思いがけない対面
二人で馬車留めまで戻り、それぞれヴァイスとソレイユの手綱を引いてマーレの街を出た。
「ソフィア様のいらっしゃる屋敷は、町中にないのですか?」
綾が不思議そうに、クロードに問いかけた。
「ああ、少し離れた場所にあるんだ」
馬に乗って向かったのは、海に面した崖の上だ。そこに、瀟洒な屋敷が聳え立っている。クロードの母ソフィアと弟レナードが暮らす屋敷は、派手さは無いものの、さりげなくレリーフなどの装飾が施されていて、父クリストフの拘りが見て取れる。すぐ近くには、ウラール地方騎士団の滞在施設もあり、警備にも抜かりがない。
遠くの小高い丘にポツポツと見える屋敷は、貴族や裕福な平民達の別荘だ。避暑地として人気のウラール地方だが、バドレー領のマーレは海があるので特に人気が高い。
「いらっしゃい、ソフィアです。急にお呼びたてしてごめんなさいね」
出迎えたのは白銀の髪に、タンザナイトの青紫色の瞳の美しい少女ソフィア。実は少女ではなく三百歳を超えた立派な成人女性なのだが、どう見ても十代後半から二十代前半くらいにしか見えない。父であるクリストフと並ぶと、夫婦というより親子に見える為、初めての人間は大抵驚くのだ。
その姿を見慣れたクロードは何とも思わないが、初めてソフィアを見た綾は目を大きく見開き、次いで頬を染めて溜息をついた。うっとりとその姿を見詰める綾は、不本意ながらクリストフと気が合いそうだった。
「母上、アヤだ」
「お初にお目に掛かります。綾と申します」
綾は膝を少し曲げて軽く頭を下げる、エナリアル王国式の礼をする。パメラ達に習ったのだろう、元々綾は姿勢がいいので、所作が美しいとクロードは思った。何故だか誇らしい気分でクロードが綾を見ていたら、ソフィアが扇子で口元を隠した。あ、笑われている…。
そんな親子のやり取りも、綾は気付いていなかったので、クロードは安堵の息をつく。母であるソフィアは、クロードの乏しい表情からでも感情を読み取れてしまうので、クロードの気分は落ち着かない。
あ、そう言えば、綾もクロードの表情から感情を読み取るのが上手かった気がする…。家族以外では、友人ぐらいしかそんな人はいないのに…出会って二ヶ月程しか経っていない綾が、クロードの感情を読み取る事を、今まで何とも思わなかったけれど…。そんなことを考えながら、クロードは不思議な気分で綾を見つめてしまった。
場所を海が一望出来る応接間に移し、ソフィアは綾に椅子をすすめた。ソファーに腰掛け、綾とソフィアが楽しそうに、談笑している。ソワソワしながらその光景を見つめるも、クロードは口を挟めなかった。母が時折意味ありげな視線でクロードを見遣るので、益々落ち着かない。
メイドと共に、見慣れた人物がカートを押して応接間に現れた。淡い金色の髪にアクアマリンの瞳、クロードの弟でバドレー家の三男のレナードだ。…何故給仕をしているのか…弟の行動は意味があるようでないことも多いので、クロードは気にしないことにした。…いや嘘です、気にするに決まってる。
紅茶の芳しい香りと共に現れたレナードが、綾の紅茶を手ずから淹れている光景は何の冗談だろうか…?クロードがジトっとした目でレナードを見つめても、レナードは全く意に介さない。我が弟ながら、行動が不可解だ。
綾が不思議そうな顔で、クロードとソフィアと、レナードを見比べている。…さすがに気付くだろう。髪色こそ違うが、レナードもクロードも母親似で顔立ちがよく似ている。綾が何か言いたそうにクロードを見るので、クロードは助け舟を出すことにした。
「…弟のレナードだ」
「綾です。クロード様やクリストフ様には、大変お世話になっております」
綾は立ち上がり、頭を下げる。
