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初仕事ですわね!

 ミネルパは物凄く遅れた私を叱りはしなかった。

 ただ一言、明日からは許さないよ、そう言っただけだ。

 彼女の静かだけれども有無を言わさない威圧感を受け、伯爵家の女中頭に召使い達がビクビクしてしまった気持が私にもわかった。


 伯爵夫人の母がキイキイ叫んでいる時よりも、お分かりよね、と笑顔で言うだけの女中頭マーサの方が何倍も怖いと子供心に感じていたもの。


 そしてミネルパはマーサと同じように心根が優しい人である。

 マーサは新しい召使いが館にやって来れば、彼女達が困ることなく働けるようにと、それはそれは丁寧に仕事を教え込んでいくのだ。


「マーサのような人間こそ大事にするのよ。どんな屋敷に嫁いでも彼女達のような人を味方につけるのよ。」


 私にそう教え込んだアンナの言葉が思い返される。

 そこで私を連れて来たヤスミンがブルーノ雑貨店から消えると、私はミネルパに貴族の娘が目上の人に捧げる腰を落とす挨拶を捧げた。


「マルファと申します。本日は申し訳ありませんでした。頑張って仕事を覚えますのでよろしくお願いいたします。」


「ふふ。その所作をうちの娘達やファルゴ村の娘達に教えてやりたいね。ブランも言っていたものさ。言葉遣いや振る舞い一つで上に行けるのにってね。」


 これは教養の事を言っているのだろうか?

 そうよ、ロア子爵夫人の宛名書きの時に私の書く文字を覚えた小間使いのサラは、やり手の実業家と結婚してしまったのでは無くて?

 ではでは、そういうことを教えてあげる場を作り、その時にあのドレスは普通の家庭でのお洒落着だと周知する事が出来れば、アドリナの願いが叶うかしら?


「ミネルパ様。ファルゴ村やクラルティでは女性だけのお茶会や、気軽なホームパーティなどは開催されたりしないのかしら?」


「ハハハ、そんな事を考える習慣こそないね。クラルティのあたしらは客を持て成すためにとお祭りめいた騒々しさを作り出して来た経験はあるがね、お茶会なんていう淑女様の作法なんて一つも知らないさ。同じく、ファルゴ村の女達もそうだろう。収穫祭やらで大騒ぎはするが、貴族様のような生活習慣は無いよ。」


「まああ。では、この近辺で紳士階級のお宅はございませんの?そういった家からのご招待などは?」


 ミネルパは皮肉そうに鼻で笑った。

 少々寂しそうな笑みかもしれないが。


「紳士階級が娼婦や農民と席を同じにすると思うかい?」


 私は言い返せなかった。

 確かに、伯爵令嬢時代に領地の小作人や村々の住人達に挨拶を受けたが、私と彼らはそれだけで交流なんてものは無かった、と思い出したのである。


「どうしたんだい?貴族のような暮らしに戻りたいのかい?」


「い、いいえ。あの、アドリナ様が娘様へドレスのプレゼントが出来るようにしてあげる手伝いをしてくれないか、なんてヤスミン様が相談して下さったから。コルセットのいらないハイウェストドレスは首都では人気ですのよ?可愛いデザインなのに着心地が楽でしょう。だから、最近のお茶会ではあのドレスで参加される方ばかりなの。それを皆さんに周知出来たら、と思って。」


 ミネルパは、ほう、と相槌の声を上げながら片眉をあげて見せた。

 だが、彼女は、今の会話を終わりにしたいようだ。


「さあ、お喋りはここまでにして、仕事の説明をしよう。これじゃあ何時まで経っても店が開けられない。」


「まああ、そうですわね。申し訳ありません。」


 私は踵を返したミネルパの後を追いかけた。

 彼女は簡潔だがわかり易い商品説明をしていき、私が異国のものの洗剤やクラッカーの缶の説明書きが読める事で大いに喜び、また、値段の付け方もすぐに覚えた事で目を丸くしてくれた。


