母親は娘がほしいもの?
翌日、麗しきマリアーヌとソルドレ侯爵夫人が、アランに付き添われながら我が家を訪問してきた。
そこでメイベル・ソルドレが自己紹介をした時に知ったが、ソルドレ家は家名も爵位名も同じという、絶対に潰してはいけないという注釈付きの古い家柄であるそうだ。
だからこそマールブランシュ家にウンザリしているマリアーヌは、同様にソルドレ家にウンザリしているメイベルと親しく付き合って来たそうだ。
「ライバル?そんなの馬鹿な男達の話でしょう?婦人会ではそんな垣根なく付き合っておりますのよ。船が必要な所に取り残された夫がいたり、他所のお船に拿捕されて他国に連れ去られた夫がいたりしたら、残された私達はその間抜け亭主を海陸の垣根なく救いに行って頂かねばいけないじゃないですか!」
マリアーヌ様、ごもっともです。
さて、本日は初対面となるメイベルは、勇猛果敢で有名な陸軍大将の奥様と紹介されたら誰でも驚くぐらいに、とても小柄で可愛らしい人であった。
私は一瞬、リリアーヌを思い出し、懐かしさと悲しさと、それから目の前の夫人も外見通りの人ではないはずだと思い直した。
私は玄関から居間へと彼女達を案内し、居間の扉をどうぞと開けた。
女性達が部屋に入ってきた気配によって、すでに居間のソファに座っていた男性が立ち上がった。
今日のポーラはカツラは勿論だが、ドレスは帽子店の店員として立つような地味な色合いのものを着ている。
彼は里子だったフレイルではなく、いくらでも通りすがりにできる帽子屋のポーラとして、母と認めた人と会おうとしているのか。
彼は軽く腰を落とす挨拶をしたが、彼の目はメイベルから動かなかった。
「お、あの。」
ポーラが言葉が出なくなっている事に驚いたが、私が案内してきた私の横に立っていた老婦人が物凄い勢いでポーラにぶつかっていった事にも驚いた。
「ああ!フレイル!フレイル!あなたは生きていたのね!あなたは生きていてくれたのね!」
ポーラは声が出ないまま、それでもメイベルを抱き締めた。
メイベルは迷子を見つけた母親のようにして半狂乱になって抱きしめ、そして、彼女の口はフレイルと、彼の名前しか出てこない。
「フレイル!フレイル!ああ、あなた!どうして生きていたのに私の元に戻って来なかったの!どうして生きているって教えてくれなかったの?まだ軍のお仕事中なの?まだそんな事をさせられているの?」
メイベルはポーラの顔を両手で掴みポーラに言い募ったが、そこでポーラはようやく自分を取り戻したようにして微笑んだ。
それから自分の顔を包むメイベルの両手を自分の両手で優しくつかみ、自分の顔をからその手を下させた。
「ママ・メイベル。私はこれが私なんです。男の姿では生きていられない、それが私なんです。申し訳ありません。」
メイベルは大きく息を吸った。
皺で埋もれていた小さな目は驚きによって大きく見開かれ、そのせいで彼女を十歳は若返らせる効果をもたらした。
いや、表情が、喜び?だけではないのか?
「まあ!いいのよ。フレイル。子供が生きていたそれだけでいいの。私にはもうアントンとあなたしかいないわ。ええ、今の今までアントンしか残っていないって、それはそれは辛かった。そのアントンだって、あのヤスミンが悪い遊びに誘ったりしていたのよ。あの子が消えたら、私から子供達が全部消えてしまうって知っていながら!あのろくでなしは!」
「ま、ママ、座ろう。ね、座りましょう。」
ポーラこそ慌てたようにしてメイベルを席に誘い始め、私もそこで私がまだマリアーヌ様を立たせたままだったと知った。
うわあああ。
「マリアーヌ様、どうぞ、狭い所で申し訳ありませんが、どうぞ、お座りになってください……な?」
え?
