ヤスミンがマルファ様に望むこと
「と、言う事でしたの。フェリクスにはどうしてあげたらよくって?」
ヤスミンの兄と甥の代りに戻ってきた婚約者は、ヤスミンの隣に座り、ヤスミンを見上げて、ついさっきまでの出来事を彼に話聞かせていた。
人の事を自分の事のように心配するところは変わっていないと、ヤスミンは婚約者の優しさを素晴らしく思いながら彼女の頭を撫でた。
本当は抱きしめてしまいたいが、彼ら二人は日が暮れようとしてるマルファの家の小さな中庭のベンチに座っているのであり、中庭を眺められる居間の窓からアンナという鬼婆が目を光らせてヤスミンを監視しているのだ。
「ヤスミン?」
「あとは親である兄とエマの仕事だよ。俺達にできる事は、フェリクスが泣いたら慰めてあげて、君が今日したみたいに悩み事を聞いてあげるだけだね。」
「まああ。」
「俺にとっても、君にとっても、バルバラとジャンが守護天使だったように、俺達はフェリクスを可愛がればいいのさ。」
マルファは、そうねと言って笑い、それからヤスミンがアンナの目に脅えてしまうぐらいにマルファはヤスミンにしなだれかかった。
ぎゅうとヤスミンの左腕を両腕で掴んで、ヤスミンの左肩に頭を乗せてくっついて来たのだ。
それは、私を離さないで、そんな感情が見える抱きつき方で、ヤスミンの胸は尖った金属を飲み込んだように痛くて重くなった。
「マルファ。」
「私達に子供が生まれなかったら、私のせいであなたの夢は叶わないわね。」
ヤスミンが考えていた言葉では無かったが、彼の何気ない言葉が彼女を思いつめさせていた事はわかった。
また彼は、彼女が唱えた不安について、自分はこの不安については自分と同じ気持ちであって欲しいと思いながら言葉を返した。
「俺達に子供が生まれなかったら、俺のせいで君を不幸にしてしまうかな?」
「そんな事は無いわ!」
ヤスミンの言葉にマルファは間髪入れずに言い返してきていた。
ヤスミンは怒ったような顔をしたマルファの頬をさらって撫でると、愛おしくて堪らない彼女の額にキスをした。
「俺達の子供はおまけ、だよ。俺はお前がいればいい。二人で楽しくやっている所に、おまけを貰えたら最高だね。我儘言わせてもらえれば、大好きなマルファの小さいサイズが欲しいな、それだけだよ。子供が出来なくとも、バルバラ達みたいな夫婦でいよう。あいつらは反吐が出るぐらいに仲良し幸せ夫婦だ。」
「ええ!そうね!私もあなたがいればそれでいいの!バルバラとジャン・クリストフ様は最高の夫婦だわ!あんな風になれると嬉しいわね。それでね、実家でのドレス合わせの時に、バルバラも来てくれていたのよ!お母様とバルバラと、ミラにアンナとで、皆で考えたドレスなの。ああ!あなたの趣味じゃ無かったらどうしましょう?」
「君がお気に入りならそれでいいんじゃないかな?だってさ、俺の趣味じゃ無かったら気兼ねなく君から脱がすし、俺の趣味ど真ん中だったら、思い出の品としてとっとけるように、君が汚す前にさっさと脱がすぞ。結果は同じだ。」
ヤスミンの腕の中の婚約者は、服から出ている部分は全部真っ赤に染めると、若いのにおばあさんのような声を上げた。
「ん、まあああああ!」
「ああ、楽しみだ。君をこの腕に、本当の意味で抱ける日が楽しみだ。」
ヤスミンは今度こそ人目をはばからずにマルファを抱き締めた。
柔らかいが柔らかすぎず、健康で溌溂とした若い体。
数か月前には、骨と皮だけのようにしか感じない体だった。
彼女をそこまで苦しめたのは自分のせいだと後悔しながら、彼は元通りになってくれた彼女を愛おしくてたまらないと抱き締めた。
「どうしたの?ヤスミン?ねえ、何かあったの?会えなかった三日間の間にあなたに何かあったの?」
ヤスミンは、ハッと自嘲するようにして笑い声を立てると、抱きしめていた腕を外して、その手をマルファの顔に添えた。
そして彼は彼女の顔を覗き込んだ。
