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伯爵令嬢と育てられましたが、実は普通の家の娘でしたので地道に生きます  作者: 蔵前
第四章 自分なりに生きていくということ
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あなたと一緒の時間

「どうして嫌がる。」


「い、嫌がっているわけではありませんわ。」


 私は乾いた笑いを上げていた。

 だって、ヤスミンが乗ってきた馬、見た事が無いくらいに大きいのよ?


 乗馬用の馬も競走用の馬車を引く馬も知っておりますけれど、こんな、こんな、黒光りして人を食べちゃいそうな大きな馬は見たことありません。


 そんな地獄からやって来たっぽい馬に、ヤスミンは愛しさを込めた手つきで馬のたてがみの辺りを優しく撫でた。


「ようやく届いたんだよ、俺のジャクリーンが。」


「まあ!戦地での戦友さんでしたの?」


 戦地の馬でしたら納得ですわ。

 この子はヤスミンを乗せて戦地という恐ろしい場所を駆け抜けていたという、ヤスミンの命の恩人でもある子なのね。


「いや。首都で買っていたんだ。一目惚れでさ。こいつ用馬具も一緒に購入したからさ、俺はもうすっからかんだよ。で、馬の調整にひと月はかかるだろ?ようやく手元に届いたんだよ。これで俺もバルバラん所には同行できるな。ハハハ。」


「……俺は行けないって、この子が理由でしたの?」


「俺がこいつを受け取れなかったら業者が困るだろ?」


「そ、そうですわね?」


 言葉を失った私に向けて馬は顔を向け、ブルルと鳴いた。

 こんな男の面倒を見るのは大変よ?

 ミネルパ達がヤスミンを貶している時のセリフが馬の嘶きに重なり、私は急に馬に対して親近感が湧いた。


「よろしくね、ジャクリーン。女同士仲良くしましょうね。」


「バカお前、そいつは牡馬ぼばだって。」


「あら!ジャクリーンでしょう?女の子の名前じゃないの?去勢馬なの?」


「ひどいなお前。いいか?男の乗り物には女性名を付けるのが慣わしなんだよ。船も馬も女性名詞じゃないか。それでな、俺のような軍人は、馬には敵国の女神の名前を付けるのさ。お前らが祈る女神さまは、俺のケツの下で俺にご奉仕していやがるだろってな。」


「まあ!まあ!男の人って最悪ですわ。良くってよ。」


 私は男のろくでない性分から名前を付けられた哀れな馬を見返して、鞍から出ている馬の背中を軽く撫でた。


「私だけはあなたを物どころか立派な男としてお付き合いしますわ。ええ、名前だってジャッカルと呼ぶことにします。ほら、男の子らしい名前でしょう。」


「ハハハ!ばか。ジャッカルは犬とキツネを足して二で割ったような生き物の名称じゃないか。ああ、可哀想に。オクタヴィアン。お前って友人に女房を寝取られて逃げられるし、ほんっと女運が無いよなあ。」


