社交界はオカルト好き
ルーンフェリアには、かって女傑と呼ばれた人がいた。
王様の愛人だったコートドール夫人であり、美貌はもとより頭脳明晰な彼女は、王様の右腕として政治に関わっていたりもしたそうだ。
そうだ、なのは、私が生まれる前に若くして亡くなった人だからだ。
だから、私は彼女については噂しか知らない。
そして時は流れ、年老いた王の代りに現在は第一王子が摂政として国を治めているのだが、その王子の愛人、エイボン夫人を父がしたようにして社交界に登場させた。
以前だったら愛人でしかない人が公のパーティなどに出席など出来なかったが、王は自分が寵愛するコートドール夫人をパートナーのようにして伴うという前例を作ってしまっていた。
そこで、王子が摂政となって政治に携わるようになると、すぐに自分の父がしたようにして妻ではなく愛人を社交界に連れて来たのである。
社交界のコートドール夫人を覚えている年配者達はコートドール夫人の再来を願い、エイボン夫人を見下げるどころか温かく迎え入れた。
しかしながら、彼女がコートドール夫人の思い出を片端から壊す人でしかなかったのは、全く皮肉な話である。
彼女にはコートドールにあったような機知や教養など全く無く、話題はドレスと宝石、それから自分の美貌自慢に自分の嫌いな人間に対する悪口だけ、という、誰をもうんざりさせるばかりであった。
これは、王子の意趣返しであったかもしれない。
コートドール夫人の存在によって、王妃である彼の母の存在感は社交界には薄く、数年前に亡くなられた時も誰も彼女を思い出せないぐらいだったと聞くのだもの。
そうして事件は起こる。
社交界の女王として振舞い出したエイボン夫人は、してはいけないことを社交界にてしてしまったのである。
「ごきげんよう、ビュオ伯爵令嬢。一日でも早くご婚約がお決まりになるとよろしいと私は願っておりますの。ご結婚されたら、その見苦しい付け黒子を外してくださるのでしょう?付け黒子が化粧の一つなんて、ぶるる、わたくし、貴族様の感性が時々わからなくなりますわ。」
貴族のお遊びの化粧に、付け黒子、というものがあるのは事実だ。
だが、ビュオ伯爵令嬢の口元、唇の右下すぐにある黒子は本物である。
またその黒子は、ただ黒い点ではなく、ぽつんと小さいいぼ状であるために、彼女が常に気にして悩んでいたものでもあったのだ。
彼女は何かをエイボン夫人に言い返すどころか、自分の指先で忌まわしいものという風に黒子を隠した。
そんな彼女に対して、エイボン夫人は意地悪そうに身を乗り出し、囁き声というには大き過ぎる声でさらに当てこすりを続けた。
「あら、でも、殿方とお忍びで遊ばれるなら、付け黒子という変装はとても賢い方法かもしれませんわね。」
「そんな!――わたくしは!そのようなことなど!」
「あら、どうなさったの?私は一般論を述べただけですわよ?」
エイボン夫人はビュオ伯爵令嬢が口元にある大き目の黒子を気にしていた事も、これから令嬢の結婚相手として公表されるのが自分の王子の弟だという事も知っていた。
知っていたからこそ、彼女は攻撃したのである。
エイボンは第一王子の愛人でしかないのだ。
第二王子の婚約者によって自分が社交界から排除されるかもしれない。
きっと彼女はそんな可能性を考えたのだろう。
だが、社交界は噂だけで全てが終わることがあると、エイボンは知っていたのだろうか。
ビュオ伯爵令嬢と第二王子の婚約は発表される事は無く、ビュオ伯爵令嬢は傷ものとして周知され、それなりな爵位のある方からの求婚を得る事は一生叶わないという身の上となったのである。
同じ寄宿舎で学んだ私の先輩であり、誰よりも気高く優しい女性であった。
だから私は復讐を考えた。
エイボンが一番に怖れているのはなにかしら?
きっと、王子の寵愛を失う事、よね?
「驚きましたわ。寄宿舎にいるはずの子が私を訪ねてきて、自分が描いた絵を匿名でエイボン夫人に贈って欲しいと頼んで来るのですもの。」
私の企んだ悪事の成功は、バルバラがいてこそだった。
バルバラが私の悪事の出だしを話しはじめたそこで、私の隣、アランを押しのけて座ってしまった男が吹き出した。
「あれか!」
「ヤスミン!お前は勝手に潜り込んできて、バルバラの話の腰を折るなんて何事だよ!全部知っているらしい王子は静かに黙ってくれているってのに!」
「ソフィ。君は本当に素晴らしい人だよ。だから、僕を王子じゃなくてアランと呼んで欲しいな。友人とはそういうものでしょう?」
ソフィは王子様に手を掴まれて懇願されるという状況になり、今までの太々しさなど消し去った顔でアランを見返した。
「は、はい。アラン。」
頬を染めたソフィはまるで砂糖細工のお人形のようで、こんなに可愛らしくなるなんて!と私こそ驚きだ。
流石、みんなの王子様ですわ!
「おい王子!俺の大事なちびを誑し込むな!」
「ちびだなんて言い方!素晴らしきソフィに失礼ですよ。」
「こいつが素晴らしいのは知っているよ!とりあえず俺のだって自己主張だ!」
「きゃあ!」
まあ!
ソフィが顔を真っ赤にさせて、可愛く叫んだうえで顔を両手で覆うなんて!
でも、私もヤスミンに、俺の大事な、とか、こいつが素晴らしいのは知っている、とか、俺のものだ!なんて言われてみたいですわ!
私なんて悪辣ヒヨコとしか呼ばれないのですもの!
「バルバラ様、マルファ様が持ち込んだ絵とは、一体どういうものでしたの?」
混乱し始めた世界を正すのは、やはり常識的な女性であった。
エマの言葉にバルバラは嬉しそうに口元を微笑ませ、それから内緒話という風に身をかがめながら低い囁き声でエマに答えた。
「幽霊を閉じ込めた絵よ。」
「幽霊?」
バルバラはさらに声を低く低く、それも少々しゃがれた様な声にして、私が描いた絵について語りはじめたのである。
「マルファの描いた絵は美貌で有名なエイボン夫人の肖像画よ。美を誇ったエイボン夫人の肖像画はね、夜になると年老いた醜い姿に変わってしまうの。王子がエイボンへの愛を覚ましてしまうぐらい、とても恐ろしい絵ですのよ。」
「まあ!絵にそんなことが起こせますの?」
「う、ふふ。だから幽霊を絵に閉じ込めたって噂になっているのよ。誰も知らない天才画家が自らの命をそこに閉じ込めて、エイボンに不幸の呪いをかけた、というね。」
「まあ!で、でも、マルファ様は生きて……。」
バルバラは今までこの話を、きっと何人にも騙って来たのだろう。
さらに芝居がかった風にして声を潜めた。
「ええ、ご存じの通り天才画家は存命よ。幽霊を絵の具でもってキャンバスに封印できる魔術を持っているだけ。」
エマは驚いた顔をして一瞬だけ固まり、その後は私に恐る恐るという風に顔を向けて私を初めて見るような目で見つめた。
イモーテルなどは、本気で脅えた顔をしているではないですか。
彼女は私と目が合うと、きゃっと小さな悲鳴を上げて、無意識だろうがユベールに身を寄せてしまった。
ユベールは自分の左腕のシャツの布地をそっと掴む細い指に、とてつもなく嬉しそうに目尻を下げ、そのあとすぐになぜか私を睨んだ。
私の大事な女性を脅えさせるのならば、あなたと戦う!
そんな意思が読めそうな視線であった。
むう!