「お前さんは使えるね。」


「ま、まあ!ありがとうございます。」


「これなら宅配も任せられそうだね。」


 それからミネルパは店番に戻るどころか店の奥の倉庫へとずんずんと進んでいき、私はやはり彼女の後を急いで追いかけた。

 すると彼女は、クッションぐらいの大きさの小包を倉庫の棚から取り上げたのである。


「元ププリエ伯爵家の女中頭をしていた人の注文でね、お前さんにはこれを届けて貰えないかなと思ってさ。」


「はい。ええと、ご住所はどちらになるのかしら?」


「これから配達人がやってくる。その子と一緒に行ってくれればいいよ。」


「はい。」


 私はミネルパから小包を受け取り、それがあまり重くは無い事に首を傾げた。

 何だろうと思いながら抱きかかえ直したその時、ブルーノ雑貨店に誰かが入店した事を知らせる鐘の音がカランと響いた。


「来たね。あの子はお前さんやヤスミンと違って時間に正確だ。」


「申し訳ありません。でも、今日遅れたのは私のせいで、ヤスミン様のせいではありません事だけは、あの。」


「いいんだよ。あいつのせいにしておけば。あいつは人の時間を弄って狂わせる男なんだからさ。」


 ミネルパは再び店内へと歩いて行き、私は荷物を抱えながら彼女の後をついていくと、店内にはしゃがんでジョゼと遊んでいる少年がいた。

 彼はすくっと立ち上がると、まあ、彼では無く彼女だったわ。


 琥珀のような髪色に瞳をした可愛らしい少女であるが、琥珀色の髪の毛は少年ぐらいに短く刈られ、肌は外の太陽に照らされたからか少しかさついてそばかすも浮いていた。

 おまけに、シャツとズボンという恰好で、遠目では男の子にしか見えない。


「ソフィ、いつもすまないね。」


「いいよ。うちの野菜を届けるついでだもん。で、荷物はええと?」


 笑顔だった彼女は私の存在に気が付くと、はたっという風に顔付きが凍った。

 まるで台所で油虫を見つけてしまった料理人のような表情の変化だな、と私は思いながら、寄宿舎で学友に挨拶した様にして軽く腰を落とした。


「初めまして。マルファと申します。わたくしは――。」


「知っているよ。ヤスミンの新しい女だろ?」


「まあ!それは違うわ。」


「そうだよ。違うね。ただ、秘密にしていて欲しいんだけど、いいかなソフィ?」


 ソフィはびくっと床の上で飛び上ったようになり、自分に声をかけた男性にそのまま体ごとぴょこんと振り向いた。


「あら?まだこの辺りにいらっしゃったの?」


 ヤスミンは私に皺くちゃの顔をして見せた後、自分の信奉者らしい少女に対して、それはそれは甘い笑顔を見せつけた。


「聞いただろ?あの偉そうな言い方。彼女は俺の上司からの預かりもので、しばし匿う様に仰せつかっている姫君だよ。地獄の業火に焼かれたって俺は言えるね。あれは俺の女では決してない。わかった?ソフィ?」


 まあ!

 ソフィは素直に頭を上下させると、私に振り向いて、私が先ほどしたのと同じ素振りでぴょこんと挨拶を返して来たのだ。


 私は先程までの彼女の敵愾心を理解すると、片腕に小包を抱きかかえ直し、それから片手だけだが、ドレスを持ち上げての貴族らしい挨拶を彼女に返した。

 それから、寄宿舎の女学校で催したお芝居で女王様を演じた時のようにして顎をあげ、ヤスミンの言葉に追従するような台詞を騙ったのである。


「私はマルファ・ローズブーケ。訳あって陸軍大佐に匿って頂く身の上となっております。彼は騎士として最高の方であり、守るべき女人の名誉を汚す事などなさらない立派な方でございます。」


 ソフィは、だがしかし、私が意図したような素振りにはならなかった。

 賢そうな眼の中には、寂しそうな翳りばかりが広がったのである。


 どうして?

 私がヤスミンの恋人ではないと知って喜ばないの?

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