私にお任せくださいな
私とヤスミンが帰宅した頃、いくらなんでもアンナもイモーテルも起きているかと思ったが、彼女達はまだ階上の部屋で熟睡しているらしかった。
いいえ、熟睡しているのはイモーテルだけね。
二階に上がって見れば、アンナが困ったような様子でイモーテルの部屋をノックして声をかけているのだから。
「どうなさったの?」
「お嬢様。イモーテル様が。」
アンナも本物の令嬢をマルファと呼ぶのを止めた。
そこは昨日の話し合いで決まったことだ。
淑女見習いをするのはイモーテル。
ルクブルール伯爵家のマルファにはそんな必要は無いでしょう?
「起きて来られないの?」
「起きていらっしゃいますが、お出にならないのですの。」
「そう。」
私はイモーテルの戸口から踵を返すと、階下へと駆け出していき、まだ家を出ていないはずのヤスミンの部屋の扉を叩いていた。
「なんだ?」
出てきた彼は前髪は上げていたが、普通の木綿シャツに汚れても構わないいつものウールパンツという姿であった。
「まああ!脱いでしまったの?乗馬服姿は素敵でしたのに!」
つんと私の額は突かれた。
「もう乗馬は終わりです。俺にお昼寝をさせてください。」
「嘘ばっかり。その格好でまたお出掛けになるのでしょう。お忙しい所申し訳ないのですけれど、あの悪魔時計を弄って下さる?あるいは、大きな音が出る楽器かお道具を貸して頂けるかしら。」
ヤスミンは私が全部を言わなくとも、私が言いたい事を簡単に理解できる。
口元を悪辣に歪ませた。
そして私の耳に囁いたのだ。
「鍋を金属のお玉で叩くと、それはもういい音がするよ。」
「早速試してみますわ。ありがとうございます!」
私はヤスミンの頬にキスをした。
一度してしまえば、二度目は簡単だ。
彼の唇に唇を重ねる事など出来ないが、私の唇が彼の頬を感じる事は出来る。
柔らかく清潔な肌なのに、無駄な髭でチクチクしている彼の頬。
「こら、ヒヨコ。」
「お礼のキスよ。嫌でした?」
ヤスミンは目元を半睨みして、唸ったような声を出した。
「嫌なはずがあるわけ無いだろう。キスだったら唇だろうに!度胸が無いなら男を揶揄う事をするんじゃ無いって言っているんだ。」
私はヤスミンの唇を見つめた。
ヤスミンは私を見つめ返した。
一瞬私達の時間は止まったが、やっぱりヤスミンの方が早かった。
トンと、私の胸元、喉元に近い平べったいそこを押し、私が一歩下がった所で自分の部屋のドアを閉めたのだ。
お遊びはもうお終い。
彼はベッドに連れて行く気が無い女性には誠実。
愛する人のその誠実さを利用しているだけという、なんて卑怯な私。
「くっ。」
零れ始めた涙を右手の甲で拭い、私は台所へと取って返した。
まずは自分でやれること。
歩き続けていれば、きっと私は大丈夫。
「さあ、まずはあのイモーテルを片付けますわよ!」
台所に入り、フライパンとピカピカのお玉を手に取ると、ついさっきヤスミンの部屋での鬱憤の解消をするべくだと自分に言い聞かせた。
そしてそのままイモーテルの部屋の前に戻った。
「ま、まあ、お嬢様!何をなさるおつもりですか?」
「怠け者を起こすの!さあ、起きて!」
がんがんがんがん。
「起きなさい。」
がんがんがんがん。
がんがんがんがん。
「煩い!あたしは農民じゃないんだ!もうお日様と一緒に起きなくてもいいし!眠りたいだけ寝ていていいお貴族様なんだよ。」
ドアは再び乱暴に閉まったが、私が持っているのはフライパンだ。
ドアの隙間にフライパンを差し込んで完全に閉まらないようにした後、ヤスミンには全く敵わない腕力ながら、乗馬で鍛えていた腕はあったはずだとドアに手を掛けて思いっ切り開いた。
「わあ!」
「入りますよ?貴族を誤解されていらっしゃるようですから、お教えして差し上げます事よ!貴族そのいち!使用人全ての目標となるべく、規律正しく!貴族そのに!使用人の自慢となるように、身だしなみに気を付ける!」
私の剣幕に押されたイモーテルは私に脅えた様にして後退り、それでも元々の強さは合ったのか、私を睨みつけて言い返して来た。
「お母様は昼過ぎまで寝ていらっしゃいます!」
「女主人失格だから、私が代わりに采配していたのですわ!」
言い返して、気が付いた。
そうよ、私があの館を切り盛りしていたのよ、と。
ええ、だから母は私に嫌味を言い続けていたのね。
そうすることで私の上に立とうとしていたのだわ!
