加減を知らない人達1
時間はお昼休憩中、午前の業務は終わったけれども、午後の業務が残っているので綾は目の前の事を手早く済ませたい。個人的なものを作る為、綾は作業机の前に座っていた。その隣にはエリスが作業を見守っている。
綾はこの前問題となったピアスの真珠を取り外し、他のものに付け替える作業をしていた。騒動の次の日にはアルフィがペリドットを何処からか調達し、綾に持って来たのには驚いた。これを使ってくれというアルフィの言葉に頷いた綾だったが、エリスに確認してみるとペリドットのピアスは家に腐るほどあると渋い顔をした。自身の瞳の色ペリドットを大量に贈る、アルフィの…愛が重い。思わず遠い目をしてしまう。
依頼者ファーストを心掛ける綾は、ムーンストーンをピアスの中心に付け、ペリドットは付け替え用に加工してエリスに渡した。…アルフィには、心の中で謝っておくことにする。
「本当は、真珠が良かったけどね」
エリスがふふふと笑いながら、出来たばかりのピアスを見つめている。一応真珠の方もエリスに渡してある。すでに加工してしまった後だったし、一度差し上げたものだったからだ。
「残念ですが、大騒ぎになりますからね…」
「でも養殖真珠が成功したら、堂々と着けられるわ!」
トパーズの瞳を輝かせて、エリスはグッと拳を握り締めた。
「上手くいっても、数年後ですよ?」
「数年なんて、すぐよ!すぐ!!」
エリスの姿勢は前向きで、大変結構なことだ。
「あ、蝶だ」
メッセージの蝶は、正式には『伝令蝶』と言うらしい。虹色の光の蝶にも魔力の個性が現れる。魔力の残滓が淡い青色なので、クロードだろう。綾の周りをくるくる飛び回っている。それが『これ以上抑えるのは無理なので、申し訳ないが、堪えてくれ。クロード』と文字になった。同じ文字を読んだエリスも、首を傾げている。
「え、主語!主語がないんですけど!?」
そう綾が叫んだ瞬間、彫金棟にある作業場の扉がバンと音を立てて開かれた。振り返ると、数週間ぶりに見た人物が、綾の方へズンズン近寄ってくる。
淡い金髪にクロードによく似たアクアマリンの瞳、笑顔を浮かべたレナードだった。目の下にクマが出来ており、目も血走っている気がするのだが、理由を知りたくない綾は頬を引き攣らせながら挨拶する。
「こ、こんにちは、レナード様。三週間振りぐらいでしょうか?」
「正確には、三週間と四日振りだね。兄上から話を聞いてから三日、僕は全力で準備を進めたんだ!」
「そ、そうですか…お疲れ様です」
「養殖場所の選定と設備の設置、網類など道具の発注も済ませたし、虹色貝の確保や作業員の募集も終わってる。国への成長促進魔法の許可申請も済ませた!詳細な資料があったから、出来るだけのことはしたよ!さぁ、綾行こうか!!」
レナード様、仕事早過ぎっ!!クマの目立つ笑顔は、それだけで迫力がある。それが綾に近付いてくるのだから、思わず後退りしそうになったが、何とか踏みとどまった。
「ああ!!成長促進魔法って手があったわね!!」
弾んだ声でエリスが手を打つ。その嬉しそうな顔は、期待に満ちていた。
「え、この後私は仕事で…」
対する綾は、逃げ腰である。
「大丈夫!兄上にも父上にも許可は取ったから!!」
既に退路は断たれているらしい。綾は視線を泳がせ、必死に逃げ道を探す。だって、目が血走ったレナードが怖いのだ。今の彼は冷静でない気がして、流されたら終わりだと本能的に綾は悟った。
「でも、レナード様はかなりお疲れのご様子ですし、急ぐ必要もないのでは?」
「ちょっと睡眠時間を削ったけど、全然平気だから!!むしろここで休めって言われたら、僕泣くよ!?」
「ええっ!?」
古典的な泣き落としという名の脅迫に、綾は陥落寸前だ。多分、削った睡眠時間はちょっとではなさそうな気がするが、突っ込むことも出来ない。ここまでかと思ったその時、そこにすっと黒い影が刺す。
「何か面白そうな事が起こっているな」
音もなく現れたのは、白銀の髪に漆黒の服を纏った美丈夫、シリウスだった。綾は約一ヶ月振りの再会だが、相変わらずキラキラした容姿をしている。金色の瞳は好奇心に輝き、口元には笑みが浮かんでいた。
「伯父上!おかえりなさいませ!ご無事で何より!ええ!ええ!!そうなんです!」
レナードがシリウスに詰め寄り、養殖真珠の話を熱く語っている。レナードから距離を取れた綾は、ほっと息をついた。その間に綾は、仕事道具を手早く仕舞うと、クリストフに確認の為の蝶を送る。『伝令蝶』は便利なので、変形魔法以外の魔法では一番最初に綾が覚えた魔法だ。
すぐに返事の蝶が届き、『特別業務として、レナードが納得するまで付き合ってやってくれ。数日経っても戻らなければ、責任を持って迎えに行く。健闘を祈る!クリストフ』
綾が覚悟を決めたのと、シリウスに腕を掴まれマーレに転移したのはほぼ同時だった。
目の前には、青い海が広がり波の音が鼓膜を震わせる。潮風を頬に感じながら、綾が辺りを見渡すと、海と反対方向に庶民が住む一軒家くらいの建物があった。港の端に位置している様で、あまり喧騒は聞こえない。
綾の腕を掴んで転移したシリウスは、綾の腕を離すとレナードと共にその建物の方へ歩いて行く。慌てて綾も後を追った。
「時間がなくて、何もかも急拵えだけど、今はまだ実験段階だしおいおい設備は拡充していくつもりなんだ」
レナードが躊躇いもなくドアを開けると、カウンターにはソフィアの麗しい姿があった。簡素なワンピースを纏っているものの、輝くような美貌に翳りは一切無い。
「ソフィア、居たのか」
シリウスが目を丸くして驚いている。
「もちろん!だってこんな面白い事、無視できないわ!!」
ソフィアも養殖真珠の事業に興味があるようだ。タンザナイトの瞳は、好奇心に輝き子供のようにはしゃいでいる。
綾はこの場所に暴走する人間を止める人はいないのだと、瞬時に悟った。そして腹を括って、頬を叩き気合を入れたのだった。




