勝負事をしようか?
ヤスミンは私の顔が彼の出現によってあからさまに緩んだことを知ったようで、それはもう嬉しそうに目を輝かした。
そしてそのままの興奮した騒々しい雰囲気で、自分がなぜここにいるのかという種明かしを道化師のようにして叫んだのである。
「ソフィの凄さを聞いてくれ!今日任せたばかりの馬の手綱を上手にとれたばかりか、上手にここまで馬車を動かして来たんだよ!」
「わん!」
あ、今まで私が存在を忘れていた犬が、ヤスミンに一直線に向かっていった。
しかしジョゼはヤスミンの脚の間を通り抜け、彼の後ろ斜め横にいたらしい人物に向かって飛び上って姿を消した。
つまり、ヤスミンの身体で壁となった風景に消えたのだ。
「ジョゼ!そんなにあたしに会えたって喜ばないでよ。ここのみんなもお前を可愛がってくれていたでしょう?」
可愛がろうなんて気が無かったどころか、ジョゼの存在そのものを忘れていてよ、ソフィ。
私はジョゼが自分に懐かない理由を今更に知り、ヤスミンはそんな私の事はよくわかっているという表情を見せながら体を横にして自分の隣にいた人物を私達の視界に出現させた。
「まあ!可愛い!まるで妖精さん。いえ、絵本に出てくる異国のお姫様ですわ!」
私は思わず声を上げていた。
ソフィはいつもの格好では無かった。
上半身はピンク色の飾りがないが袖が大き目のブラウスに紺色の丈の短めのベストを羽織り、下半身はブラウスよりも色の濃いバルーン状のスカートに見えるパンツを履いていたのである。
靴だってベストに合わせた紺色であるのはもちろん、ビーズのあしらいだってあるという、ちっちゃくて可愛いものだった。
「かわいいだろ?最高の御者には最高のお仕着せだ。」
少し大きめの白い仔犬を抱き締めるソフィは、誰が見ても女の子の笑顔で恥ずかしそうに微笑んだ。
日焼けしすぎた体にドレスを羽織って自分には似合わないと思い込ませるよりも、この異国風なコスチュームで自分は可愛い女の子だったと認識させるという事なのね。
ヤスミンの心遣いと、人に一番似合う格好をさせる事が出来る見立ての目は、そこらの人には無い最高のものである。
「ええ。あなたの見立てって素晴らしいわ。いいえ。もともと可愛いソフィがようやく自分の可愛らしさを出すことができたって事なのね。」
まああ!ソフィは真っ赤になって戸口に影に引っ込んでしまったではないか。
「本当に可愛い。」
「だろう?あとは可愛い帽子があれば完璧なんだ。おいポーラ。飾りのない、ちっちゃな奴ぐらいあるだろ?無かったら作ってくれ。紺色のちっちゃい奴。」
ヤスミンが笑顔のままお店の中にずかずかと入ってきた。
あ!
そして途中で足を滑らしたかのようにして急に仰け反ったのである。
「何だ、これは!」
彼は私がバルバラの為に選んだ帽子に対し、指を差してポーラに叫んでいた。
まるで虫の死骸を見つけたように、だなんて、酷すぎます事よ?
「まあ!ヤスミン様、お帽子ですわ。素晴らしい作品だと思われませんか?」
「良い帽子?悪夢がもくもく飛び出しているように見えるこれが?」
「あなたは本気で口が悪いのね。」
私はイモーテルから手を放すと真っ直ぐにヤスミンに向かい合い、ヤスミンに取り上げられる前にそのポーラの大作をポーラに手渡した。
私が選んだこのお帽子の良さに気が付き、彼に取り上げられては適わない。
バルバラを意のままに操れるという、これは魔法の帽子なのだから!
ポーラは私から帽子を手渡されると、その帽子をバルバラに見せつける時用に店の名前がしっかり入った専用の帽子箱の中に片付けた。
ヤスミンは何も言わないわ、これでよし!
帽子をヤスミンから守り切った安堵のままヤスミンを見返せば、彼は思いっ切り眉根を潜めた顔付で私を見下ろしていた。
「あれを買ったのかい?俺の付けで?」
「まあ!高いものですもの。素晴らしき作品の数々をポーラに見せて頂いただけですわ。ご安心なさって。ああ、そうだわ。値段も知らずに先日はお帽子を強請ってしまって申し訳ありませんでしたわね。値段を聞いてびっくりだったの。こんなにお高いもの、あなたがこっそりあのお帽子を返品なさったのも仕方がございませんわ。」
ヤスミンは私に顔を向けたまま、笑ってはいないくせにワハハハと棒読みの笑った声を発した。
それからいつものぐりぐり攻撃を私にしてきたではないか!