「あんたなんか!どこの馬の骨かわかんない捨て子の癖に!」
「ルーンフェリアの祖であり英雄オクタヴィアンだって、最初は単なる人でした!妖精の囁きを聞いた彼は、大魔法使いの助力を得て勇者の証を手に入れただけです。この国の祖はどこの馬の骨か分からない人なんです!」
イモーテルは私の言い返しに対して、口をぱくぱくと開け閉めした後、だったら、と呟いたあと、ぐしゃという感じに崩れ落ちて泣き出した。
「イモーテル?」
「じゃあなんであいつはあたしを捨てたんだ。伯爵令嬢になった途端に婚約者だったなんて言って来たんだよ。あたしはあいつが子爵だって知ってから、あいつの家に行ったんだよ?門の中にだってあたしを入れてくれなかった。あたしは、ただの農家の娘でしか無いから!」
「ま、まあ!」
私はベッドの脇に座りこんでしまったイモーテルの脇に座りこむと、彼女をそっと自分に抱き寄せた。
「イモーテル?誤解ではなくて?あなたのユベールはあなたと結婚したかったから奔走されていたのでしょう?お留守にされていた屋敷を必死で守っている召使いですもの。知らない方を絶対に通しませんことよ。」
「あ、あたしを締め出したのはユベールじゃない?」
「きっとそうよ。それにね、彼が貴族の娘じゃないからあなたを捨てたと言うのであれば、あなたは貴族の娘におなりなさい。貴族の娘として彼を袖にするの。」
「意味が分かんないよ。あたしは貴族の娘になったんだよ。」
「いいえ。まだおなりじゃない。でもなるのは簡単。私に任せて下さるかしら?あなたが無理をせず、あなたが幸せに貴族社会で生きていけるように、私があなたに教えてさしあげます。」
「なんでそんなことを!」
「友人だから。アランは大事な友人なの。そしてあなたと私も友人になりましょう?友人は助け合うものでしょう?」
イモーテルはぐっと唇を噛みしめ、それから私の体に抱きついた。
私は彼女を抱き締めて、寄宿舎で母恋しさに泣く友人達を慰めた事を思い出していた。
あなたはお強いのね。
お母様がいらっしゃらなくて寂しくないの?
私は部屋の戸口を見返した。
そこでは私を見守っているアンナがいる。
「イモーテル。まず、アンナの言葉を大事に聞くのよ。私には母親以上の方で、母親同然の愛をくださった、お母様同然の方なんです。」
「お嬢様!」
アンナは私達に駆け寄り、私達を自分の幼子の様にして抱きしめた。
彼女の頬には涙のしずくが零れている。
「ああ、私はなんてひどい人間になってしまいましたのでしょう。申し訳ありません。イモーテルお嬢様。あなたこそ不安で心細かったでしょうに。厳しい事しか言ってあげられませんでしたね。」
「う、うう。あんな、さん。」
「ええ、ええ。お嬢様がいれば百人力です。あなたは素晴らしい伯爵令嬢におなりになり、あのユベールでも侯爵家次男でも、好きな男性と幸せになる道を選ばれればよろしいのです。」
私達の腕の中、イモーテルは子供の様にうわーんと大声を出して泣いた。
彼女は私と同じぐらいに心細かったに違いない。
ヤスミンに出会えた私と違い、愛する人に裏切られて絶望だってしていた。
「う、ぐす。だけど駄目だよ。あたしに伯爵令嬢なんか駄目だよ。ユベールのお家なんて門から覗いても建物も見えないくらいだった。あたしの家になったあの家はとっても大きいよ。あんなの、あたしが女主人になんかなれないよ。」
「なれますわよ。してみせますわ。ねえ、アンナ?」
私はアンナに微笑みかけると、私の悪戯に小言を言いながらも手助けもしてくれた頃のアンナの微笑みが返って来た。
「もちろんですとも。私達だけでもないのですから。」
私はもう一度戸口を見返した。
両腕を組んで私達を見守っていた彼が、私と目が合うと大丈夫だという風に片目を瞑ってくれた。
ええ、あなたがいるなら大丈夫。
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと長くてすいません。
ユベールは子爵です。伯爵と明記した所を直しました。
イモーテルの台詞の、あたしには伯爵家なんかだめだよ→伯爵令嬢なんか駄目だよ、に書き換えました。




