エリスの依頼
メルヴィルの不可解行動は、綾を心配してグリフォンに乗って様子を見に行くつもりだったかららしい。予定にない行動をすれば、領民が訝しむからと、必死にロスウェルや他の騎士たちに止められ、領城内だけで今か今かと綾達を待っていたのだとか。
それを聞いた綾は、心配をかけてしまった事を申し訳なく思ったが、なんだかくすぐったい様な気分にもなった。
「あの人ったら、困ったものよね。年甲斐もなく…」
呆れた顔をして溜息をつくパメラ。パメラの口調が、気安い相手に対してのものだったので、綾はメルさんとパメラがどういう関係か気になったが、それを問う前にエリスに話し掛けられてしまう。アクセサリーを依頼したいという内容だ。
「お茶会、ですか?」
「そうなの、内輪の気楽なものなのだけれど。子育てと仕事で忙しくしてたから、久し振りに友人達と会うのよ」
一月後に行われるお茶会で、学生時代の友人達と会うのだと話すエリスは、本当に嬉しそうな顔をしていた。その表情から、とても楽しみにしている事が、綾にも伝わってくる。
「それで新しいピアスを作って欲しいという事なんですね。デザインの希望はあります?」
「少し大きめで、揺れるものが良いわ。今回、子供達は家に留守番だから、引っ張られる心配もないもの」
子供は動くものや揺れるものが好きだから、母親になるとそういう心配も必要なんだなと綾は心にメモをした。こういう情報は、デザインを考える場合の、参考になる。
「なるほど」
「良いわねぇ。子育て中の息抜きは大切だから、そういう時間は大切にした方が良いわ。気分転換にもなるし」
綾はエリスが、とびっきり気分が上がるものを作らなくては!!と拳を握って気合を入れた。
「それって、エリスの依頼のやつ?角素材使うんだ?」
綾のブースの入り口付近に立って、エメリックが話しかけてきた。綾は作業の手を止めて、振り返る。私的な依頼なので、業務外の時間を使っていた。空が夜の帷を下ろし、高く取られた窓からは、星がのぞいている。
「そう、大きめでも、角素材だと軽いし」
「チェスターから買ったやつだろ?それ」
主要な部分をくり抜いた後の、半透明のグレーの角の板をエメリックが指差す。
「そう、個人的に仕入れたの。角兎の角なら、それ程高くないし」
商人のチェスターが彫金棟にやって来たのは四日前で、前回注文されたものの納品だった。綾は初対面だったが、チェスターはとても話しやすい人物で、話が弾んだ。クロードからプレゼントしてもらった米やお菓子の味から話が始まって、気が付いたらマーレの貝殻から型をとって、アクセサリーにしたら良いのではないかと、平民向け商品の提案までしてしまった。ハッと気が付いた時には、チェスターに満面の笑みを向けられていて、顔が赤くなってしまった綾だ。
チェスターは人の好みを探るのが趣味だから、気にするなと皆に言われたが、調子に乗って話しすぎてしまったのが綾は恥ずかしい。さすが、凄腕の商人だ。
「ちゃんと、消臭箱に入れた?」
消臭箱とは、素材の匂いを取る魔法が付与された箱で、その中に物を入れると臭いが消える優れものなのだ。靴の収納棚によくその付与魔法は使われているらしい。便利!
「もちろん!丸三日入れてから使ってる。それより私、角素材があんなに臭うなんて知らなかったよ!」
綾はいつも消臭済みの素材を練習に使わせてもらっていたから、今回初めて消臭前の素材を手に取った。顔を近付けなければ、気にならない程の匂いだが、それも数が多く纏まった量となるととにかく臭い。
「あれ、独特の匂いだよな…野生的って言うか…」
「野生的…確かにそうだね」
エメリックが、綾の手元を覗き込む。
「透かし彫り?へぇ、凝ってて良いね!華やかなのに、上品なデザインだし」
「色味がグレーで地味だから、このくらいの細工はしないとね」
「アヤは細かい細工が得意だもんな」
「練習の成果を出さないと!」
クリストフの勧めで、比較的人気のある素材の使い方と加工の方法を教えてもらって、綾は特訓しているのだ。今は角素材の練習をしていた。角素材と言っても色々あるが、よく出回っているのはバッファローの角と、角兎の角だ。
前の世界では、金属の加工しかしたことがなかったが、こちらの世界に来て色々な素材に触れられて、綾は世界が広がった気がした。
「アヤは真面目だなぁ」
「色々な素材が使えて、デザインの幅も広がって、私は嬉しいけど?」
「まぁ、自分の得意な素材が増えるのは良い事だけどね」
「それに、お世話になっているエリスさんのお願いだから、張り切っちゃうのよ」
頑張れと頭を撫でられ、エメリックは隣のブースへと戻る。…子供扱いされるが、エメリックだと気にならない。いつの間にか親友というより、家族の距離感になっている気がする。見た目は弟でも中身は兄みたいな…それが綾には何だか、くすぐったかった。
気を取り直し、目の前の作業に集中する。透かし彫りは繊細な作業だが出来上がっていくごとに、達成感がある。研磨すると艶が出ていっそう美しく輝いた。
ずらした大小の丸は、月のような形をしていて、精緻な透かし彫りになっている。小さな丸の空洞に、何か石を入れたくて綾は手持ちの素材を思い浮かべた。
この前行ったマーレで、真珠を見たことを思い出し、手持ちの穴の空いた真珠をアイテムボックスから取り出した。真珠素材は人気なので、前の世界で仕事をしている時も多めに在庫を仕入れていたのだ。大きさも小さめのものと大きめのもの、少しピンクがかったもの、金色と、黒真珠は少ししかないが、今回は小さめの粒のベーシックな白が良いだろう。
「うん、良い出来!」
出来上がったピアスを綺麗な布で拭き、黒い箱に丁寧にしまう。作業が終わる頃は、すっかり深夜になっていた。
この選択が後に騒動になるとは、この時綾は考えてもいなかった。




