執務室の二人
場所をクロードの執務室に移した二人は、二人してソファに腰掛け溜息を吐いた。勤務時間外なので他に誰もいない。だからこんなダラけた姿を晒していられるのだ。
瞼を閉じ、こめかみを揉むクロードの前に水の入ったグラスがコトリと置かれた。アルフィに礼を言うと、本当は酒が飲みたい気分だと笑う。クロードも今日は酒を飲んでさっさと眠りたい気分だが、そうも言っていられない。やることは山ほどあるのだから。
さっきから諦めた様な儚げな笑顔が、クロードの瞼の裏に焼き付いて離れない。
「理不尽を怒って、泣き叫んでくれた方がマシだと思ってしまうのは私だけか?」
「私も同じ気分だよ、クロード」
二人だけしかいない場合、アルフィの態度は崩れる。そうと言うのも、学生時代からの友人だからだ。領主になったクロードが泣き付いて、王城で文官として働いていた彼を引き抜いたのだった。今はクロードの補佐をする、秘書官として働いてもらっている。
柔和な雰囲気と笑顔に騙されがちだが、常に冷静沈着にして公正な判断をするのでクロードはアルフィを信頼している。敵に対しては容赦なく振る舞う冷酷な一面も持ち合わせており、敵に回られた時点で詰んだと思える様な男だ。その分、味方でいる分にはとても心強い。
「王都のメイナード様から、追加で詳細な報告書が送られてきた。それによると今回の召喚の儀は王や宰相にすら知らせず、第一王子が独断で行った事のようだな、今王城はてんてこ舞いらしい」
やれやれと紙を見つめつつ肩をすくめるアルフィの顔には、呆れを通り越して第一王子への侮蔑が透けて見える。
今回の召喚の儀式は、賛成派と反対派で議会を二分する論争になっていたのだった。おおよそ百年に一度のそれに対する議論は、苛烈を極めた。
長年戦争をしてきた魔族の国クラデゥス帝国への苦肉の策として、過去に異世界人を召喚してきた歴史がある。その中に勇者という格段に強い者が現れ、エナリアル王国を救ってきたのだ。
現在クラデゥス帝国との和平が保たれた今の状態で、行うべきではないと言う反対派の筆頭、宰相であるマヴァール公爵と、その甥にあたる第二王子フレデリック。平和な今だからこそ、異世界の知識や技術を欲した賛成派、魔道大臣であるアラバスター公爵とその甥の第一王子ベリスフォード。どちらの意見にも与しない中立派。
議論は平行線のままだったはずである。王も右腕である宰相の意見を無視できず、かといって強大な権力を持つ魔道大臣を敵に回したくはない。暗愚ではないが凡庸な王は、どちらにも否やとは言えなかったのだ。
ただ、最近は宰相と第二王子が、異世界人の知識など無くても国を発展できる事を証明するために、いろいろな改革に乗り出し結果を出していた。その為、議会が反対派の意見に偏り始めていた矢先の出来事で、恐らく明日の議会は紛糾するだろう。ウラール地方を統べる領主であるクロードにも、何らかの知らせが来るかもしれない。
結果を出して議会の信任を得ていく第二王子。弟が優秀過ぎて焦った末に、どうしても実績が欲しかった第一王子は、魔道大臣の協力を得て強行に及んだのが真相であるらしい。
「私は今、宰相の言葉の意味を痛い程思い知ったよ」
あれ程強固に召喚に反対していた理由は、人道に反する行為だからだ。そもそも召喚の儀は禁忌の魔術だ。それ故、それに加担した魔術師は呪いを受けるという。そこまでして行う意味がないと反対派は主張した。平和な時代だからこそ、不利益が利益を上回ると。
「確か、宰相の曽祖母様が異世界人だったか…。しかも宰相は黒髪、この国では珍しい…」
先ほどまで話していた黒髪の人物を思い浮かべる。儚げな笑顔を思い出し、クロードの胸が痛んだ。
「偶然だと思うか?」
クロードは自身の右腕である男を見つめる。勘だとしか言えないが、どうも気になって仕方ない。
「どうだろうな?他に召喚された異世界人は、黒髪ではないみたいだが?」
赤髪の青年が一人、茶髪に緑色の瞳の少年が一人、茶髪に碧眼の青年が一人、金髪の少女が一人計四人。ここに綾を入れると五人となる。
「アルフィ、アヤに対してどう思った?」
空っぽのグラスを手の中で弄びながら、親友の反応を窺う。
「彼女の言葉遣い、態度は自分の立場を弁えていて、好感が持てると思う。取り乱すこともなく冷静さを保っていたし、…論理的な思考からは、その国の教育レベルの高さが伺えたな」
基本評価が辛いアルフィが誉めるのだから、彼もアヤを気に入ったのだろう。自分が褒められたわけでも無いのに、嬉しく感じてしまうのは何故だろうか?
