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伯爵令嬢と育てられましたが、実は普通の家の娘でしたので地道に生きます  作者: 蔵前
第四章 自分なりに生きていくということ
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独り歩きしたヒヨコへの罰

 私は翌日ラブレー伯爵夫人の元には出立しなかった。

 ヤスミンが三日後だと勝手に決めたのだ。


「三日程度なら俺達の大事な洗濯室は立ち入り禁止でも大丈夫だよな。」


 彼は私にそう囁いて、私がヒヨコでいたくなくなるウィンク付きの最高の笑顔をして見せたと思いだす。

 彼は私の気持ちをわかっているの?かしら?


「考えても仕方がない。とりあえず目先のことを片付けるのよ!」


 私は一晩考えた。

 一生手に入らない男性を恋し続けてやろうと決めたのだから、その男性の傍にずっとい続けるための自分の居場所づくりは大事なんじゃ無いかしら?と。

 そこで、私はエマの家まで頑張って歩いて行き、その一時間後の今、彼女の家のドアを叩いているのである。


「はい?まあ!歩いていらしたの?大丈夫?昨日の今日でよろしくて?」


「昨日の今日だからです。ご相談に乗って頂きたくて。よろしいでしょうか?」


「え、ええ。どうぞ。」


 私はエマの家のサロンに通して貰うと、貴婦人のルールを投げ捨てて、単刀直入に話を始める事にした。

 時間が無いのだもの。

 疲れ切っているから、社交話なんてひとっつも頭に浮かびませんし!


「ヤスミン様が三日後に私のラブレー伯爵家行きを決めました。彼は同行しません。農家でお育ちになったルクブルール伯爵令嬢に、それなりな振る舞いが出来るようにご指導差し上げるのが目的だからです。私は社交シーズンが始まる二週間後を目安に頑張るつもりですが、私一人では荷が勝ちすぎます。エマ様、御同行を願えませんか?」


「まあ、ですが。」


「フェリクスももちろん一緒です。出来ればソフィも一緒に連れて行きたいですね。ソフィがいれば伯爵令嬢も心を開いてくださると思うの。」


 エマは私の意図していることを読めたという風にニヤリと笑った。

 この旅路によって、ソフィにとっては、家族思いの彼女が押し込めている自分自身を、気兼ねなく表に出せる時間になればいいとも思っている。

 また、フェリクスにとっては、幼少時に貴族の子弟達が過ごしているはずの生活を彼に体験させることができるのである。


 さらに言えば、フェリクスが現侯爵様の隠し子であるというのならば、ラブレー伯爵夫人は彼の大事な大叔母となるのだ。

 ヤスミンがラブレー伯爵夫人によって庇護を受けている様にして、フェリクスもまた庇護を受ける事が出来る可能性もあるではないか。


「喜んで同行しましょう。大きなお屋敷を切り回すことは得意ですが、そこで寛ぐのは初めての経験ですから楽しみですわね。」


「ヤスミン様の台本ですと、荷物を積んだ馬車が崖に落ちてしまって着替えが無い哀れな人達って設定ですわよ。気兼ねなく下着だけ持って突撃しましょう。」


「まあ!面白い。あなたは本当にいたずらっ子なのね。」


 私はこれで大丈夫と、右手に拳を作った。

 では、急いでお家に戻らねば。


「突然訪問して突然暇を頂いて申し訳ありません。すぐに帰って伯爵令嬢を教育して差し上げねば。」


「あれ?僕の授業は?」


 フェリクスが部屋に入ってきた。

 時計の針は、まだ十時。

 ミネルパには事の次第を告げてある。


「一時間程度になりますけれど、いいかしら?私の足ではファルゴ村のここまで一時間はかかってしまいましたもので。」


「いつもの時間を取っておあげ。帰りは俺が送る。大丈夫だ。」


 怒ったような声がフェリクスの後ろで起こり、フェリクスはニコッと私に微笑むと、彼が持っていたぶ厚い本を掲げて見せた。


「読めるんでしょう。オクタヴィアン叙事詩!ピアノばっかりじゃなくて、こっちこそ読んで見せてよ!」


「読むだけじゃないよ、フェリクス。このお嬢様は諳んじられるそうだよ。」


 フェリクスを伴ったヤスミンは、招かれもしないのにエマのサロンに入って来て、私の隣に乱暴に腰かけた。

 前髪は上にあげているが風に煽られたように乱れており、服装は乗馬用の皮の黒ズボンにやはり真っ黒な乗馬ブーツ、そして白いシャツに殆ど黒の焦げ茶の乗馬用ジャケットという組み合わせである。


「まあ!どこからどう見ても伯爵様ですわねって痛い!」


「お前が一人でふらふら歩いていると聞いて、しっかり馬を走らせなきゃいかんと思ってのこの格好だ。ふざけてんじゃねえぞ、てめえ。守ってやると言った翌日に勝手にふらふら歩きとはどういうことだ?ああ?」


「ま、まあ!私とフェリクスとソフィを誘って下さったのは、ヤスミンの知らない所で、でしたの?」


 ヤスミンはエマには笑顔を向けて、私の頭にはぐりぐりを追加した。

 守ると言って下さったくせに、痛めつけるばかりですわね!