「まあ!」


 嘘吐きヤスミンを見返せば、彼は私にいつも見せる悪戯な顔をして見せているかと思ったが、まあ、なんと、遠くを見つめる目で鞍から出ている馬の背中を撫でていた。


「ヤスミン?」


「こいつは俺の相棒だった奴の弟らしいんだよ。」


 だったという過去形は、彼の相棒だった馬が死んでしまっているのだろう。

 戦地での戦友だなんて、私が軽々しく口にしてはいけなかったのだ。


「ごめんなさい。私が――。」


「半年前、俺を守って死んだのさ。どいつもこいつも、戦友と名のつく奴は、半年前にあの世に行ったよ。」


「ま……あ……。」


「俺はそれで英雄になれたけれどな。」


「ヤスミン。」


 馬を撫でるヤスミンの手はそこで止まり、私はヤスミンの気持ちを少しでも慰められれば良いと、彼の手の上の自分の手を重ねていた。


「……馬鹿ヒヨコ。」


「え?」


 私に向けられた顔はいつもの悪戯そうな表情だった。

 彼は少年の様に、子供のフェリクスだってもしない、子供みたいな顔に口元を歪めて笑った。


「男の適当な泣き言に騙されんなよ。男はこうして女を誑すんだよ。いい勉強になっただろ?」


「ま、あああ!」


 私は嘘ばっかりのヤスミンを突き飛ばし、私が彼の体を突き飛ばせるはずも無く跳ね返されてしまっていた。


「きゃあ!」


 悲鳴を上げたが私が転ぶ事など無かった。

 私が転ぶことを許さない男がここにいる。

 余裕しゃくしゃくの顔を見せている男性の腕が私の背中を抱えている、そんな煽情小説の一場面のような格好となっているのだ。


 夢の中のような。


「あ、ありがとうございます。」


「いいよ。騎士として姫君からの感謝のキスは欲しい所だがね?」


 夢のような騎士として私を支えていた彼は、いつもの悪戯っぽい表情に顔付を戻し、止めの様にして私に軽くウィンクして見せた。

 だが、私は昨夜に彼への恋心に気が付いたばかりの女だ。

 ヒヨコのままでいなければいけないのに、恋心に押されるように?私は彼の頬に唇を軽くつけていた。


 一瞬だけ。


 まあ!ヤスミンの目玉が零れ落ちそうになってしまった。


 ほんの一秒ほど固まった彼は、動き出した時は不機嫌な顔になり、ついでに私に掛ける言葉も物凄くぶっきらぼうなものに変わっていた。


「さあ帰るぞ。乗って。」


「乗れません!体高が高すぎるもの。私にはよじ登れません。」


 きゅっと私はヤスミンに抱きしめられた。


 え?


「さあ鞍に右手をかけて。左手は俺の肩に。あとは俺の腕に身を委ねるだけだ。後ろ向きで上がるけど怖がるな。俺を信じろ。」


 甘くて滑らかで低い、まるで溶けたチョコレートのような魅惑的な声。

 その囁きを受けた私は夢に浮かされた様になってしまい、ヤスミンが言う通りに馬に対して後ろ向きになって、両手をそれぞれ、ええ、左手をヤスミンの肩にあてた。

 温かで揺るがない硬い感触。


「あげるぞ。」


「きゃあ!」


 ヤスミンの言葉通り私は一瞬で鞍の上に上がっていた。

 ヤスミンに抱き上げられて、心の鳥が空に一斉に羽ばたいたそのままの様にして、私はふわっという風に大きな馬の鞍の上に乗せ上げられたのだ。


 一段と高くなった視界の中は、まだまだ空を飛んでいるみたい。


 いいえ、本気で空を飛びそうだわ。

 ヤスミンが私の真横に乗り上げて、鞍に腰を下ろしたのだ。


 その次に来ることは?

 鞍に横座りしている私は、落ちないように彼の胸の中に、彼のゆるぎない腕によって引き寄せられた。


「速度は出さないが、落ちないように鞍や俺にしがみ付いておけ。」


「ええと。馬を跨いでも良くって?」


「うわお。君は男乗りが出来るのか?馬をあんなに怖がっていた癖に。」


「で、出来ますわ。私の馬は牝馬ひんばで小柄な子だったの。だから、この子に驚いただけです。で、でも、あの子は敏捷で、一メートルくらいの障害物は飛び越せる子でしたのよ?」


「わお!それはその子も凄いが君の腕こそだろう。バルバラの馬は運動不足だ。二週間の間に運動をさせてやれば馬は大喜びだな。さあ、馬を跨いで、背中を完全に俺に預けようか。俺はほんの少しだけでも君に風を感じさせたい。」


「ええ、ええ!楽しみだわ。オクタヴィアンの背中は高くって、もう空を飛んでいる気持ちなんだもの!」


「空を飛ぶか、いいな。さあ出発だ。馬を跨いで。君の願うお空の旅にご招待だ。」


「ええ!どこまでも連れて行って!」


 私は馬を跨ぎながら無意識に叫んでいて、でも、自分の言葉に気が付くよりも先にヤスミンが私を自分の胸に押し付け、馬を動かした方が早かった。

 私は温かで硬いが最高の背もたれとなったヤスミンの胸に背中を預け、急に広がっていく世界に対して歓声を上げていた。


「ハハハ、せっかくだから遠回りしよう。ファルゴ村のお空一周旅行だ。」


「ええ!ええ!ずっとこのまま乗っていたいほどだわ!」


 心の底から声を上げてた。

 だって、ずっとずっとこうしてあなたと一緒にいたいもの。

 明日も明後日も。





お読みいただきありがとうございます。

嘘吐きヤスミン。

独り歩きしたマルファを心配して大変だったために、自分も旅路に同行する事に決めました。

次のお話で四章は終わりです。

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