領主との面会4
コホンと咳払いが聞こえて、綾は居住まいを正した。二人の笑いが納まって、クロードが仕切り直しとばかりに口を開く。
一度緩んででしまった空気は元には戻らないが、緊張が取り払われた分話しやすい雰囲気になっている。クロードはまだまだ決めなければいけない事があると、気を取り直して今後の話をし始めた。
「敷地内にバドレー領の事業を行なっている場所がある。そこに職人達の寮があるから、アヤにはそこに住み込みで働いてもらう事になると思う」
領城はウラール地方全体を取り仕切っている場所だから無関係ではないが、役所的な仕事が主なので明確にバドレー領だけで行なっている事業とは分けているらしい。
事業の内容などは領によって秘匿されている事もあるだろうと、綾は納得した。企業秘密的な技術などもあるのかも知れない。
「はい、住み込みなのは助かります」
「ただ、準備には時間が多少かかるから、暫くは今の客間にいて欲しい」
物凄く豪華な客間に気後れしてしまうが、仕方ないのだろう。だが、長期間は遠慮させて貰いたいところだ。綾は平々凡々とした小市民なので、早く身の丈に合った生活に戻りたい。
「掃除ぐらいなら、自分で出来ますよ?」
出来れば土足厳禁にして、日本風の部屋にしてみたいと綾は考えた。部屋で靴を履くのはやはり慣れないからだ。
「ほぼ何もない状態なので家具などを入れなければ、とても生活出来ない。と言うのも女性の職人が少ないからなのだが…」
「少ないとはどのくらい?」
「彫金師の女性は、君を除けば一人だけだ」
「本当に少ないのですね」
「木工職人は多いのだが、宝飾の仕事は新しい分、職人が少ない」
「最悪ベッドさえあれば、他は追々で大丈夫ですけど」
「…君はもう少し…いや、まぁ良いか」
…クロードが何を言いたかったのか分からぬまま、綾は首を傾げる。勘だが何となく、呆れられた気がした。先程女子力の無さを痛感したばかりだというのに、さらに決定付けた感じだろうか。だが、女子力とは一朝一夕で得られるものではないのだ。
「取り敢えずもう少し待ってくれ。日程は後日伝えよう」
綾はそっと首の後ろに両手を回し、ネックレスの留め金を外すと、服の下から引き抜いた。金の繊細な鎖がシャラリと揺れ、輝く石が照明の明かりをキラキラと反射する。
「あの、これを受け取って貰えませんか?」
ティーテーブルの上にそっと置くと、クロードは丁寧な仕草で石を摘み、確かめるように手の平に乗せた。『鑑定』しているのかも知れない。
「ダイヤモンドのネックレスか。透明度も高く研磨も素晴らしい」
「元々は父が母に贈った婚約指輪なのですが、嵌めてなかったのを勿体無いなく思ってネックレスに加工し直したのです。母に渡したら私にくれると言われたので。これを換金して、元手にしようと思っていたのですけど。これから必要な物をそこから払って欲しいのです」
「…大事な物なのだから、持っていなさい」
呆れたような声音で突き返されて、綾は何も言えなくなってしまう。
「私の国には『タダより高い物はない』と言う格言があります。何か対価を払わないと落ち着かないので」
「君にかかる費用は必要経費だし雇用主の責任なのだから、君は気にする必要はない」
そうは言われても、生活する上で必要な物は多いし、着替えすらないのが心苦しい。女子力の低さを呪っても、服が降って湧いてくるわけではないのだから。
「では自分の作ったものなら受け取って貰えます?」
私はアイテムボックスから、完成された男性用のブレスレットを取り出す。くるりと螺旋の槌目の入った銀の本体に、黒い石が螺旋の隙間を繋ぐように配置されたデザインだ。
「これは?」
「えっと、お世話になりますので、う〜ん…賄賂?」
綾が上目遣いにクロードを見れば、彼の目元が細められ少し緩んだ。
「くっ、賄賂か」
クロードは綾の差し出した両手の上に置かれたブレスレットをスッと受け取ると、また自身の手の平の上に乗せて検分しているようだ。先程とは違いティーテーブルの上に置かなかったので、距離が一瞬近づいて、そしてすぐに離れた。
近づいた時にクロードからフワリと漂った香りは、何故か嗅いだ事がある様な気がして、綾は内心訝しげに思う。
「黒い石か」
じっと綾を見詰めるクロードに、何か探られるような視線を向けられた。…黒い石は何か不味いのだろうか?
