気高き女性と未来が消えた少年に対して私にできること
エマと少年は見るからに有名人に会えたというそぶりを見せ、少年は一瞬前の小姓だった雰囲気を捨てて、年齢に見合った行動を取った。
私達が座るソファのひじ掛けに腰を下ろしたのである。
そして、もっと話を聞きたいという風に身を乗り出してもいるのだ。
「ま、まあ!でもそれは私の新聞じゃなくてよ。だって、あれは四年前のものですし、寄宿舎で一週間かけて書き上げた手書きのものですのよ?」
「まああ!手書きで本物の新聞と同じに書き上げられたの?最初の一枚は芸術品だと最初の執事様が額に入れて大事に保管されているって噂よ。」
私は両目をぎゅっと瞑った。
我が家の執事様、エヴァン様は思い出に拘るお人だった、そう言えば。
「で、でも、手書きでしかないのに!どうして何枚もあるの?」
「あら、最初の家の召使の全員が欲しがるからと、誰かが印刷所にそれを持ち込まれて、何十枚も同じものを刷って貰ったと私は聞いていますわよ?ええ、確かにあの新聞の日付は四年前のものでしたわね。本当におかしいわ。あのププリエ伯爵を追い詰めたのがこんな可愛らしいお嬢様の悪戯の結果だったなんて!」
まあ!
私は知らない間に非道な伯爵をこの世から一人葬っていたらしい。
「すごいな、ヒヨコは。だからヤスミンはあんたには特別なんだな。あ!それであんたは追われているのか?それでヤスミンに匿われていたの?」
「いいえ、ソフィ!そんな犯罪者として私は追われてはおりません。そ、そこはご心配なく。たぶん、黙っていてくだされば、この先も大丈夫な、はず!」
私は少々必死になっていた。
残虐非道な爵位持ちが改心してれば良い事だが、そこかしこで事故死為されていて、それが私が作成した新聞のせいだと知られたら、作成者の私こそ連続殺人犯でお縄になるかもと気が付いたからである。
そんな慌てた私とは反対に、ソフィは再び落ち込んだ。
「ヤスミンが知ったらヤスミンはあんたに惚れちゃうよね。ヤスミンは出来る女の人達が大好きだもん。」
「まあ!たった十二歳で家の仕事を任されているあなたこそすごいじゃないの。何をおっしゃるの!そ、それに、ソフィの事をヤスミン様は、それはもう、物凄く褒めていたじゃないの。」
「あたしのは、きっと誰もが出来る事だよ?あんたみたいに新聞を書くなんて出来ないよ。四年前って、あんたもあたしぐらいの時なんだろ?」
「で、でも、絵を描くのと一緒で、きっと誰もが出来る事だと思うわ。絵画の模倣という技術よ。本物の真似をして嘘新聞を作ったってだけなの。文章はそうね。毎日新聞を読んでいれば、そんな感じの文章も書けるわ。これも慣れ、だと思うわよ。」
「いいですね。僕もそんな事が出来る事になりたい。そうしたら新聞社で働けるようになるかもしれませんから。でも無理ですかね。僕は学校も出ていない。」
「そうだよ。あたしは文字自体かけないもん。」
私はかってお屋敷勤めの小姓だった少年とソフィを交互に見返した後、この家の主人であるエマを見返した。
彼女は挑むような笑みを私に見せ、そのうえで彼女とヤスミンが私の知らない所で交流がしっかりとあることを知らしめる台詞を口にした。
「小姓はお館で教養を付けることで、そのうちに主人付の従僕になり、最終的には執事となりあがる人材なのよ。でもこの子、フェリクスはもうお館に勤められない。仕事の合間に館の図書館でオクタヴィアン叙事詩を読んで教養を付ける事など叶わないの。」
私がオクタヴィアン叙事詩を読めることを知っているのは、クラルティやファルゴ村ではヤスミンだけである。
彼はこの女性に私のことを事細かに語っていたのね。
ヤスミンがミネルパに私のことを相談していてもムカムカ一つ無かったのに、どうしてこの綺麗なエマと相談していた事実には癇に障るのか。
それでも私の口は勝手に動いていた。
「私でよろしければ!」
そして声に出したそこで、私は私を取り戻せた気にもなっていた。
以前の伯爵令嬢だった時の様に、守られる立場ながらも守ってくれる召使い達からは相談されて解決してきた、あの日々の私がいる気がした。
そうよ、今の私は守られるだけのヒヨコさんじゃないの。
「ソフィには文字を教えて差し上げますし、フェリクスさん?あなたには私の持っている教養全て差し上げましょう。このルーンフェリアが何度も戦争を売っている癖に、情けなくも手本にしているイストエール国の言葉だって、私はあなたに教えてさし上げる事が出来てよ?」
「まあ!嬉しいわ。では早速、これから二時間ほどあなたの時間をお借りしていいかしら。ねえ、ソフィ。あなたの文字に関しては私が教えてあげられるわ。」
ソフィとフェリクスは目を真ん丸にして、優しいだけではないエマのはしゃぎっぷりにただただ呆気に取られていた。
私はこんな素敵な人を紹介してくれてありがとうとヤスミンに心の中で唱えていたが、心はなぜかその言葉を棒読みしかしなかった。
そんな心を叱るはずの頭の中では、ヤスミンの頭を自分の拳でぐりぐりするイメージばかりが湧いてもいるのである。
なぜだろう?
私ったらどうしちゃったの?
「さあさあ、フェリクス、お部屋から本を持ってきなさい。」
「はい。母様。」
フェリクス少年はエマの言う通りに部屋を出て行ったが、私は少年の呼びかけに驚いてエマを見返していた。
子供を召使いに差し出すのは、子供の親が子供を育て上げられる財力が足りないからでもある。
「素晴らしいわ。親となられて後見されているのね。」
エマはふっと自虐めいた微笑みを口元に浮かべた。
「本当の生みの親なんですもの。若過ぎる女が女中頭に抜擢されるには、ええ、それなりな裏事情というものがございますのよ。」
「そうですか?裏事情など無くてもエマ様が女中頭におなりあそばされただろう事は、此方のお家のご様子を伺うだけで想像がつきますことよ。」
「ふふ。あなたはきっとどの家に嫁がれても、召使い達にとっての素晴らしき女主人になられる事でしょう。」
そして彼女は自分の傷跡に対して左手を当てて隠すなんて素振りを初めてしたが、それは自分の顔にある傷を疎うというよりも、そこに傷があることを確かめて喜んでいるような仕草でもあった。
「あの子は私にこの傷を与えた伯爵を恨んでいますけれど、私はこの傷のお陰でようやくあの子と気兼ねなく暮らせますのよ。ずっと願っていた母親らしいこともあの子に出来るの。」
それから彼女は私を縋るような目で見つめてきた。
私はその続きが聞きたくないような気がしたが、彼女が私に言ってきた言葉は私が考えていたものでは無かった。
「男の人は出自はどうでも成功すれば紳士階級に受け入れられるわ。ですから、あの子の未来に陰りが無いようにお願いします。貴族の子弟そのものと言わないわ。でも、私では教えてあげられないことを教えてあげて欲しいの。」
ソフィが何度も私に言うように、ヤスミンを解放して欲しい、なんて頼みをエマから聞くのかもと考えた私こそ俗物ですわ。
彼女は素晴らしき母として、息子の未来のことしか考えてはいない。
「私にできることは、何だってしましょう。」
私はエマに約束していたが、頭の片隅で、ヤスミンの声が再生されていた。
俺はフラれてばっかりなんだよ。




