悪い男達の巣窟へ
馬車が進む先はどんどんと緑が深くなり、光も遮られて暗くなってきている。
「元牧師館なのにこんなに遠いの?誰も通えませんわよね?」
「だから元牧師館になったんだろ?まあ、本当の所、男達が悪さをするのにしけ込む場所に男達がそんなあだ名を付けちゃったってだけだよ。神の子羊だった者達が、お道徳から外れた行為をする場所だから、元牧師館なんだろうね。」
「まああ!男の人って!」
「ハハハ。そういった悪さを考える筆頭はヤスミンだけどね。」
「まああ!」
私達は顔を合わせて笑うしかなかったが、私はそこで気がついた。
「クラルティには牧師館はありませんわよね?宗派が違う教会も。ファルゴ村にはありますの?」
ミネルパは肩をすくめて見せた。
「ガルーシがあそこまで好き勝手出来たのは、クラルティの周辺の領地を殆ど放棄している領主さまのせいでもあるんだよ。もう十何年も牧師さんは派遣されてきていないね。」
「まああ。」
「何とかしないとねって、あたしらの頭を悩ませてはいるよ。あたしらは神様を信じてなくてもね、子供達は違うだろう?それに、牧師館でも教会でも、子供達が文字や計算を覚えるお勉強をする場所だろ?」
「そうですわね。」
私は自分の膝を枕にしている子供達を見下ろし、私にこの町で出来る事があったではないか、と、急に気が付いた。
そして、ずっとクラルティにいる事が出来る方法も思いついたのだ。
ソフィとフェリクスだけじゃなくて、村の子供達に勉強を教えてあげるのはどうかしら?
ヤスミンの庇護を必要としている生き方ならば、いつかヤスミンが考える相手に私は嫁ぐことになるかもしれないが、私が一人でも生きていけるのであれば、今のこの暮らしを続けていけるではないか、と。
しばらくは私が子供達に対して先生みたいなことをしましょうかと、町長に言いかけたそこで、アドリナの大きな舌打ちが聞こえた。
「やっぱりだ!うちの馬が三頭もいるよ!」
私とミネルパは前方を見返した。
古ぼけた屋敷の前には馬が何頭か繋がれているが、アドリナの言う通りに三頭だけ荷馬車用の体格をした馬が仲間入りしていた。
馬車は屋敷の傍にゆっくりと止まり、屋敷の開けた窓から臭い煙がもうもうと立ち昇っている様子まで確認できたどころか私の鼻は嗅ぎ取った。
ヤスミンのあのシャツの匂いだわ。
私が居候する前には毎晩夜遊びをしていたとヤスミンは嘯いたが、町について知って見たら、ミネルパ達はヤスミンが望むようなお遊びを禁止する立場だった。
だから、彼がどこに遊びに行っていたのだろうと私の疑問であったのだが、これで全部納得した。
「まあ!ここが一夜にしてヤスミンがとっても臭くなる魔窟なんですね!」
「ああ、奴はここで煙草に酒にカードと、悪い事を極めていたんだねえ。無一文と言っていたからね、賭博で村の男連中から金をせしめているのかねえ。」
「ソフィの結婚資金やアダンとブリスの教育資金だって必要なんだ!くだらない賭け事で無駄金をすらせてたまるか!」
アドリナは子供をソフィに手渡すと、ほとんど飛び下りるようにして御者台を降り、そのまま館へと駆け込んでいった。
私はアドリナの姿に微笑ましいものも感じていたが、急に、あの館の中にいるのがヤスミンでは無かったら、なんて考えが湧き出てしまった。
だって、ほら、ヤスミンを求めてやまないジョゼが荷台に転がったままよ?
「待って、アドリナ様!」
私は子供達をそっと膝から降ろして立ち上がり、スカートを手繰って持ち上げると、荷台から勢いよく飛び降りた。
「きゃあ!」
高い所から飛び降りると、足に響くものなのね!
初めて知った感覚に脅えるどころか、私の気分は高揚してしまっていた。
だからなのか、アドリナを抑えようと飛び降りたはずなのに、私は彼女を追いかける事だけに夢中になってしまったのである。
それがいけなかった。
アドリナが館の扉を開け、誰もいない玄関ホールを横切ってさらに奥へとずんずんと歩いていくのを止めるどころか後に続き、煙がたなびいていた窓があるだろう部屋、通常の屋敷ではダンスホールに当たる部屋の扉を開けさせてしまったのである。
扉の中にはヤスミンなどいなかった。
黒っぽいお揃いの上着姿の男達がひしめいていて、何日も寝ていないような目つきをした彼らが一斉に私達を見返したのである。
「うわ、やっば。」
アドリナは慌てて扉を閉め、私の腕を掴んで踵を返して逃げようとしたが、いつの間にか私達は扉の外側にいた男達に囲まれていた。
四人の大きな男達はそれだけで完全なる壁で、私どころかアドリナこそひゅうっと息を呑んでいた。
「何だよ、姉さんたち?」
「誰に断ってここに来たんだよ?」
「あ、あたしらは。」
私はアドリナの前に出た。
ここは何も知らない通りがかりの貴婦人を演じるのよ?
「ごめんあそばせ。誰もいない館だと思いましたのよ。子供達とピクニックに出たのは良いのですけれど、道に迷ってしまいまして。」
「はあ?」
「でも、皆さんがご活用の場所でしたら失礼しますわ。お邪魔してごめんあそばせね?」
私はアドリナの腕に自分の腕を掛けると、目の前の男性に笑顔を向けたまま一歩前に足を踏み出した。
しかし、紳士では無い男は女性に道を開けるという習慣は身についていないようで、彼らは私達の目の前に壁として聳え立っている。
「道を開けて下さる?」
「偉そうだな。俺たちの質問に答えたらいくらでも開けてやるよ?」
「言った通りですわ。迷いましたの。家人はわたくしの帰りを待っております。私達が戻らねば、役人と下男たちを連れてやって来ることでしょう。」
「迷った奴がどこで迷ったか知らないのに?」
まあ!
目の前の男は賢いようだわ。
私は笑顔を崩さずに、絶対に否定されない言葉を発した。
「私の恋人はマーリン・バロウズの生まれ変わりと言われているほどの千里眼の持ち主です。陸軍の英雄、ヤスミン・デジール様ですわ!」
しかし、四人の大男たちの壁は崩れるどころか、眉根を潜めて訝るという同じ表情で私を見下ろすばかりであるとは何事だろう?
マーリン・バロウズは、オクタヴィアン叙事詩の中の登場人物であり、主人公であり英雄のオクタヴィアンを助ける魔法使いの名前じゃないの。
オクタヴィアンが我が国の祖であるならば、彼の右腕のマーリン魔法使いの名前ぐらい知っていなければいけない。
これは常識なのよ?
「え、マーリン?デジール大佐はわかるけど、え?」
「ヒヨコ!誰だいそれは?ヤスミンにはそんな知り合いいないよ?」
「ええ!デジール大佐をご存じなのに!皆さんはマーリン・バロウズについてご存じないの!オクタヴィアンは我が国の英雄でしょう!」
私は思わず叫んでいた。
そこで聞き覚えのある大笑いの声が屋内に響いた。




