さあヒヨコよ あの馬鹿の元へ飛んでいけ
ヤスミンの訃報を聞いた翌日、私はクラルティに戻るや、自宅に戻らずにポーラの店を突撃していた。
彼は私が店に飛び込んできた事を当たり前のようにして受け入れ、その日は店じまいをした上に私が願う通りにヤスミンを探すためのアドバイスを授けてくれた。
ルーンフェリアとイストエールは海と山脈によって別たれている二国であり、険しい山脈によって実は二国が建国した時からこの国境線は変わっていない。
だから戦争する時は海上戦か互いに山に入ってからの敵地侵攻となるが、山脈の侵攻ルートが決まり切ったものとなっている所に私は首を傾げるばかりだ。
確かに平坦となった道を選択すれば、馬で戦車や砲台なんかも軽々運べるのでしょうけれど、戦術なんか関係ない単なる物量作戦になるのではないの?
ポーラはそんな私に対して、ヤスミンみたいだと言って笑った。
「だから彼は少数精鋭を唱えていた人なの。身軽に動いて敵地に入って、敵が設置してある砲台を壊して味方の兵を陣地に入れる。もう!部下としては最悪よ。今度はこの道を行ってみましょう!行けるか馬鹿!と、あたしは何度あの男に泣かされたのか。」
「そう!だから今回の捕虜の人達は山越えをして逃げて来れたのね。普通は使わないルートを使って?……でも新聞だと国境を走り抜けてって。」
「ヒヨコちゃん?軍事秘密ってご存じかしら?」
「わかりましたわ。では、あの新聞では読み取れない事は沢山あったということですね!では!ヤスミンが生きている可能性だって!」
しかしその言葉にポーラは追従してくれなかった。
それどころか、兄か姉のように優しく私の肩をポンポンと叩いた後、兄や姉ではしてはくれない厳しい言葉を放ったのだ。
「軍部が正式に死を認めたのよ。」
「――わかったわ。希望は持たないことにします。では、ヤスミンが辿っただろうルートを教えて下さる?」
ポーラは山の地図に三本赤い線を引き、線が交わった一か所と、そうでない二か所に赤丸を付けた。
「秘密の憩い場。ここに馬車を置いて拠点になさい。そこから周囲を探索したら、もしかして、よ。探索時間は一か所に付き四時間。よくって?見つからないときは見つからない。見つかる時には見つかるんだから、人は諦めが肝心なのよ?」
私は卓に広げられた地図を見下ろした。
これは私達の目的であり、私達の命綱のような気もした。
「まずはここに辿り着くまで、か。」
ソフィの呟きに、一斉に地図を眺めていた者は頷いた。
クラルティから国境まで、馬車では優に三日は軽くかかるという距離がある。
馬車の動力が生きている馬だと言うならば、馬を殺さないように二時間ごとに三十分は休憩を取らねばならず、その場合でも馬車の速度は時速六キロ程度に押さえねばならないのだ。
そこに私達が宿屋などに泊まったりの時間を入れれば、きっともっと掛かるであろう。
「アラッシュ。あんた金持ちだよな。要所要所で馬を用意できるか?馬を替えればあたしらはそれなりの速度で走っていける。どのぐらいの時間短縮ができるんだろうな。」
「この小娘は!だが賢いな。我が商会はそこいらじゅうに支店がある。目的地までの馬の交換は私が手配しよう。」
わあ、凄い!
