寒いどころか熱いくらい
私は今日の出来事を思い浮かべながら、ヤスミンが買ってくれたドレスに袖を通した。
さらっとした質感の布は肌を滑るようにして私を覆い、布地が裸の体をなぞることでひやりと感じた。
けれどこれは上等なシルクだ。
冷たいと感じるのは一瞬で、薄い布地ながらすぐにじんわりと体に温もりを与えてくる。
布による温かみで心まで温まるどころか、キラキラ輝く布地に気持ちがフワフワと浮き立ち、私は姿見の前でくるっと一回転して見せた。
まああ!
ハイウエストのドレスは細身に見えるのに、胸の下の切り替えからゆったりと布地を取ってあるからか、くるっと回ると妖精の羽の様に裾が広がっていくわ。
ああ素敵!
ところが、回転した事で夜の冷たい空気が体をなぞり、ひゅっとなった私は自分を抱きしめた。
真夜中に半袖ドレスは、やっぱり寒いわね。
「でも、何かがあった今日だから、ドレスを着たい気持ちなの。」
ふふ、嘘よ、嘘。
実はこのドレスを見つけた日から、私は寝る前に着ては姿見に自分を映してほくそ笑むという行動を何度もしていたのだ。
いいえ。
何かがあった今日だから、今夜は絶対に着たいって気持は本当ね!
ヤスミンが買ってくれたドレスは、襟ぐりは開いているが開き過ぎでもなく、鎖骨が綺麗に見える絶妙のラインであるので上品でもある。
さらに、白ではなく仄かにバニラを感じるクリーム色のシルク地の光沢は、私の顔色を明るく映してもくれるのだ。
君の髪はミルクをたっぷり入れた紅茶のようだ。
ヤスミンが褒めてくれた言葉が脳裏に蘇った。
「もう!きゃあ!自分が可愛いケーキみたいに見えるわ!」
とんとん。
「え?」
寝る前の時間に私の部屋のドアがノックされるなんて。
イモーテル?
アンナ?
「待って。すぐに服を着換えますから!」
ええ!今すぐこのドレスを脱いで、いつものパジャマになりますわ!
そう、パジャマ!
ヤスミンは結局、あの裸を見られちゃった事件のその日のうちに私のパジャマを買ってきて、夜はこれを着るようにと私に言い聞かせてきたのである。
風邪をひいたら大変だからと。
彼は私を本当に大事にして下さるわ。
幼い子供のようにして、ですけれども。
ええ、大事にして下さるのは嬉しいわ、嬉しいのですけれどやっぱり……。
「いいよ。逆にパジャマのままでいてくれた方が良い。」
まあ、こんな夜中にヤスミン?
私は、ええと、ベッドに駆け寄った。
そして、ベッドカバーのシーツを剥ぎ取ると、それを被ってドレス姿の自分を覆い隠した。
「ほんの少しだけ君に話があるんだ。都合が悪いなら――。」
「今行きますって!」
私は部屋のドアに駆け寄ると、急いでドアを開けた。
ノックした人は、ドアの乱暴な開き方に一瞬だけ目を丸くしたが、私を見返したそこでもう一度目を大きく丸くした。
そして私も目を丸くした。
ヤスミンは私に買ってくれたパジャマと同じものを着ており、そのパジャマの上に濃紺のナイトガウンを羽織っているという、夜の紳士、と言って良いお姿だった。
「あなたがパジャマを着ているだなんて!」
ヤスミンは大きくしていた目を眇めると、私を軽く睨んだ。
「君は俺が何着て寝ていると思っていたんだ?」
あの日のシャツを脱いだヤスミンの姿を思い出し、あの日は彼の体を見事だと感心すればこそ全く恥ずかしさも感じなかったのに、どうして思い出して急に恥ずかしくなってしまったの。
私は嫌らしい自分をヤスミンの目から隠したいと、シーツの中に潜り込むようにしてシーツを引き上げた。
「寒いのか?」
急に優しいどころか心配しか無い声を出さないで!