「痛!何をなさるの!」
「お前は本気で男を煽るのが上手いよなあ。」
「何のことですの?」
「返品?高くて俺が払えなかったって?どあほうが!帽子の手入れも出来ない奴が、壊れたわってぴーぴー泣くのが面倒だっただけだよ!」
「ピーピー?なんてひどい物言いですの!」
ヤスミンは私から顔を上げると、ポーラに向き直った。
そして部下に命令を下す司令官の様にして、ポーラに言い放ったのである。
「明日からバルバラ領だ。こいつが間抜け帽子を被っても俺の恥にはならん。この間の帽子を今すぐこいつに与えてくれ。」
「ま、まあ!間抜け帽子なんて酷い!あれはとっても素敵なものですわ!」
そこでヤスミンは再び笑い声を発し、帽子屋に集っていた私以外の人達、ミネルパやアンナに私の友人になったばかりのイモーテルに対して、舞台の上の俳優の如く芝居がかった振る舞いで問いかけてきたのだ。
「お集りの皆様。我がヒヨコの悪趣味を、今ここで御開帳いたしましょう。」
「もう!酷い方ね!」
「はい、ひよこちゃん。」
私はポーラから帽子箱を受け取ると、それを恭しい仕草で台の上に置き、貴重な芸術品が納まっているという風にして蓋を開けた。
それから、オークションで素晴らしき美術品を観衆に見せびらかす美術商のようにして恭しく帽子を箱から取り上げたのである。
「御覧なさいましよ!天から授かりし才能による素晴らしき作品を!」
私があの日選んだ帽子は、これから普通に生きていく私が被ってもおかしくは無いだろう色合いのものにした。
焦げ茶色の土台には、真っ黒のチュールレースが飾り立てられ、真っ赤なベリーの実を実らせて白い可憐な花が咲き乱れる蔦が帽子に飾られた大きな鳥の黒い羽にネックレスのように巻き付いている。
そしてそして!ちっちゃな小鳥さんのお人形も一羽乗っているのよ。
「素敵でしょう!ベリーをふんだんに飾ったチョコレートケーキよ!どんな辛いことがあっても毎日が楽しいと思える、チョコレートの夢なのよ!」
私は自慢しながら帽子を頭に乗せて、聴衆に素晴らしいものだと見せつけた。
ところが、ミネルパもイモーテルも呆気にとられた顔をしているだけであり、アンナは無感情な作り物の笑みだけを私に向けているではないか!
ポーラは感動でうち震えているが、彼は制作者だもの当り前よ。
私は誰にも賛同されていない事態に気が付くしかなかった。
ええ?悪趣味、だった?
「あたしの姿を褒めたのは、ヒヨコ、だけだったよね?」
まあなんと!
戸口から顔を出して私を見つめるソフィが、なんとなんと泣きそうな悲しそうな顔付となっているではありませんか。
「ソ、ソフィ?」
私の額はツンと突かれた。
ヤスミンは今にも吹き出しそうな顔を堪えているというもので、だが、ソフィには彼の顔など見えはしない。
ただし、その状況を彼は利用した。
彼は身をかがめるや、私の頬に紳士がするような口づけをしてきたのである。
彼の唇が頬に触れた途端、私はビクンと雷に打たれたようになった。
「君の趣味を疑ってすまなかった。最高だよ、君は!」
当り前だが、ヤスミンの振る舞いによって、当のソフィは見るからに胸を撫でおろして安心したそぶりを見せた。
そしてヤスミンは、私の震えを知っているという眼つきもしていた。
私はヤスミンの脚を踏んづけてやりたい気持ちを抑えながら、それでも挑むようにして貴婦人としての微笑みを彼に返した。
「当り前ですわ。わたくしは流行を作ってきた、マルファ、ですのよ?」
ヤスミンは我慢できないという風にクスリと笑い、私の耳に囁いた。
「そんなヘンテコ帽子が流行るなんて悪夢が起きたら、もう一個君に買ってあげるし、クラルティでかぶっても文句は言わないと約束するよ。」
私はクスクス笑って見せた。
「まあ!賭けですわね!頑張りますわ!」
帽子を流行らせて、私はあなたから帽子を買ってもらう権利を手に入れるわ。
その権利がある限り、あなたと私は繋がっていられるわよね?
お読みいただきありがとうございます。
これで五章は終わりです。
次はようやくラブレー伯爵夫人に会いに行く出立の日となります。
ゆっくりだらだらすいません。




