フェリクスの悩み事
お読みいただきありがとうございます。
フェリクス君の悩みです。
12歳になっている彼は、貴族の子供として最初の難関にぶち当たったのです。
あらあら?
本当にそんな言葉だ。
午後のお茶の時間にヤスミンが私を訪ねてくれたが、彼は一人どころか侯爵様と伯爵様、つまり彼の兄と甥を連れて来たのである。
それでも、久しぶりのヤスミンに会えることに私が嬉しいのは変わりない。
「皆様お揃いで嬉しいわ。それでね、ヤスミン、ムウチョのお家をありがとう。あの子はすっごくあのお家を気に入っているようよ?」
ヤスミンは、魂が抜けたような、ハハハという笑い方をして、彼の兄と甥っ子は親子そっくりな動作で横を向いて笑いを隠した。
「あのお家にまつわるなにか楽しい事がございまして?」
「い、いいえ!元お菓子屋さんのお店にムウチョがいるのは可愛らしいなって。」
「ええ!本当にそうですわね!」
私とフェリクスは笑い合うと、彼はぴょこんと立派な伯爵様がするように頭を私に下げると、何と貴族の若者がするように私を誘って来たのだ。
「これから僕と散歩を同行願いませんか?ルクブルール嬢」
「えっと。」
私の視線はヤスミンに流れ、私の視線を受けたヤスミンは片目を瞑って、行ってこいと口パクした。
あらあら?
久しぶりですわよね?私達は!
「俺はお兄ちゃんの助けを受けながらね、君を口説ける五分を今後は絶対に手にできるように、君の鬼婆を説得するんだよ。」
「まあああ!」
私は笑いながらフェリクスに、喜んでご一緒するわ、と伯爵令嬢風にお辞儀をしながら答えた。
「では参りましょう。ええとソフィは月曜はヨタカ亭でしたっけ?僕は彼女と話したいのでヨタカ亭にまず行きませんか。」
「まあ!そうね。ソフィもあなたに会えて凄く喜ぶと思うわ。」
「でも、あの。そこにいなかったら?」
まあ?
フェリクスは笑顔ながら思いつめた目を私に向けている。
「ファルゴ村に帰っちゃっていたら、私のムウチョをあなたにお貸しするわ。あの子は行き先を告げれば勝手に向かってくれるいい子だから大丈夫よ。」
「すごいお馬さんですね!」
「ええ!最高の馬なのよ。」
「寝とぼけた君を毎日安全に運んでくれるしな!あれは馬なんかでくくれないぐらいに賢い奴なんだよな。」
ヤスミンの割り込みの茶々には驚くばかりだ。
彼はこの間初めてムウチョに会ったばかりというのに!
「まあ!どうしてご存じなの?」
ヤスミンはそれはそれは軽薄そうな笑みを私に返した。
その微笑みは、学校の子供達の浮かべた表情にも似ていた。
「私がいない間に、村かクラルティで何かありました?子供達は何かいいことがあったみたいにニヤニヤしているのに、何も教えてくれないの。」
「何もないよ。秘密だったら内緒でしょ。そして俺が君とムウチョの事に詳しいのは、女は俺に内緒話をしたくなるものだからなのさ。」
「内緒話か?黙っているのはお前への情けじゃ無いのか?」
「まああ、ま、あら?」
ヤスミンが肘でオーギュストを押すなんて、親密な行動を始めて取ったのだ。
それからわかりやすいウィンクを兄にむけた。
「内緒よ、お兄ちゃん。」
「ま、全く!そうやってふざけるからお前は誤解されるのだ!」
「お前は固すぎるんだよ。」
「エマは私のこの固さがあるから私が好きだといっておる。」
「良かったな。硬いって女に褒められるのは最高だよな。」
「そうだ。……え、って、あ、お前は!」
月の光で出来た様な侯爵様が、暖炉の炎ぐらいに真っ赤になった。
そして、ヤスミンの背中をばんと叩き、ヤスミンは子供みたいなニヤニヤ顔をするだけで、兄に叩かれた事を怒る素振りも無い。
なんて砕けた振る舞いの二人の様子だろう。
オレリーという次男のせいで分かり合えない不幸だった兄弟が、今はこんなに仲良くなっているのね、と、私は嬉しいばかりである。
私はフェリクスに手を差し出した。
「では、私達は参りましょう。ソフィは流れる時間のような子。急いで捕まえなければ。」
「はい。」
そうして私とフェリクスはクロエが経営するヨタカ亭に向かったのだが、フェリクスはソフィに再会するや彼女の姿に驚いて固まった。
それもそうだろう。
少年の格好は変わらないが、彼女の髪は私と同じく肩のあたりまで伸びており、しかし私と違って琥珀色の髪は艶やかでサラサラと流れているので、彼女はとっても綺麗で可愛い少女にしか見えないのだ。
「久しぶり!フェリクスは相変わらず綺麗だな!」
「ひどい!男の子にキレイは無いでしょう?」
「でもさ、あんたの父ちゃんは綺麗としか言いようがないじゃない。父ちゃんに似て来たなって褒める時には、綺麗になったな、としか言いようがないぞ。」
「あ、そうか。」
流石ソフィ、一瞬でフェリクスを納得させた。
そんな凄いソフィは、私を見返した時は、呆れた様な顔付になっていた。
「どうしたの?ヤスミンは置いてけぼり?」
「と、いうか、父上を置いてけぼりにしてもらったんだ。ヤスミンに。僕は父上のいない所でソフィやマルファに相談したかったから。」
え?
