哀れなエマと少年の身に起きた事と私の過去の悪戯
元女中頭はエマと名乗り、私とソフィを彼女のサロンへと招待してくれた。
もちろん、男性であるヤスミンは家の中に入って来ないどころか、これこそ目的という風にソフィの荷馬車から馬を外し、裸馬に乗ってどこぞへと消えてしまった。
「あたしも男に生まれたかったな。」
エマの家の廊下を歩きながら、ソフィがぽつりと呟いた。
彼女はお茶など飲まずにすぐに家に帰りたいと言ったのだが、ヤスミンの所業のせいで私と一緒にここに留まるしかなくなったのである。
「まあ、どうして?女に生まれたから、こんな素敵なお宅のお茶会にご招待していただけたのよ?」
「あたしは作法なんか知らないよ。」
「私だって最初は知らなかったわ。こういうものは体験して覚えていくものなのよ。安心して。」
「うふふ。そんな堅苦しいものではありませんよ。女同士仲良くお話がしたいだけですの。ほら、私はこんな顔ですから外にあまり出られないでしょう?あなたとお話してみたかったの。我儘を言って引き止めてごめんなさいね。」
「そ、そんなことはいいんだよ。ただね、あ、あたしの話なんか、野菜を届けに村と町を行き来しているだけのもんだよ?あんまり楽しくないと思うよ?」
「まあ!あなたとお話したいからと、あなたの到来を心待ちにしている人達がいると言うのに?私こそあなたとお友達になりたかったのよ?」
ソフィは目を丸くし、その後はニコッと嬉しそうに微笑んだ。
こんな素晴らしい笑顔に私は絶対にしてあげられないだろうと思い、エマが若くして女中頭にまで昇りつめた理由が分かった気がした。
そして、人柄は家そのものに現れる。
実際にサロンに案内されて室内を見回せば、エマの室内の誂えは壁紙から調度品、どれをとっても飾り気は無いが良い品の素晴らしいものばかりである。
しかし、室内に気安さを添えるのは、ソファに置かれたクッションのカバーなどのファブリックに温かみがあるからだろう。
まあ、あの銀色に輝くグレーの布とバニラ色の布あわせのクッションカバーは品があって素晴らしいキルトだわ。
「素晴らしいデザインですわ。洗練されているのに懐かしさや温かみがあって。この素敵なカバーはあなたが?」
「今は時間ばかりがございますから。」
エマはゆったりと微笑み、焦げ茶色の巻き毛に縁どられた白い顔の中にある綺麗な緑色の瞳を煌かせた。
深い緑色は深い森のようでとても美しく、私の薄黄緑色の瞳と取り換えて欲しいなんて羨んだほどだった。
つまり、エマは顔に大きな傷跡があっても美しい女性なのである。
さらに彼女に好感を私が抱くのは、彼女は美しい髪を働いていた頃のように品よく結い上げて、自分の顔の傷を隠そうともしていない所だ。
私だったら?
絶望して命を絶つぐらいに?いいえ、死ぬ度胸など絶対に無い私ですもの。
きっとずっと泣き続けて部屋に閉じこもったことでしょうね。
「エマ様にお裁縫を教えて頂きたいと私はあなたの家のドアを叩いてしまいそうですわ。エマ様のお時間がいただけるのなら。」
「喜ばしいお申し出ですわ。さあ、お座りになって。」
私とソフィが案内されたソファに落ち着くと、エマは私達の正面となるソファに腰を下ろした。
すると、それを合図にするようにして私達が入って来たばかりのドアが開き、茶器とお菓子が載った盆を抱えた少年が入ってきたのである。
私はその少年に驚くどころでは無かった。
ソフィと同じくらいの年齢に見える彼が、整った顔立ちの上に金色の髪に青い瞳という天使のような外見だから?
違うわ。
シャツにウールパンツという素朴な格好でしかない彼の所作が、お屋敷で働くお仕着せを着た小姓そのものという、背筋をピンと伸ばした見栄えの良いものであることに驚いたのよ。
彼はお屋敷で働いていた時のようにして、丁寧に盆を私達の前にしているティーテーブルに置いた。
その時にシャツの襟元から彼のうなじがちらりと見えて、エマが受けたものとおなじような鞭の傷跡の一部が見えた。
私は自分の父、ルクブルール伯爵が自分の従僕や下男に鞭を振るっていた姿を思い出し、それを目撃した日の様にしてぎゅっと両手に拳を握ってしまった。
あれはどうやって解決したかしら?
そう、私は新聞を書き換えたのだわ。
新聞と同じ紙を用意する事が一番難関だったけれど、そこは侯爵家の次男であるアレンが受け持ってくれた。
首都で印刷される新聞が我が家のマナーハウスに届くのは三日目となる。
そして届いてすぐに伯爵に手渡されるのでは無く、伯爵の手が汚れないように執事が新聞にそれなりな処置をして届けられる。
私は事前に新聞と同じように書き込んで作り上げた偽物一枚を、執事がその処置をしている時に本物の三面と取り換えたのである。
何でも知っている執事は、私の為に自分が新聞の前にいない時間を作ってくれたが、私が消えたすぐ後に作業室に戻った彼が大声を上げて笑ったと思い出す。
某上流階級の紳士が寝ている間に鞭で目元を叩かれて失明?
日常的に召使を鞭で叩いていた何某氏は、真っ暗となった世界にて、己が痛めつけた召使いの手を借りて生活せねばならない身に落ちた。
こんな煽情的な文字を綴った嘘記事を読んだ父は、館中から鞭を全て片付けてしまい、自らも二度と鞭を持つことが無くなったのである。
いえ、召使いに少し優しくなったわね。
執事達の顔色を窺うようになったと言うべきかしら?
「ねえ、あなた方に鞭を振るった方はお元気でいらっしゃるのかしら?私は父が召使いに鞭を振るうからと、嘘の新聞を作って父を脅した事があるの。父はそれを読んでから鞭を捨て、召使いには優しく振舞うようにはなったわ。」
エマと少年は私におかしな顔を向けた。
そのまま数秒ほど私を見つめ、それから同時に吹き出した。
「まあ!どうなさったの?」
「まあ!存じ上げなかったわ。あの有名な新聞を作られたのがあなただったの?」
「え?」
「召使い仲間では有名よ。そしてお守りね。無体な主人がいる家にはその古新聞の一枚が召使い達の元に届くのよ。それを読んだ主人は自分の行動を改めるか、仕返しに脅えて突拍子もない行動をして自分の首を絞めるの。ふふ。」
「僕とエマを鞭で打ち据えたあの伯爵は、その新聞を読んだ日からささやかな物音に脅えるようになりましたね。ハハハ、嵐の夜に寝室を飛び出した後に、階段から落ちて首の骨を折って死んだのはいい気味でした。」
天使のような少年が小悪魔のような残虐な笑みを顔に浮かべ、嬉々とした顔で語った情報にただただ驚くしかない。
何ですと?
え、でも、あの新聞作成は四年前よ?
お読みいただきありがとうございます。
読んで頂く方の負担にならないように一日一話にしていますが、休みですからいいかなと投稿します。