私はさらにさらにシーツで自分を覆い隠した。
「いえ、あの。」
あなたのドレスを着て喜んでいました、なんて誰にも秘密ですの。
だからシーツを被って隠しているのですわ。
「熱でもあるのか?」
私の額に大きな手がそっと触れ、私はその手の温かさにそっと目を瞑った。
このままこの手の中に入っていたい。
「マルファ?具合が悪いのか?医者を呼ぶか?」
ヤスミンのこんなに慌てた声は初めてだわ。
「いえ、大丈夫です。」
私は彼を安心させたくて慌てて顔を上げたが、そのせいで頭から被っていたシーツがふわっと頭から剥がれた。
私の首周りには何もない事を露わにさせた。
シーツが剥がれた事で、パジャマを着ていたらあるはずの襟や布地がないという、私自身の素肌をさらしているのである。
「また裸なのか!」
ヤスミンは裏返った声を上げた。
その声は意外と大きく廊下に意外と響いた。
そこで彼はハッとした顔をすると、廊下の左右を瞬時に確かめた後、なんと自分ではなく私の口を押えて私を抱え込むようにして私の部屋に滑り込んでしまったのである。
それから私の口から手を剥がすやすぐにその手で、なんということ、私の部屋の内カギを掛けてしまったのだ。
カチリと内カギの閉まる金属音が部屋に響き、ヤスミンはそこではっと何かに気が付いた顔をしてから、鍵を閉めた手でもって自分の目元を覆った。
「ああ!思わず!何をやってんだ俺は!」
「ええ本当に。何が目的でしたの?」
「本当にな。」
彼は笑い始め、私を抱き締めたまま、部屋のドアに背中を持たれさせた。
抱きしめられる私は彼の胸に顔をくっつけている状態で、彼の胸越しに彼の笑い声が響いて、それはもう素晴らしいメロディの様に聞こえる。
「寝るな。こんな状況で。」
「だって、温かくて。」
「君は俺をお父さんだと思っているんだろうな。全くヒヨコの刷り込みそのままじゃないか。君が親と思ったそれは腹を空かせたジャッカルかもしれないのに。」
「ジャッカルって。もう!揶揄ってばっかり!」
私はいつものように彼の胸を叩いてしまった。
つまりつまり、私の手は掴んでいたシーツから離れ、するするっとシーツはさらに私の体を滑り落ちていく。
「このばか!」
ヤスミンは慌て声を出して落ちゆくシーツを手繰り寄せ、そのまま体を硬直させてしまった。
「どう……なさったの?」
「君は……裸、じゃない?」
「ああ!」
そうだった。
私はドレス姿を隠していたのだったわ!
そうして私のシーツの理由をすっかり知ってしまった男は、私を揶揄う機会を見つけたからか物凄く悪乗りしてきたのである。
「ちょっと、見せて見ろ!ハハ!なんだこれは!」
私は慌ててシーツを手繰り寄せ、ヤスミンの腕の中から逃げようとした。
しかし、私はヤスミンに引き戻され、再びヤスミンの腕の中だ。
「逃がすか!」
「きゃあ!ま、まま待って!お、お話、そうお話があるんじゃなかったのですの!ってきゃああ!」
ヤスミンが私に噛みつくふりをしながら、左の首筋に鼻を突っ込んできたのだ。
彼の鼻先がほんの少しだけ左耳の耳たぶを掠り、私はその感触にジワリとした。
「ヤスミンさま?」
「お話はお日様のある時にしようか?今は、君の秘密を暴く方が先だ。」
「え、ええ?」
ヤスミンはチョコレートを蕩かせる事が出来る笑みを私に向けながら、左腕で私をしっかりと抱きしめ、右手で私のシーツの端を掴んだ。
「かわいいバニラ風味のお菓子さん。この包み紙を破いていいのかな?」
「ま、まあ!」
ヤスミンはシーツを引き剥がしはしなかった。
わざと掴んだ端を引き上げて私をさらに隠してみせ、そのシーツを掴んだ手の指の人差し指だけ立てて私の頬をなぞった、のである。
ひゅう。
「さあ、可愛いヒヨコ。頂きますと君をむき出しにしちゃうよ?」
「え、ええ、あ、あの。」
シーツの中はドレス姿でしかないのに、シーツを捲られたら終わりと思っちゃうのは何故かしら。
いいえ。
終わると思っているのに、逃げ出したくないと期待しているのは何故かしら?




