君にしか頼めない
エマは思っていたよりも早く私達の所に戻ってきた。
かなり憤慨している様子で息子の腕を掴んで息子を引き摺るようにして戻ってきた彼女は、まず、お帰りと言ったヤスミンに対して、人を殺せそうなひと睨みを浴びせた。
全くヤスミンには効かなかったようだったが。
そして彼女は息子を自分の横に座らせ、物凄く作り物の笑顔を私達に向け、ピクニックの続きをするように無言で脅して来たのである。
そんなエマの気性は、バルバラにはかなりのツボだったようだ。
バルバラは楽しそうな笑い声をあげると、未成年ばかりだからと隠していたらしきワインを持ってくるように召使いに命じたのである。
「嫌な事がある時は飲むに限るのよ。」
「私は飲んだら大蛇みたいになってしまいますけれど、よろしいかしら?」
「おほほ。ここに紳士がいらして?ろくでなししかいないじゃないの!淑女でいる必要は無くてよ!そうじゃなくて?」
バルバラったら酷い、と抗議するよりも、私達は一斉に頷いていた。
ヤスミンはニヤニヤしているし、フェリクスは自分が大人の仲間入りをさせて貰えたと思ったからか、はにかんだ嬉しそうな顔付で済まし込んだ。
ユベールは間抜けと呼ばれるよりはろくでなしの方が良いだろうから、彼に対しては私はどうでも良い。
イモーテルに頷かれて今や傷ついた目をしているようだが、知った事か!
「では、それぞれグラスを受け取って!」
私達の真後ろにはグラスとデキャンタを掲げた召使いたちが大挙しており、私達女性達は歓声を上げながらグラスを受け取った。
だが、やはり、そんな場面でも、抗議したい熱き若者は一人ぐらいいるのだ。
「ああ酷い!僕もデジール側に仕分けたのですか!」
「バカ王子。ここはろくでなしだと言われてにこやかでいる場面だろうが。お前はワインを飲みたくは無いのか?」
「あ、僕はピクニック用の甘いワインはちょっといいかなって。」
「ばか。今日のワインはアフリアの蔵の奴だよ。俺が奴に肩入れを決めたのはな、奴の蔵のワインが辛口で旨いからだよ。」
「いただきます。」
「よし。悪の道にようこそアラン。だがひとつ言っておく。俺達の目の前には、白ワインを減圧蒸留なんかしてアルコールを飛ばした間抜けな大男がいる。」
「イモーテルはまだ十代なのです。デュボア君だって未成年でしょうが!」
お酒を台無しにしたらしいユベールに対し、私達は一斉に大いなるブーイングを浴びせた。
だけど、召使いが持ってきたアルコール無しの白ワインを口に含んだ誰もが、おいしい、と感激してユベールに尊敬の視線を浴びせる結果となったのである。
頬を赤くしているアンナにバルバラにエマを見れば、彼女達のグラスに注がれた物だけはアルコール入りだったみたいだけれど。
「うえ。僕はこんな腐った飲み物は嫌だよ。レモンティーちょうだい。」
「あたしもだよ。腐った大人にはなりたくないもんだね。」
結局、私達は大いに笑って大いに食べた。
ピクニックは楽しく終わった。
ププリエ伯爵のマナーハウスに向かう道のりで、私達が乗る馬車に成人女性達三人が酔いつぶれて転がることになっても、私もイモーテルも、そして御者台に座るソフィとフェリクスも幸せな雰囲気に酔った笑い声をあげていた。
「毎日がこんなだと素敵ね。でも、毎日がこんなだと、私は家に帰れなくなってしまう。畑から雑草を抜いたり、鶏を追いかけて卵を拾ったり、そういう毎日を大変で辛いって思いそうで怖いよ。」
「あなたは本当に偉いのね。あなたは早起きだものね。私も見習わなきゃって思うのですけれど。」
「ヤスミンはあなたを起こさないようにしているから。」
「まああ!」
彼の優しさを知って嬉しくなったが、私がヤスミンとの暮らしが楽しく彼から離れがたいのは、一方的に彼の心遣いがあったからだと思い知った。
私は……、ああ!
何もしないってクラルティのみんなに言われるわけだわ!