私がフェリクスを見返すと、彼は両目からぽろぽろと涙を流していた。
「どうしたの?」
「どうした?」
「ぼく、僕はもう貴族やめたい。」
「どうしたの?」
「だって、僕は寄宿舎に入らなきゃ何だって。貴族だから!デジールの従兄弟たちは寄宿舎じゃない学校に通っているよ!従兄弟たちの学校を見学させてもらったけど、凄く楽しかった。でも、この間見学した寄宿舎は怖かった。軍隊みたいだった。ヤスミンが軍隊で出世できたのは、やっぱりヤスミンは貴族だから?お父様も寄宿舎で平気だったのは、お父様は凄い貴族だからだよね。でも、僕はあんな、あんなところに行きたくない。で、でも、それを言ったら、お、おとうさまを、かな、かなしませて。」
フェリクスはずっと心に押し込めて悩んでいたのだろう。
一気に言葉を吐き出すように声をあげ、言葉にならなくその後は大きくしゃくりあげ、それでも言葉を続けようとして、嗚咽が止まらなくなっているのだ。
私とソフィは顔を見合わせると、すぐにフェリクスの為に動いた。
ソフィはフェリクスの宥め役になり、私は物資の補給役だ。
私はカウンターにいるクロエに、ソフィと私が野外授業をするいつものように、外でお茶会をするとクロエに言った。
フェリクスを宥めるには、とにかくたくさん彼に話をさせるべきだろう。
誰にも聞かれないという環境の中で。
「ヤスミンはどうした?」
クロエはお茶入りのポットとカップをカウンターに上げながら、本気で不思議だという風に尋ねてきた。
クロエは金髪と青い目の美人であるが、料理人でもある彼女は背が高くて筋肉質でもある。
その姿は小説の中で正義のために戦う女戦士のイメージそのものであり、そのイメージ通りに彼女はとっても気さくで豪快で、とっても目敏いのだ。
「え、えへへ?」
クロエは呆れた様な顔をして見せた。
「あの馬鹿は寂しがり屋の甘えん坊なんだよ?躾として突き放しなんかするとね、あいつを冷静にさせるどころか、捻くれさせるだけだから悪手だよ。」
私は彼を突き放しちゃった金曜から今日までの事を急に思い出した。
私抜きでアンナと話したがっていた、という事は?
「うそ!私抜きで侯爵と一緒にアンナと話したがっていたのは、ひねくれての婚約解消の話合いだった?え、でも、ドレスの為にルクブルールに帰っていただけなのよ!」
クロエは、ごめん、と言った。
そして、パイをお詫びのようにしていくつか手渡してくれた。
「あの?」
「あいつはあいつなりに、ヒヨコの姑と戦おうとしているだけだと思うよ。負けても慰めてやるんだよ。たぶん今日も負けるから。」
ひねくれた男と、姑に負けるだけの男、どちらがいいのだろうか。
とりあえず、ありがとう、とだけクロエに言い、私は、わお、すでに荷馬車の方に行ってしまっていたソフィとフェリクスを追いかけた。
クロエ
ヨタカの森亭の店主
クラルティ町会議員であり、ミネルパの次に偉い人
パイが自慢の食堂経営者 食堂の二階は宿になっている。
クラルティの胃袋を担っている
金髪に青い目の背が高く筋肉質という大柄な女性。
両親は彼女の結婚した頃に流感で死亡。
彼女は飲んだくれの夫が幼い妹に手を出そうとしたところを殴り飛ばし、亭主は打ち所が悪くて死亡。殺人の罪には問われなかったが夫の家族に家を追い出され、彼女は妹を連れて放浪することになる。そんなところをブランディーヌに拾われて、彼女の娼館で娼婦達の食事を担っていた。
クラリスは妹
クラリス ヤスミンに片思いしていたクロエの妹。
姉と違い華奢で美人
マルファに嫌味を言ったりしたヨタカ亭のウェイトレス
彼女が結婚した事で昼から数時間の忙しい時間帯をソフィがヨタカ亭の助っ人をしているのだが、説明が冗長となるので単にソフィが月曜日にはそこにいる、という風にしています。