「マルファ、君は俺を気遣うばかりだ。君こそ、辛かった、寂しかったと、俺を責めてくれ。君にそんな辛さを与えた俺をちゃんと罵ってくれ。苦しみを自分の中でため込まないでくれ。俺は君の傍にいる。ずっと君に寄り添いたい。だから、君は俺にだけはいくらだって喚き散らしていいんだよ?」
美しい新緑色の瞳はヤスミンを見つめながらぐんと瞳孔を広げたが、その瞳は素晴らしいものに出会ったという喜びしか浮かび上がって来なかった。
彼女は子供みたいに顔じゅうが喜びでいっぱいという表情を作った。
それから彼女はヤスミンの首に両腕を巻き付け、今にもキスしてしまいそうなほどに自分からさらにヤスミンにしがみ付いて来たのである。
「辛かった、寂しかったは、あなたを抱き締められたそこで消えたの。罵りたい言葉だって無いわ。だって、あなたを前にしたら、愛しているってそれだけなんですもの。でも、これから辛くなったらあなたが助けてくれるのよね。あなたがずっと一緒にいてくれるのよね。それなら!やっぱり幸せしかないじゃないじゃないですか!」
「ああ!俺こそ君を幸せにしたいのに、君ばかりが俺を幸せにしてくれるよ?」
「あなたがいれば幸せですから良いのです!あなたが一文無しだって構わないわ!私には王様から秘密のお小遣いもあります。だから、あなたも、それから、これから生まれる子供だって、ご飯が無いって事に絶対になりませんのよ?」
「ちょっと待て。誰が一文無しだって?」
「あら?あなたに財産が無いから国が差し押さえ出来なかったのでしょう?」
「それはお前に残すために俺が賢く立ち回っ、いや。それよりも、俺が死んだ時にジジイに財産目録をちゃんと見せて貰っただろ?その目録はまだあるだろ?」
「あら、どこにやったかしら。そうねアラッシュはあとで読みなさいって言ったけどいいの。私はサインをして、あなたを全部手に入れた証が手に入ればそれでよかったもの。」
ヤスミンはその時の事を祖父にくどくどと何度も聞かされていた。
彼の遺体を自分のものにしたいそれだけしかなく、彼の借金を背負う可能性も受け入れた上で、迷いもなくサインをしたと。
だが、その後も自分の財産目録に目も通していなかったとはと、彼はかなりの衝撃を受けていた。
彼女は彼が一文無しだろうが、重罪人でも構わないと考えているのだと思い知ったからである。
ヤスミンは婚約者に再び両腕を回し、決して離すものかと抱きしめた。
ぎゅうと目も瞑ったからか、彼の目元に涙の温かみを感じた。
「ヤスミン?」
「一生可愛がるよ。一生君が一番だ。俺をこんなに幸せにしてくれる人は君しかいないからね。ちくしょう。俺が口説きたいのに俺の方が口説かれちまう。」
そこでヤスミンは再びマルファの頬に手を添えた。
今度は彼女に最高のキスを与えるために。
彼女から与えられる幸せを返す方法を、今のところ彼は「最高のキス」しか思いつかないからである。
しかし、唇が触れ合う瞬間に、窓ガラスが割れる勢いで叩かれた。
なんとアンナ一人だったはずが、ヤスミンを呪うメイゼルまでも増えており、彼女達はガラスにぴったりくっついてヤスミンを睨んでいるのだ。
「畜生!オーギュストの説得も効果なかったか!」
「ヤスミン。」
ヤスミンは軽くマルファの唇にちゅっとキスをした後、マルファの手を握った。
そして、これ以上ないぐらいの真剣な目で、彼女を見つめたのである。
「ヤスミン?」
「いいか、マルファ。まだ結婚まで間がある。俺へのルールに一文を加えてくれ。毎日必ず一回はマルファに最高のキスをする事と。そうすればそのルールを守っているだけと言って君にキスし放題になる!」
マルファは、台無しだ、と言って笑った。
それでもヤスミンは、この世で一番大好きで命よりも大事なマルファを笑わせられた事が、とってもとっても嬉しかった。
長く長くお読みいただきありがとうございました。
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