体たらくと嘯く男は
ブルーノ雑貨店を出た私は、自分の腕に抱く可愛らしく包装された物を見下ろし、詰めていた息を吐き出した。
無事に月のもののお道具を手に入れられたのは良かったが、こんなに恥ずかしい思いをしたのは生まれて初めてでもある。
男の人には知られずに隠していくはずのものを、とってもあからさまに知られている上に揶揄われたのだ。
何てヤスミンはデリカシーが無いの!
心の中で彼を罵ってみたが、結局は笑い話にしてくれたおかげで、私は今後何かあればあのブルーノ雑貨店のミネルパに頼ればいいわけで、男性であるヤスミンに実はあれこれでと恥ずかしい相談などしなくとも良くなったのだ。
でも、あそこまで笑われて感謝出来ますこと?
「どうした?ヒヨコちゃん?せっかくのお出掛けにはニコニコしなきゃ。」
「ヒヨコヒヨコって、私にはマルファって、むぐ。」
ヤスミンの大きな手で口を塞がれてしまった。
私の口を塞いだ男は、私が思い付くべき台詞を言った。
またしても、彼の方が私の事を思いやっていたのだ。
「素性は出来るだけ隠しておくんだ。君が元の世界に戻れるようにね。」
私の口から彼の手が遠ざかり、彼は私に軽薄な笑みとウィンクを与えた。
冗談めかしているが、確かに、未婚女性が独身男性の家にいるその点だけで、私を知っている人に知られれば私の評判は最悪なものとなるだろう。
「もう戻れません事よ?アンナにも知らせましたし。」
「戻れるよ。手紙の文面は俺が助言したとおりに書いたでしょう?」
「ええ。年配の未亡人の話し相手に雇われたから安心して、と。でもあなたのおっしゃる通りに住所も書きましたのよ?アンナは絶対に来てくれるわ。」
「そう。その時にはミネルパの登場だ。俺が安心できる独身男性でも、俺を知らない人には単なる野獣だろ?雇い人役を代わって貰うさ。」
「まああ!あなたはそこまで私のことを考えて下さっているのね!」
「そう。早く君の婚約者に君を手渡して面倒から解放されたいなと、俺は一生懸命に俺の今後のことを考えているんだよ?」
「私は婚約者との事は諦めています!」
「俺は結婚しない男だぞ?」
「まああ!広告まで出しておいて?」
「ハハハ。あれは本当は愛人募集だ。身持ちの固い女が愛人募集に応募するわけはない。愛人募集に応募してきた時点でそいつは身持ちが固いとは言えない。つまり、俺は静かな環境が欲しかっただけだよ?」
ミネルパの、空っぽな家に燻っている、というセリフが脳裏に浮かび、ヤスミンはあのオレンジがある家でブランディーヌを偲んでいたのかしらと考えた。
彼の栄達に援助を惜しまなかった女性への、それは彼なりの鎮魂であり、彼女のよすがをこの世に留めておく行為のなのかしら、と。
一途に愛していらっしゃったのだろうか?
「寝たいだけ寝て、遊びたいだけ遊ぶ。俺の夢なんだよ。首都じゃあ、知り合いに会えば嫌でも付き合わなきゃいけないし、あの大時計のせいで俺は朝の五時には起こされる。それでジョゼの散歩に行けば、あいつは自分よりも小さい生き物は全部狩ってしまう。俺は疲れ切っちゃったんだよね。」
「ごめんなさい。私とジョゼのせいで首都みたいな暮らしにさせてしまって!デリカシーのない紳士の風上にも置けない人だなんて思っておりましたが、実はこんなにも繊細な方でしたのね!」
冗談のような物言いしかしないヤスミンに、私は悔し紛れの声を上げていた。
ヤスミンは昨日出会ったばかりの人でしかない。
ミネルパが彼のことを知っているように私も知りたいなんて思う事こそおこがましい事だとわかってはいるが、私はヤスミンの事を知りたいのだ。
だが、私よりも年上の男性は、私の生意気な言葉に全く揺さぶられなかった。
「なんだそれは!本当に、君と話すたびに、自分って聖人の生まれ変わりなんじゃないかと思うよ。」
彼の口調は怒ったようなものだったが、実際には楽しそうに瞳を煌かせて(長い前髪の隙間から見える範囲でだが)いるし、口元はニヤニヤしっぱなしだ。
全く仕返しも出来なかった私は、不機嫌な唸り声をあげるしか無かった。
「これはこれは、デジール大佐。昼間っからお盛んなことでして。」
私は突然の声に振り向こうとしたが、肩に回されたヤスミンの腕はそれを許さないという風に私を彼に引き寄せた。
「ヤスミン?」
「君はまっすぐこのまま。後ろを振り向かずに目の前の店に入れ。丁度良く帽子屋だ。ベール付きの帽子を選んでおいで。」
「でも。」
「すぐに俺も行くから。」
「はい。」
ヤスミンのこんな硬質的な声は初めてだ。
それに、彼は私のことを一番に考えている人なのは確実だ。
だからと、私の肩から彼の手が外れると、私は彼の言う通りに目の前の帽子屋へと駆け出すようにして一気に向かった。
ただし、私は店に入れなかった。
店の左横の影から勢いよく飛び出てきた男があり、私が開けようとした店の扉をその男が太い腕で押さえたのだ。
その男はついでに私の方へと身を乗り出した。
大きな男だというのが第一印象だ。
ヤスミンよりも背が高く、横幅もあるという、大男。
昨日ヤスミンが着ていたシャツぐらいに汚れているシャツを羽織り、サスペンダーが付いているウールのズボンを履いている。
ただし、彼は私の壁になっているだけだった。
「ヒヨコ!とにかく逃げろ!」
「てめえは黙ってろ!」
何か鈍い音がした気がして振り向こうとしたが、ヤスミンの声が私を制止した。
「こっちは見るな!」
「見せてやりゃあいいじゃねえか。お前が地面にすっころんだ良い場面だ。」
私の後ろでは、ヤスミンに敵対する男の声が響いている。
そして足を止めるしかなくなった私の左脇に、ヤスミンに何かをしたばかりの、あの声の主である男が姿を現わしたのである。
男はつるんとした端正な顔をしていたが、全く魅力的には見えなかった。
「ああ、かわいいな。お前の男が俺達から奪った金のいくらかは返して貰えそうな可愛らしさだ。」
裕福な紳士階級な人であることを思わせる服装をしているが、私にかけた下卑た内容と嫌らしい声と同じぐらいに、その男はひと目で紳士ではないとわかる男だった。




