雪の行軍
馬車の歩みは遅くなった。
何しろ雪だ。
今は冬なのだ。
ただし、雪山だろうが貨物が行ったり来たりしている道は、馬車の車輪が回るぐらいには道というものが出来ていた。
「バカな話だけどね、三日に一回、どちらかの軍が潜伏兵の探索と称して山脈を行軍するのよ。」
「かち合ったら?」
「その場合には見ない振りね。」
私はポーラの説明に、え?と疑問の声を上げていた。
彼は楽しそうな笑い声をあげると、私に囁いた。
「だって、目的は探索することで迎撃は含まれていないでしょう?」
「え?」
「だからあ、お偉いさんからの命令は、潜伏兵の探索よ。私達下っ端はね、ご命令が無ければ勝手に戦闘行為をしてはいけないのよ?少しお偉いさんの人が言うにはね。」
「それじゃあ、勝手に戦闘行為して戦勝してしまうヤスミンって、上層部には嫌われ者だったのですか?」
「アハハ、本当に酷い!惚れているとは思えない酷い言いざま!違うわよ、少しお偉いさんって言ったでしょう。見つけるだけで何もしない、は、ヤスミンが作ったルールなのよ。」
「まああ!」
「私達が見つけるでしょう?どうしますか、デジール中尉?すると彼は、妖精でしょう?って答えるの。疲れているんだからちょっと休もうか。ってね。」
そこでポーラはほっと溜息を吐き、馬鹿な男と、つぶやいた。
「部下が沢山いる大佐になったから、前線にひょいひょい出て行けなくなったと喜んだのに、身一つで乗り込む馬鹿に成り下がっていたとはね!右足を壊している癖に!」
「そんなバカな男を探しに行く私はもっとバカね。」
思い返しながら私は、その時にポーラに言った言葉と同じ言葉を呟いていた。
でもこれは後悔じゃない。
自嘲でもない。
だって、彼に恋した事を一つも残念だと思っていないのだもの。
「大丈夫かね?」
私は私を心配する声に、大丈夫ですと答えた。
アラッシュは片眉をあげて、嘘つけ、という顔を作って見せて、その表情がヤスミンに似ていると思ったら、自然にクスクス笑いが出てきてしまった。
「笑うぐらい元気ならば大丈夫だろう。私の顔が変なだけかもしれないが。」
「申し訳ありません。似ているなって思っただけですの。ヤスミンが年を重ねたらアラッシュの様になるのですね。」
「いいや。あいつは私の若い頃より不細工だ。今の私よりずっと落ちるよ。」
「ひどい!」
「うぉわん!」
まあ!
アラッシュのヤスミンへの扱き下ろしに対して、私は冗談交じりの抗議だったのに、ジョゼは本気の怒り声を出したわ。
この子は本当にヤスミンに一途なのね。
私はジョゼを撫でようと手を伸ばしたが、ジョゼはものすごい勢いで御者台の扉に向かって吠え出した。
「うおおおおん。おおおおおおおおん。」
そして、大きく半分遠吠えみたいな吼え声をあげた後は、開けろ開けろと言う風に、御者台への扉を吠えながらカリカリ引っ掻き始めた。
「ま、まあ!ジョゼ。」
「ドアを開けちゃってジョゼを出して。ジョゼの声に馬が脅える。」
私は急いで御者台の方ではなく側面の引き戸となっている扉を引き開けた。
大きく四角い空間が開き、薄暗かった馬車の中に眩いばかりの白い光と凍えるぐらいの外気が一気に押し寄せた。
ジョゼは一声吼えると、その冷たい世界に勢いよく飛び出していった。
「バカ!側面からだと何があるかわかんないから危険だろ!急いで閉めろ!」
「ごめんなさあい!」
ソフィの怒声に謝りながら急いで扉を締め直すと、馬車の中のアラッシュが私が開けた扉の向こうに向けて銃を構えている姿で、彼は私をぎろっと睨んだ。
「……ごめんなさい。」
「いい。私こそ機転が利かなかった。だが凄いな、ソフィって子は。」
「ええ。ヤスミンが懐刀のようにして大事にしていました。」
「ハハハ。じゃあソフィがあいつが自慢していた宝石か!確かにあの年ですでに光っている。磨くのが楽しみな逸材だ!」
「あはは。」
どうしよう。
私ったら、単なるヒヨコ、よ?
アラッシュはヤスミンが私をとても愛しているなんて言ってくれていたけれど、実はヤスミンがソフィについて語っていた事を私の事だと思い違いしていたかもしれなくてよ。
ヒヨコなんて磨いたら、羽毛が取れるだけでそのまんまお肉じゃないの!
どんどん輝く宝石と違うのよ!
「どうしたのかな?マルファ?」
「いい、いいええ。なにも。」
ガツン!
馬車の天井部分に硬いものが当たった?
反射的に私とアラッシュは頭上を見上げ、そのすぐ後にアラッシュは私に飛び掛かって私を抱きかかえながら床に転がった。
カツン!
私はどうして馬車の天井近くに穴が開いたのだろうと見つめ、次に、アラッシュが転がしてくれなかったら私の背中が撃ち抜かれていただろう新たな穴に視線が貼りつき動かせなくなった。
私が扉を開けたばかりに、銃を持つらしき敵に馬車の中身が何だったのか知られたのだ。
「わた、わたしのせいですわね!」
「それは万策尽きた時に言ってくれ。まだ穴が二つ開いただけだ。」
「ヒヨコ、じいさん!敵兵が!騎兵が向かって来た。馬車を道から落として奴らを交わすからね!馬車の中で怪我をするんじゃないよ!」
ソフィの大声で馬車は大きく揺らぎ、私の身体は馬車の中で少し浮いた。
そのまま私は馬車の中で転がったが、そんな私が痛い思いをしなかったのは、アラッシュが私の緩衝材となってくれたからであろう。
「ありがとうございます。」
「いいや、礼はソフィだな。すごいな。我が商会に本気で欲しいよ!あの子がいればどんな場所でも我が商品を運んでいける!」
アラッシュの目は輝いていた。
だけど、馬車が傾いで、ああ!横転しそう!
だああん。
「うあっつ!」
大きな破裂音が響き、同時にアランの痛みを訴える呻き声、そして馬車が少し揺らいだ。
だが、傾いでいた馬車はその揺らぎのお陰で安定を取り戻し、馬車は雪の中という道なき道を危うくなく進んで行っている。
「アラン!敵を一人やった上に銃の反動で馬車の傾きを直すなんて凄いよ!でも大丈夫だった?痛くないか!」
「っ、大丈夫だ。っは、ははは!だけどこれは凄い銃だよ。大砲みたいな威力がある奴だ!タダでもらえるなんて最高だ!」
「あはは!あんたはとんだ冒険野郎だな!」
アランとソフィの元気な掛け合いに私はほっとしたが、私を庇っていたアラッシュは大きく息を吸って御者台を見返した。
「はっ!アランって、あのアランか!あいつはあの最高の営業マンの奴と同一人物か?どうりで私からあっさりと銃を奪えたはずだ!」
罵倒でしかない乱暴な言葉であるが、その罵声を吐いたアラッシュの顔は嬉しくて仕方がないという表情を作っているではないか。
「頭と口だけでなく、機転も効いて度胸もあるとは!ああ、ちくしょう!我が商会に雇い入れる事が出来たら最高であろうに!」
アラッシュはやっぱりヤスミンのお祖父さんでしか無いようだ。
なんて、常識が無いのでしょう!
今は逃亡中ですのよ?




