過去の過ちは追いすがる
「エマ。」
「ソフィ、お疲れ。俺達の話が聞こえただろ?馬車を降りてお菓子を摘まんでおいで。フェリクスを連れてな。」
「で、でも。お友達になったライラの世話もあるからさ。」
「ライラの世話は持ち主のアフリアがする。彼は乗馬するよりも馬の世話の方が好きというお方だ。」
いつの間にかヤスミンが御者台に来ており、私は彼が忘れているものなのかと不安になりながら彼を見守った。
だが、やっぱり杞憂だったらしい。
彼は脅えているフェリクスの頭に手を乗せた。
「バルバラ魔女に壁紙からカーテンから、それからな、召使い全員、総入れ替えされてさ、全くの他所の家になっちまったよ。お前はあそこに行ったら、ヤスミン様の居城って落書きの一つぐらいしろよ?」
「ヤスミン?お屋敷の召使総入れ替えって、あなたがしたの?」
「いや、エマ。言った通りバルバラだよ。屋敷を閉めたオーギュストから俺は鍵も貰っていない。あんな出来事が許せないって、バルバラに言われるがままに館の中身で変えられるところは変える許可を出したのもあいつだ。代替えの早いププリエ称号何ぞ、貰ったところで何の権限も無いんだよ。」
「ヤスミン。あのお屋敷は変わったの?」
ヤスミンの手の中の小さな頭はヤスミンを必死に見上げ、ヤスミンは再び手を動かして小さな子供の頭を撫でた。
「変わっているのかいないのか確認しろ。変わっていなくてムカついたら、そこにしょんべんをかけちまえ。」
「ヤスミンったら。だから侯爵がムカつく下品な弟って言うんだよ。素直に寄宿舎に行けばいいのに、当てつけに軍に入ったろくでなしって言っていたよ。」
ヤスミンはぴたっと動きを止め、エマが慌てて自分の息子の口を押えようと手を伸ばした。
そして、空気をかなり読める可愛いソフィが、自分の友人の失言を誤魔化すがごとく子供っぽい声を上げたのである。
「ほら、フェリクス!お菓子を食べに行こうよ!」
「うん。そうだね。ソフィ!侯爵様から貰うばかりじゃなくて、今日は僕が好きなものを選べるんだね!」
「そうだよ、選びな!フェリクスは貴族のお菓子を食べた事があるのか。いいなあ。よし、あたしは食べまくるぞ!」
「僕も選びまくる!」
ソフィとフェリクスはぴょこんと一緒に御者台を飛び下りると、子供らしい勢いで敷物がある場所へと駆け出して行った。
「子供だわ!って、どうなさったの?エマ?」
エマは自分の口元を押さえ、嗚咽を抑えるようなしぐさをしていたのである。
私は息子よりも息子の虐待を目にしたエマの方が傷が深かったのかと、慰められるようにと手を伸ばして彼女の背をそっと撫でた。
すると、彼女は詰めていた息を吐きだし、神様、と呟いた。
「エマ?」
「オーギュストがあの子にお菓子を上げていたなんて!」
「え?おかしなことなんですの?」
「あんな厳格な人が、使用人のあの子にお菓子を上げていたなんて!」
それは彼の息子だからでは無いのかと思わず言いそうになったが、ここでそんな秘密を簡単に口にしてはいけないと言葉を飲み込んだ。
それで当たり障りのない言葉をエマに掛けるにとどめた。
「それだけフェリクスが可愛いいい子だからですわ。さあ、私達も馬車を降りましょう。」
「ええ、ええ。」
エマも自分が何を口走りかけたのか気が付いたようで、私に微笑むと立ち上がり、そそくさという風に急いで馬車を降りて行った。
ヤスミンは私に片目を瞑って見せると、そのまま御車台を離れていった。
私も降りるかと立ち上がると、イモーテルが私の腕を掴んだ。
振り向けば彼女は青白い顔をしているではないか。