「いいや。想定内だからそこは安心して欲しい。俺の想定外は、女一人で供もつけずに、ふらふらと独り歩きしたこのヒヨコさんの行動だけだ。お前な、自分がヒヨコだってちゃんと認識しているのか。ヒヨコってな、喰われるんだぞ?猫やヘビや犬にとってはごちそうなんだぞ?わかったか!」


「わかった、わかりましたわ。それ以上ぐりぐりされると、頭から髪の毛が無くなってしまいますわ!」


「安心しろ。お前の髪が無くなる前に、俺の髪の毛の方が先に無くなる!お前の向こう見ずな行動のせいでな!」


「もう!だったらお髭の方が無くなって下さればいいのに!って痛い!」


「だって仕方がないよ。マルファが痛い所をついたんだもん。ヤスミンはもともと童顔だから無精ひげを生やしているんだよって、痛い!」


「お前も余計なことをばらすんじゃねえよ。ほら、お前ら、俺の機嫌を直すために芸をしろ!マルファは三十二編の詩を暗唱。出来んだろ?フェリクスはそのページを開いてマルファが間違っていないか確認!はい、はじめ!」


「ちょ、ちょっと待って!急に言われても、思い出すから!」


「ざまあねえな。」


 私は隣に座っているヤスミンの肩を叩き、思い出そうと目を瞑った。

 私がオクタヴィアン叙事詩を暗記できたのは、絵画のモチーフに良く選ばれているからである。


 ひと昔前、女性の裸を描くものではないという風潮の中、神様関係ならば大丈夫というルールができたからか、ギリギリ神様話になるであろうオクタヴィアン叙事詩の煽情的なシーンを切り取った絵画が沢山生み出されたのである。


 三十二編、三十二編って、まあ!

 勝手に城壁を出て恋人を探しに行った女性が、敵国の兵士に寄ってたかって乱暴を受けるって話では無いですか!


 私は両目をぱっと開けて、隣りのヤスミンを両手でえいっと押した。


「どうした?」


「私の行動は謝りますが、この詩は子供の前では諳んじたくはありません。」


「ハハハ!本気で覚えていやがった!じゃあ、五十六にしといてやるよ。」


 五十六?

 五十六は、ええと、もう!本気で私の行動を怒っているのね。


 五十六篇の詩は、オクタヴィアンを裏切って出て行った妻が、やはりあなたの元に戻りたいと懇願する詩である。

 だが私はこの詩を心を込めて諳んじていた。


 お願い、許して、あなたの傍に戻ることを許してくださいな。


 その謝罪の後に続くオクタヴィアンへの恋心を歌い上げる詩でもあるのだ。

 もう使われる事のない古代語であったが、ヤスミンに捧げられる恋心だと、私は自分を解放するようにして諳んじていた。


 愛しているという言葉は、時代が違えどどうしてこんなにも心に響くのだろう。

 唇には重いのに、簡単に自分の気持を乗せてしまえるのは何故だろう。


 永遠の愛を覚えた貴方へ、これからも変わらぬ愛だけを捧げますから、どうぞずっとおそばに置いてください。


「そこまでだ。」


 ヤスミンは唸ったような声で私の詠唱を止めた。

 気付かれたのね。

 調子に乗った私はなんてことをしてしまったのか。


「驚くよな。本当に君は素晴らしいよ。フェリクスも安心だろう?」


 次にヤスミンが出した声は気さくないつもの軽い声であり、フェリクスは本から顔を上げ、そうだね、と笑顔を作った。

 それから自分が読んでいた箇所を私達に見えるようにして本を裏返し、丁寧にも指で指し示して余計な説明を付け加えてくれたのである。


「ヤスミンにストップを掛けられる直前の一文、本には無かったの。忘れていたからって言っても、咄嗟に古代語を操れるなんて凄いです。」


 私は自分の口元を手で押さえ、自分があからさま過ぎだと反省するしかない。

 ヤスミンは私に身を寄せて、私の耳に囁いた。


「ヒヨコ、火遊びは大火傷の元だぞ?」


「な、何のことですか?」


 私は狼狽しながら誤魔化した。

 このざらついた低くてゾクゾクさせる声を出した男に、大火傷をさせられてみたいと私の中がざわざわしているのだから、必死になって誤魔化すしか無かった。


 自分自身を。




お読みいただきありがとうございます。

三千を超す文字数で長くて申し訳ありません。


さて、洗濯室の一件から、互いに互いへの意識が変わっております。

特にヤスミンこそ。

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