「ねえ、イモーテル。ユベールは働き者よね?ユベールとの生活は毎日が大変じゃないの?あなたが彼をどこかの農家の息子だと思っていたぐらい、彼は毎日土塗れな様子だったのでしょう?」
「……うん。だから彼は私が良いのかな。働くから。じゃあ、働けなくなったら、私から興味を失うのかな。マルファみたいな令嬢になったら彼は私を好きじゃ無くなる。でも、だったらって考える自分も嫌なの。だって、お母ちゃんがね、男の言う通りの女になるなって言っていたんだもの。言いたい事を言い合えて初めてお互いを思いやれるんだからって。でも、私は嫌われるのが怖いから、なんでもうんうんて言ってしまって、ユベールとこんなことになっちゃって。」
ぐすりと、大きく鼻をすする音が聞こえ、私は美しすぎるのにこんなにもぐしゃぐしゃに顔を歪めて泣き出した少女に驚いて、驚いたまま引き寄せていた。
彼女は以前私に何て言ってらした?
女の子しかいない所にしか自由に参加させてもらっていなくて、その女の子達からは仲間外れにされていたって言っていたわよね。
「あ、あなたは偉いわ。自分を保とうとしているのね。だからユベールに頑なになりながら、それでも自分を探そうとしているのね!なんて、素晴らしいの!」
私こそ恥ずかしい。
ヤスミンのそばにいたいから、ヤスミンに気に入られたいから、彼に気に入られる為になら何でもしようと決意なんかしていなかった?
「ああ、私は恥ずかしいわ。男の好みの女性になろうとしていた。」
「マルファ?」
「ええ。私は間違っていた。ええ!私はあなたを見習うわ。ねえ、お互いに駄目になりそうな時は教え合いましょう?私達は互いを見つめ合って、互いを高め合って素晴らしき淑女になるの。ええ、男の言いなりになるなと教えて下さったあなたのお母様のように。」
イモーテルは泣き笑いの表情をして見せてから、私の体に腕を回した。
「友達っていいね。」
「本当ね。」
私とイモーテルは馬車の幌から馬車の進む道を眺めた。
整備された小道には、水色や白やピンクの小さな小花が咲き乱れ、まるで幸せを約束する道しるべのようにして続いている。
親友となった私達はきっと同じことを考えただろうし、自分達は幸せになってやろうと同じぐらい決意していただろう。
男の言いなりにならないで、対等な相手として愛し愛されようと。
「意味が分からないわ。」
私はそんな言葉しか言えなかった。
深夜、私の部屋にヤスミンが忍んできたが、私に与えられた部屋の扉に内カギを掛けた男は私に恋を語るどころか、私を奈落の底に落とす言葉を吐いたのだ。
「俺の頼みを聞いてくれたら君の望む何でも君に捧げよう。」
本来ならば天に昇る気持ちになる申し出の言葉だ。
それなのに私が絶望してしまったのは、彼がその言葉を私に差し出す前に、頼みとやらを先に口にしていたからである。
ヤスミンは私をベッドに座らせると自分も横に座り、私の膝の上に二枚の結婚証明書を置いた。
恐る恐る取り上げてみれば、一枚はヤスミンとブランディーヌの結婚証明書。
もう一枚用紙に署名があるが、それはヤスミンの兄であるオーギュスト・セレスト・ド・フォレプロフォンドレのものしかないものだ。
「あの馬鹿はエマを誤解させて逃げられてんだ。エマがここに署名してくれたらな、俺とブランの証明書にある教会のサインと印をここに描いて欲しい。」
ヤスミンの結婚証明書は五年前のものであり、教会のサインと押されている認定印は五年前に全焼した教会のものである。
そして、オーギュストのサイン入りのものは、十二年前の日付と彼のサインしかないという、十二年前の紙切れでしかないものであった。
「ぎ、偽造しろという事ね。十二年前の結婚証明書に仕立てろという事ね?」
「そう。兄が願ったその日付のその日に、エマと兄は結婚していたという事にしたい。俺は糞兄はどうでも、未来あるフェリクスは嫡子にしてやりたいんだ。」
それはフェリクスに伯爵位を差し出すという事!
ヤスミンは本気で戦場に戻る気なのだ!
「マルファ?君の望みは何だって叶えるからさ、頼むよ?」
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六章はこれで終わりになります。
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