彼女が馬車酔いしたのかと身を屈ませれば、彼女は、怖い、と呟いた。
「まあ?恐ろしい何かがあるの?」
「お嬢様。お嬢様が追い出された日は、パーティもすべてお嬢様のお病気という事で取りやめたのです。けれど、ラブレー伯爵夫人は押しかけていらして。」
私はアンナが全てを言う前に何が起きたのか知ってしまった。
私ではないイモーテルを前にして、愛情深いあのバルバラが怒り狂って下さったのに違いない。
私はイモーテルを抱きかかえた。
「あなたこそ可哀想な子羊だったと、絶対にヤスミンは伝えているわ。だからバルバラを心配されなくても大丈夫よ。」
「いえ、お嬢様。イモーテル様は恐らく、ピクニック自体が怖いのだと。」
「まあ!どうしてですの?」
「マールブランシュ侯爵様にだまし討ちの婚約契約をした翌日、お二人を親交させるためにピクニックを計画されていたのです。ですが、お怒りの侯爵様御一家は、朝一番でお帰りになられた上に、召使いの連絡が悪くて、丸一日イモーテル様はピクニック会場で待ちぼうけを受ける事になられたのです。」
「まあ!お可哀想に!それで、お一人でって、いいえ。聞くまでも無いわね。」
ただでさえ騙されたと不満ばかりのマールブランシュ侯爵家の面々が、ルクブルール伯爵夫妻に我慢しきれるはずは無かったであろう。
そうして、本来であれば自分達が矢面に立つはずの伯爵夫妻は、この憐れな少女に全てを被せて逃げてしまったに違いないのだ。
いや、失敗の咎を全部負わせたのだろうか?
「酷いものでしたわ。召使い達も貴方様を失った事での憤懣を抱えていましたから、ルクブルール伯爵様方を失敗の失敗に持ち込もうとしておりました。」
「後で誰か咎を、いいえ!執事のエヴァンはどうなさったの?彼の経歴に泥を塗るも同然の行為でしょうに!」
「彼はとっくに辞めておりました。」
「え?」
「あの日お嬢様が私どもを心配して叫んでくださいましたが、アラン様にルクブルール伯爵家を潰されても大丈夫なんでございますよ。料理人も、女中頭も。辞めた方が良い職があると、一週間しないでほとんどの者が辞めてしまいましたから。侯爵家を迎え入れるその日までに、私と庭師を除いた五十二名の全員が!」
私は生唾をごくりと飲み込んだ。
俺は顔が広いんだよ?
悪魔の囁きそのものだったヤスミンの台詞が思い出され、私は彼に唆されるまま彼に保護された翌日に恩のある全員の名簿を作ったと思い出したのである。
それで、彼はなんとおっしゃっていましたか?
ププリエのマナーハウスの召使い総入れ替え?
「ああ!」
「急に頭をお抱えになって、どうかなさいました?」
「いいえ。続けて。」
「それでイモーテル様はご自分でピクニックのお料理をおつくりになられました。そのお料理の入ったピクニックバスケットと数人の召使いに囲まれたままイモーテル様は何時間も、あの。」
「それで、アンナ。あなたは決意されたのね。この方を連れて館から逃げ出す事を。あなたは本当に優しい人ね。」
「いいえ!私は貴方様の破滅を導いたこの方を憎んでいたのです。ですから、手を差し伸べるよりも苦しむ様を眺めてしまいました。あなたと同じ子供でしかないのに!なんて私は罪深いのでしょう!」
「そうね。でも、もう違うのでしょう。」
私はイモーテルをさらに抱きしめると、彼女に囁いた。
「ピクニックは楽しむところ。もう二度とあなたを傷つけはしない。それにしてもあなたはピクニックのお料理が作れるなんて凄いのね。あなたは凄いの。胸を張ってよろしいのよ?」
イモーテルは震えながら、だが、顔を上げて私を見返した。
この子は強い子だわ、私はイモーテルに微笑んでいた。