「オニキスです。これは天然ではなく、瑪瑙を人工的に染色したもので、安価な石なので、私のいた国では多く出回っています。石だけなら色々あるのですが、完成された男性向けのアクセサリーがこれしかなくて…」
オニキスはトルコ石と同様に男性に人気の宝石だが、こちらの事情は分からない。
「ほう、人工的に染色か…」
手渡したブレスレットのオニキスは、不透明な宝石によく使われるカボションカットだ。それを繁々と見詰めるクロードの瞳は、興味を引かれているように輝く。
「瑪瑙は多孔質なので染色し易いのです。他にも放射線照射で色を変えたり、高温処理された宝石なんかもありますよ」
人間の宝石への探究心は、凄まじいものがある。彼の瞳の色のアクアマリンだって、ベリルを加熱してその美しい色を引き出す事があるのだから。
「放射線とは?」
異世界人が伝えていない事もずいぶんありそうだなと、綾は思う。魔力を中心に発展して来た世界なのだから、放射線が必要とされなかったのだろうと推測する。
「えっと、放射性物質から放出される粒子や電磁波のことです。医療に利用されたりもしています。でも放射線を浴びすぎると細胞の遺伝子を傷つけてしまうので、危険でもありますね」
「細胞?遺伝子とは?」
興味を引かれたのか、クロードのアクアマリンの瞳が更に輝く。ああ!私のバカ!どう説明すれば?誰か、スマホをください!
「え、…えっと、細胞というのは、生物の体を構成する、さ…最小単位の構造のこと…だったかと。い…遺伝子は生物の体をつくる設計図的なものです」
こ、これ以上は聞かないで!?答えられないから!!と内心叫びそうになりながら、引き攣った顔でクロードから視線を逸らす。
クロード様は、疑問を疑問のまま放って置けないタイプなのね。発言には気をつけなきゃ、いつか墓穴掘りそう!そう心の中で、失言に気をつけようと誓った綾だった。
助けを求めてアルフィを見ると、察したようにクロードに身を寄せ、耳元で何事か囁いた。ずっと出来る男という雰囲気を醸し出していたが、綾の評価に間違いはなかったようだ。
「このような話は、また次の機会でいいな」
コホンと咳払いをして、仕切り直したクロードは綾に訊ねる。
「他に質問は?」
「…いえ、特にありません」
これで面会は終了すると綾は思った。だがクロードは困ったように眉尻を下げると、躊躇いがちに口を開いた。
「ーーどうして君は、肝心な事を訊かない?」
その声は真摯に綾に向けられ、そのアクアマリンの瞳は綾を見据える。
「元の世界に帰れるかを、ですか?」
「…そうだ」
二人は視線を絡ませたまま、暫しの沈黙が落ちた。
「無理…なのでしょう?」
「…そうだが」
ああ、やっぱり。
「可能性があるのなら、その時にお話しして頂けると思いました。なので無理なのだろうと…」
このお人好しそうな領主様は、今までのやり取りから事実をきちんと話してくれる人だと綾は判断した。その彼が可能性を口にしないのだから、察してしまったのだ。
実際に役にたつか役に立たないかは召喚してみないとわからない。過去に役に立たない人間だっていたはずだ。それなのに、異世界人というだけで貴族のような扱いなんて、と綾は思った。
「…高待遇の理由が、魔力の多さや、知識の対価と言うよりも、召喚に対する後ろめたさであるなら、私はその理由の方が納得できるのです」
綾は力なく微笑んだ。クロードは言葉に詰まり、無意識に拳を握り締める。
「…そうか、長い時間すまなかったな。今日はゆっくり休むといい」
顔に社交的な笑みを貼り付けて、クロードは綾を労った。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げて、綾は応接室を後にした。その後ろ姿を見送るクロードが、綾が部屋を退出した途端、大きく溜息を吐いたのを彼女は知る由もない。