マリアーヌの顔に浮かんでいる表情は、女装している男性を見た人間が浮かべるだろう蔑みどころか、物凄くウキウキしている、というものであった。
彼女は両手をパンと打ち合わせると、両目を夢見がちに煌かせた。
「素敵ね!」
「ええ。メイベル様の母親の愛は素晴らしいものですわね。」
「ええ!可愛い娘が出来たなんてすばらしいわ!あらあら、あなたはどうしてそんなにも地味な格好をなさっているの?あなたはもっと濃いグリーンか、その瞳の色が映える赤いドレスがお似合いになってよ。」
え?
マリアーヌはいそいそという風にしてメイベルが座った横にポーラを座らせたあとに、自分こそ親友のようにしてポーラの横に座りこんだのである。
「何が起きた?」
「僕のママは娘が欲しかった人なんだよ。だから君の社交デビューについて君が僕のママに何の相談もしてくれなかった事に、僕のママは勝手に傷ついていたらしい。」
「まああ!なんてお優しい方だったの!」
「なんて非常識な方なのって罵った方が良いよ。」
私は横に立つアランを見返せば、彼は肩を軽く竦めてみせた。
それから着てもいないドレスの裾を掴んだようにして両腕を広げ、なんと、貴婦人のようにして私に腰を落とす挨拶をして見せたのである。
「アラン?」
「初めまして。アリアンヌと申しますの。」
「え?」
彼は直ぐに背筋を伸ばすと、私に腕を差し出した。
私は意味が分からないまま彼の腕に自分の腕を絡めた。
「ハハ。二年前は楽しかったけれど、僕はやっぱり腕を差し出す方が良いね。」
「ええ?」
アランは私を腕にぶら下げながらソファへと私を連れていき、呆然としている私をソファに座らせると、私の横に腰を下ろした。
そしてすぐに、二人の熟女に囲まれて困惑顔のポーラを見ろと言う風に手を振ると、これが真実だという風に口を開いた。
「十六のデビューの時、僕は一回だけドレスを着ましたよ?男の子はつまらないって母がうるさくてね。半分冗談でドレスを着てやろうか?って言ったら、もう、大喜びで着せ付けられました。」
「あの伝説が、あなた?」
二年前にたった一夜だけの美女が出現した話は伝説となっている。
彼女を目にした人は全員が恋に落ち、未だにあれはどこの姫君だったのかと探し求められているという噂も聞いているのだ。
またその美女の出現は、世間に疑惑を与えて激震させもした。
マールブランシュ侯爵夫人が付添いをしていたということは、モルゾンかペルタゴニアのマールブランシュの姫君で、実はマールブランシュは裏で繋がり世界征服を考えているのでは無いのか?
そんな恐怖を世間に引き起こしたが、誰もその懸念を声に出さなかったのは、そんな気が無いマールブランシュをその気にさせたらもっと怖いと、みんながみんな考えたからであろう。
「伝説の美女って、あなただったの?」
アランはニヤリと笑った。
「兄に求婚された時には笑ったね。」
私はマールブランシュの無慈悲さに乾いた笑いをあげるしか出来なかったが、向かいに座るポーラがメイベルをずっと腕に抱き、両目に涙をためて感極まっている姿を目にできた事でほっと溜息も吐く事が出来た。
「ありがとうアラン。」
「いや、僕はデジールの悪口を言える機会を逃したくなかっただけだよ。」
アランは居間の戸口を指さし、戸口にいつのまにやらスーツ姿の身だしなみの良い大男が立っていて、その彼が私に頭を下げたのである。
どこかで見た事のある大男である。
「アントンさん。軍を辞めた後はメイベルの個人秘書をしている。それなのに、デジールに勝手にアドスンで名前を付けられて、クラルティの悪者の巣に単身潜入させられたんだって。僕もデジールには一昼夜尋問という嫌がらせを受けたし、今日はデジールへの悪口で盛り上がろうの会でもあるんだよ?」
「まああ!」
「君こそちゃんと吐き出すんだよ?娘を慰めて励ます母役を僕の母は体験したいようなんでね。」




