が聞こえ、私の頭は優しく撫でられた。

 私は背けていた顔を戻し、ヤスミンが私を見返していることで心臓が三回ぐらいジャンプしてしまった。


「凄いよ、お前。ものの数分で俺の心を持って行きそうになった。」


「もう!そうやってすぐに茶化す!私が言いたかったのは、新たな用紙に二人の署名を貰って来てって話よ。同じ日の同じインクで書き込んだ用紙そのものを十二年前に逆戻りさせる偽造をしてしまえばいいの。でもその方法は紙を痛めるから、十二年前の侯爵様の気持ちの籠った用紙は使いたくない。そういうことよ!」


 ヤスミンは、私の代替案だいたいあんに感心するどころか、鼻を鳴らした。

 さも、くだらない案を持ちだした、という風に。

 まあ!なんて失礼なの!

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