「そんな畏まらないで。レナードです。アヤさん、ゆっくりしていってね」
レナードは人好きのする笑みで、微笑んだ。
「アヤは乗馬に慣れてないんだ。そんなにゆっくりは出来ない」
お茶を飲んだら、すぐにでもクロードは出発するつもりだった。
「…でも、天気悪くなるよ?」
「え?」
レナードの言葉に、クロードは目を見張った。こんなに晴れているのに!?クロードは窓から空を見上げる。つい先程までは無かった、雲が出て来ていた。
「だって、ほらこの時間に船が戻って来てるだろ?天気が悪くなるからだよ」
レナードが海の方を指差す。レナードの言う通り、船が港に戻って来ていた。
「ウラール山に黒い雲が掛かってるし、風も強くなってる。多分一時間後には雨が降り出すよ。もしかしたら、今夜は嵐かもね」
庭の木々の葉が、風で煽られ大きく揺れていた。レナードの言う事に間違いはなさそうだ。
「……」
さすがに雨の中、慣れない綾に乗馬させるのは不可能だとクロードは悟った。クロードなら転移魔法を使って帰ることも可能だが、せっかくのデートがそれではあまりにも味気ない。
「今夜は泊まっていったら?」
ソフィアが嬉しそうな笑顔で提案する。
「アヤ、泊まりになっても大丈夫か?」
「心配なのは、着替えがない事ぐらいですね。私は明日も休みですから問題ないですけど、クロード様こそお仕事は大丈夫ですか?」
綾はクロードを気遣う。綾が心配そうな顔をクロードに向けるのは、何だか悪くない気分だった。
「私も何とでもなるから大丈夫だ」
と言うか、アルフィが何とかするだろう。持つべきものは、優秀な秘書官だ。
「じゃあ、泊まるので決定ね!アヤさん、着替えの心配はしなくて大丈夫よ!部屋も用意させるわ!ふふふ、沢山お話し出来そうで嬉しいわ!」
ソフィアはノリノリで、侍女に手配を頼んでいる。クロードはソフィアがこうなることを予想していたのではないかと疑っていた。例えるなら、まるで知らない間に罠に嵌った、哀れな獣の気分だ。でも、そうだとしても、綾と過ごす時間が増えるのは、クロードには嬉しいのも確かだった。
レナードは今日は給仕に徹しているらしく、恭しくティースタンドを運んできた。綾の目はそれに釘付けだ。
三段のティースタンドの上には、下段から数種類の小さめのサンドイッチ、二段目にはクロテッドクリームとジャムを添えたスコーン、一番上段は色とりどりのマカロンに、プチケーキ、小さなガラスの器に入ったムースやゼリーは見た目にも華やかだ。クロードの隣に座った綾は、黒曜石の瞳を輝かせている。明らかに喜んでいる綾に、クロードの頬も緩んだ。
「僕も隣に座っていい?」
レナードが綾に問いかける。綾が快く承諾している姿を見て、クロードはモヤっとした気分を抱えた。ソファは大きいので、レナードも余裕で座れる広さだが、どうしてわざわざ綾の隣に座る必要があるのか。ソフィアの隣だって空いているのに、だ。
「私の隣では嫌なのか?レナード」
大人気ないとは思いつつも、クロードはそれを阻止したかった。
「…兄上、普段なら絶対言わない台詞ですね」
「そうか?昔のように、膝抱っこでもいいぞ?」
昔よりも遥かに大きくなった弟に言う台詞ではないと自覚しているが、クロードは構わなかった。笑顔のクロードを見つつ、レナードの頬が引き攣っている。
「…遠慮しておきます」
そそくさとソフィアの隣に座ったレナード。はじめからそうすれば良いのに…とクロードは思う。扇子で顔半分を隠しているソフィアだが、肩が震えているのを隠しきれていない。笑いたければ、笑えばいいとクロードは開き直った。
「兄弟仲が、いいのですね」
綾だけはマイペースに、紅茶を美味しそうに味わっている。うん、綾に気付かれなければ、それで良いのだ。