艶があって光の輪が浮いた髪、思慮深さを思わせる黒曜石の瞳の輝き、抱き上げた時に感じた花の様な香りは、服から香っていたように思う。見た目だけなら貴族令嬢にも劣らない。身なりは清潔で品があり、育った環境も良かったのではないかと思う。貴族の令嬢とまでは行かないまでも、裕福な商家の娘の様な立ち振る舞いだ。
「そうだな」
少し話しただけでも、知識が豊富そうだと感じた。クロードの興味を引くぐらいには。
「まさか、クロードが彼女を匿うとは思わなかった」
苦笑いを浮かべるアルフィから、クロードはふいと視線を逸らす。
「女嫌いで有名な領主様にしては、珍しいこともあるもんだ」
アルフィは口角を吊り上げて、茶化した。別に女が嫌いなわけではなくて、学院時代に嫌気がさしただけなのだが、とクロードは反論したい。
「苦手な人間に女性が多いだけだ」
「ふぅん、まぁ男色を疑われるより良いと思うぞ?」
「…それ、まだ噂が残ってるのか?」
「面白半分に噂されてるだけだ。身近に接していれば本気にはしないが、中途半端な距離の人間だと信じるかも知れないな」
普段、そんな噂など無視を決め込むクロードだが、綾には何故か知られたくないと思った。それがどういう感情なのか、掴めないでいる。
ムッとして黙り込んだクロードは咳払いをすると、強引に話を戻すように話し始めた。
「…異世界人がこんな辺境に飛ばされる事自体が稀なのだから、黙っていれば分かるまい。中央の貴族は田舎に足を運ぶ事は滅多にないしな」
「それはそうだが…本当に良いのか?」
アルフィの心配はクロードも理解できる。王族に睨まれるのは歓迎できない事だろうから。
「嫌がっているアヤを中央に引き渡した方が、後味が悪いだろう?それに、国外に出奔されるより、許容出来る。もしバレても何とでも言い訳は出来るだろう」
異世界人だと気付かなかった、知らなかったと言っても何も問題はないはずだ。魔法陣に浮いている姿を見たのは、クロードとエメリックだけなのだから。
一人で出掛けて本当に良かったと思う。箝口令を出した所で、人の口に戸は立てられない。それならば、最小限の信用できる人間だけの秘密にしてしまった方が良い。
「本当に理由はそれだけか?」
ペリドットのような澄んだ緑色の瞳が、クロードを見据える。
「…どう言う意味だ?」
「釣り合うだろう?魔力」
友の言葉は多くを語らずとも、核心を突いてくる。
「…そうだが、別にそういう目的じゃない…」
ボソボソと語尾が弱まり、珍しく言葉を濁すクロードを見やり、アルフィは口角を上げてニヤリと笑う。まるでお見通しだとでも言う様に。
「クロードには残念かもしれないが、彼女はお前の無駄に綺麗な顔にも大して動じていなかったな?それとも顔に寄ってくる女じゃなかったから、好感度が上がったか?」
付き合いの長い友人には、クロードの心の内など簡単にバレてしまうらしい。別にやましい想いは無いが、好感度が上がったのは事実なので否定し難い。
「…知り合いも誰もいない世界に放り出されて心細いだろうに、それでも自分の力で立とうとする人間には、自然と手を貸したくなるだろう?」
ただそれだけだ、深い意味なんてない。無いったらない!
「まあな」
アルフィの同意に内心胸を撫で下ろす。本気で反対なら、あの場でクロードを諌めたに違いないが、何も言わなかったのがその証拠だ。
「それにしてもクロードの矢継ぎ早の質問に、顔が引きつってたな?彼女」
助けを求めて自分に視線で訴えていたと、アルフィは笑う。
「そう、だったか?」
言葉に詰まりつつも、質問には答えてくれていたと思ったが。ただクロードは人の感情に鈍い部分があるので、友の視点は参考にしている。
「もうちょっと上手くやれよ?これからは」
「上手く?」
そういう部分が苦手なのだが…と思いクロードが首を傾げると、前途多難だとアルフィは肩をすくめて見せた。
いつの間かクロードの手は、左手首の腕輪を無意識に触っていた。
彼女から手渡された男性用の銀の腕輪は、今自分の腕にある。槌目にオニキスの石が付いている、シンプルながら品が良いデザインだ。気に入ったので売らずに後で、魔法付与してみようかと考えていた。どの様な結果が出るだろう?異世界産だと言うだけでも、興味深い。
アヤの髪や瞳の色を思わせる艶のあるオニキスを見詰めて思う。多分彼女は、自分の髪や瞳の色のモノを異性に渡すのは、この国では愛情表現なのだと気付いていない様だった。賄賂だと言っていたし…。思わず笑いそうになって、慌てて笑みを引っ込めたが、アルフィには気付かれてしまったかも知れない。
それを誤魔化すように咳払いをし、手首の感触を確かめる。笑っている場合ではないな…。暫く精神的に不安定な状態が続くかも知れない。知り合いも誰もいない世界に放り出されて、不安がないはずがないのだから…。
家族と離れるだけでも辛いのに、恋人がいたら、更に辛いだろう。そう言えば、自分を誰かと間違えたように呼んでいた姿を思い出す。ーーギンと聞こえたが…。
「万が一のことがあってはいけないから、エリスに今晩は彼女から目を離さないように伝えておいてくれるか?」
「心得た」
アルフィは立ち上がり、エリスの元に向かった。クロードも会わなければいけない人物がいる。さて、何と言われるだろうか…。