私はヤスミンに少しだけ近づけた様な気持ちになった。
そこで居間のドアが開いた。
なんと、マリーに案内されて来たのは、ポーラだった。
「ポーラも来てくれるの?」
「バカね。最終確認よ。あなたは止めても出ていくんでしょう?だったら、あなたに出来る限りの勝算を与えたいじゃないの。」
喪服のような真っ黒のドレスを着こんだポーラは居間に入って来たが、アラッシュまでも仲間に加わった事に目を丸くした。
けれど、彼はそのアラッシュこそ説得するようにして私達の傍に来るとソファに座らずに身をかがめ、卓の上に広げた地図のとある場所に指をついた。
「本当は公にしちゃいけないんだけどね。ヒヨコちゃん。赤じゃない色鉛筆があるかしら?」
私が急いで彼に青鉛筆を手渡すと、彼はこれが脱走兵達が逃げ出したルートだと言って、最初に指さした場所を丸く囲った。
それからそこから山脈に向けて線を描いたのである。
その線は彼が私に教えてくれた赤いラインとは重ならなかったが、その理由としてポーラはトンと青鉛筆で地図を指し示した。
「たぶんヤスミンは収容所からの脱走ではなくて、収容所からの捕虜の移送を試みたんだと思うわ。捕虜の移送の場合に使われる線路がここだから、このあたりで汽車を脱線させたんだと思う。ここの近くは警備が薄いから、一気に国境越えをする事が可能となるの。多分、ルーンフェリア兵の巡回時間にも合わせたはずだわ。」
「で、孫はどうして国境を越えなかった?」
アラッシュの答えだという風に、ここが分かれ道、と言ってポーラはもう一本矢印を引いた。
その矢印は彼が最初に書いた線へと繋がった。
「ケツ持ちしたからよ。それに無理を通すには右足が壊れ過ぎている。だからこっちに逃げたはず。敵国で動き回れたのなら、それなりの格好と装備はしているはずよね。生き残ることが出来たのならば、この青いラインからあたしがヒヨコちゃんの為に書いた赤いラインへの道を選ぶはずなのよ。」
アラッシュは、そうか、と言い、それからポーラを睨んだ。
感謝などまるでなく、まるで裏切り者を見る様な目つきだった。
「君は知っていたね。あいつの計画を全部、最初から知っていたんだね?」
「だからどうだって言うの?あいつは止められない。あたしには別の人生がある。だったら、最高の計画とルートぐらい相談に乗ってやるわよ。あいつが残していく心残りを守るぐらいやってやるわよ!」
ポーラは言い返すと、大きく息を吐き、ごめんね、と私に言った。
私は首を横に振った。
「あの人は止まらない。それは最初から分っていたもの。いつだって、彼は自分がいなくなるんだっていう行動しか取らなかったもの。」
「それがヒヨコを拾ったから驚いたんだって。」
「え?」
私の頭にポーラの手が乗った。
私はその手の重さで頭が少し下がった。
「かわいいヒヨコ。あたしたちがあなたを行かせたくないって思っている気持ち、それはわかるわよね。」
「ごめんな――。」
「あたしたちはあなたにあいつを連れ戻して欲しいとも思っている。」
私は顔をあげて、改めてポーラを見返した。
彼は出会ったばかりのヤスミンが向けてくれたような笑みを、ヤスミンがするようにして私に向けてくれた。
大丈夫だと安心させる、父親のような笑みだ。
「ヒヨコ。君は飛んでいきなさい。もう翼は羽ばたけるはずでしょう?あの馬鹿の魂を捕えに、あなた自身を取り戻しに、天高く舞い上がりなさい。そして、絶対にあたしたちの元にあなたは帰ってくるのよ。」
私は、はい、と答えていた。
お読みいただきありがとうございます。
首都から国境まで430キロぐらいを想定しています。
明治時代の「品川から横浜間が馬車で四時間だった」を元に速度やらを計算していますので、色々とおかしなところがあるかと思いますが、そこはフィクションのファンタジーという事でご容赦ください。
また、ポーラが脱線など不穏当な事を言っていた通り、主要地間には蒸気機関車が走っている線路があるという世界となっています。
だったら汽車で、と思われることでしょうが、国境線を越えるには巡礼馬車の振りをしなければいけない、という縛りがあるので馬車移動となっております。
ソフィだったらスっと国境越えしそうですが、マルファはトロいのです。
アントンさんはマルファが帽子屋の中に入った後に、逃しましたよボス、という風に帽子屋入り口を固めるつもりで出て来たのに、しっかりとマルファを通せんぼする事になって、非常に困られたのです。
ちなみに、ヤスミンの元気爺は75歳という設定です。




