大きいけれど古ぼけた屋敷にて
犬は私を大きいが古ぼけた屋敷に連れてきた。
真っ白い漆喰は灰色に淀み、真っ黒の柱によってさらに陰鬱に見える。
だが、廃墟のような人気のないくらい屋敷に対して、犬は必死に入れてと言う風に扉をガジガジ前足で引っ掻いているのだ。
「まあ、ここがあなたのお家だったの?」
ヤスミン・デジールの家では無かったとしても、迷い犬を家に送ってあげられたのだと思えば無駄では無い。
私はほんの少しだけ相棒だった犬の為に、犬が引っ掻いている玄関扉の前に立ち、ノッカーを掴んで扉に打ち付けた。
誰も出てこない。
留守かしら?
もう一度ノッカーを打ち鳴らすと、家の奥から重たい足音が近づいてきて、ドアの真ん前で大きな唸り声みたいなものが聞こえた。
何?
私はほんの少しだけ脅えて後ろに一歩下がった。
すると、私がそこにいれば飛んで行ってしまっただろう、ぐらいの勢いで玄関の扉が外に開いたのである。
「誰だ?」
扉から出てきたのは、執事どころか単なる下男。
それも、一度も風呂に入った事は無いぐらいに汚れている大男で、ぼさぼさな焦げ茶色の髪の毛は顔の半分を隠すように覆い、髭だって数日間は剃っていないぐらいに口元に陰影をつけている。
着ている物は数日間は洗っていないだろう薄汚れた木綿シャツで、まあ!足は寝間着かズボン下にしか見えない頼りのないものを履いているじゃないの。
普通の紳士だったら絶対に人前に出られない格好でその男は出てきている訳で、ついでに言えば、冬眠中を起こされた熊みたいにひと目で不機嫌だとわかる有様だった。
「お前はなんだ?」
唸っているのか喋っているのかわからなぐらいの不機嫌な声だったが、妙にはっきりと彼の言葉が理解できたのが不思議だ。
それにしても、なんて乱暴な言葉遣い!
この方は礼儀も教養も無い方なのね!
そこで私はぞっとした。
伯爵の父は怒ると使用人に鞭を振るう人だったが、彼は洗練された人であると憧れられる対象でもあったのだ。
では、では、目の前の無学な人は、怒らせたらもっと恐ろしい事をしてしまう人なのかしら?
「何だと聞いている。」
再び低い声が男から発せられ、その地響きぐらいに低い声に、私は足元がガクガクと揺らいでしまった。
怖い!
「わん!」
え?
「え!どうしてお前がここにいる!」
恐ろしい声を出していたはずの男は、とっても軽くて裏返った情けない叫び声を上げ、私を連れて来た犬がその怖い男に突進していった。
「おい、ちょっ!」
犬は仁王立ちになっていた男の足の間を潜り抜けて家の中に突撃して行き、男は犬を捕まえようと手を伸ばしたそこで簡単に逃げられてがっくりと跪いた。
「まあ!」
「……お前か?お前があの悪魔の犬をここに連れて来たのか?」
「まあ!あれはあなたの飼い犬じゃなかったの?」
「飼い犬であるわけがない!」
跪いた男はがばっと頭を持ち上げて私を睨みつけたが、その時に顔を覆っていた長い前髪がふわっと後ろに流れ、焦げ茶色の瞳を露わにさせた。
私は、意外にも形の良い目元に驚いていた。
いえいえ、よく見て見れば、顎も尖り過ぎない形の良いものであるし、真っ直ぐな鼻筋は知的な額に続いている。
男の顔が思いがけない造形の良さをしていたことに、私はポカンとしてしまった。
そして男の方はそんな私が奇妙なものに思えたのか、ゆっくり立ち上がると、今度は静かにも聞こえる声で私に尋ねて来たのだ。
「お嬢さん?君はここに何しに来たんだね?」
何しに?
そ、そうよ、目の前の男に面食らってしまっていたが、私は直ぐにこの場を去って目的の場所に向かわねばならないのでは無かった?
そうよ、私はヤスミン・デジールの家を探さなきゃいけないのよ?
「ええと。わ、私は道に迷ってしまいましてね、あの、ある方のお家を教えて下さったらすぐに消えますわ。」
「ああ?」
恐ろしい男にも見えるように、私は新聞を捧げ持った。
とにかく、私はヤスミン・デジールの家に行かねばならないのだ!