初めてのデート2
石畳の広い街道を、二頭の馬は緩やかなペースで駆ける。漆黒のヴァイスと白に灰色の斑模様のソレイユの二頭は、遠出が楽しいと言わんばかりの様子だ。石畳の舗装された道から脇道に逸れてさらに駆ける。馬の足に負担がかからないように舗装されていない道を選ぶクロードは、それだけで優しい性格なのだと綾に思わせた。きっと彼に選ばれる女性は幸せだろう…そんな風に思ってしまった綾は、そんなことを考えてしまう自身に呆れてしまう。
休憩を挟みつつ、馬を走らせる事三時間。海が見えて、綾は思わず歓声を上げた。町に入る前に海と町が見える小高い丘の上で、早めの昼食を取ることにした。木陰に布を敷き、マーサから受け取ったお弁当の入ったバスケットを取り出す。
大きめの布だと思っていたけれど、背の高いクロードが座ると小さく感じる程だった。彩鮮やかな具材が挟まったサンドイッチ、ピンの刺さった一口代の鶏肉や野菜、果物、デザートの焼き菓子まで詰まっていた。クロードと二人分だからだろう、量もたっぷりで綾一人では到底食べ切れない量だった。保温容器に入ったお茶をカップに注ぎ、クロードに差し出す。
礼を言って受け取ったクロードは、浄化魔法を綾と自身の手にかけてサンドイッチを頬張った。そんな姿にも所作の美しさを感じるのだから、貴族というのは凄いと綾は思う。
何度も一緒に食事をしているので、緊張する事もなく綾達は談笑していた。青空の下で食べる食事は、いつもと違って開放感があり、綾は思わず余計な話までしてしまいそうになる。そう思っていたのは、綾だけではなかったらしい。
「『アヤ』と言う響きは美しいな」
思わず呟いたという風なクロードの言葉に、綾は目を丸くした。
「え?急にどうしたんですか?」
「いや、前から思っていたんだが…」
少し照れた顔で、クロードは綾から視線を逸らす。むず痒いような気持ちで、綾は一つ咳払いをした。
「『綾』は、私の国では、斜めに交差している絹織物の模様のことなんです。そこから、『綾』は様々な形や模様、いろどり、見事さ、おもむきなどの意味があります。さらに、模様や色彩の美しさの意味から、文章や言葉の飾りの意味でも使われますね」
「彫金師の君に、相応しい名だな」
「…ありがとう、ございます」
真っ直ぐに褒められると、綾はどうして良いのか分からない。深い意味はないとは理解していても、頬に熱が集まっている気がして、思わず視線を逸らせた。視線の先には、黄金色の小麦畑が広がっている。
「…綺麗な小麦畑ですね。私の国は米が多く栽培されていたので、この季節だとまだ緑色ですよ」
「ああ、前に話していたな…だから米が好きなんだな」
「ええ、クロード様には感謝しているんです」
「米を?」
「それもですけど、色々と」
クロードに感謝を伝える機会は、そう多くない。その都度お礼状を書いているが、面と向かうと難しいのは、他人の目があるからだ。目の前でキレてしまった事もあるので、今更な気もするが…。
「ここに来なければ、どうなっていたかって、最近よく考えるんです。皇帝陛下がいらっしゃってからは、特に…」
シリウスの言う、『ほんの少しの幸運』が作用していなければ、綾はここにいなかったかも知れない。たまたまクロードが見つけてくれて、たまたま綾の得意とする仕事があった。偶然にしては出来過ぎていると、冷静になればなるほどそう思う。
「本当は、自由に行動させてやりたいところだが、いまだにこの国では誘拐は大きな社会問題なんだ。魔力の多さが、爵位にも関係するから…。貴族だけじゃなくて、平民でも魔力の高い娘を権力者に差し出したり…法を逃れて暗躍する者も、少なからずいる。君は、窮屈な思いをしているのではないか?」
「窮屈だなんて、思っていません。でも攻撃魔法や防御魔法が使えないから、一人で出歩けないのは理解しているんです」
「たとえ魔法が使えたとしても、安全とは言えない。あのエメリックだって、少女と間違われて誘拐された事があるんだ。女性の一人歩きは平民でも殆どしない、逆に目立つのだと覚えておいて欲しい」
クロードの言葉に、日本と同じだとは考えていなかったが、思っていたより深刻なのだと綾は思い知らされた。
「だからなんでしょうか?エメリックの言動が、結構過保護だなって思う事が多いのは」
「魔力を封じられる首輪をされると、呆気なく捕まってしまうことを、身を持って経験したからだろうな」
「そんな物があるんですか!?」
綾は驚き、そして怖くて腕をさすってしまう。誘拐怖い!
「ああ、腕輪だったりもするらしい。どうしても町へ出なければならない場合は、護衛の手配をすればいいから」
クロードは怖がる綾を気遣いつつ、話してくれる。普通は所属する組織の長に届け出るのだが、クリストフだと当てにならないから、パメラやエリス、エメリックなどに頼めばいいとクロードは言う。…父親が当てにならないって、実は苦労人なんじゃ…?と綾は目頭が熱くなる。
「どうかしたか?」
クロードが綾の顔を覗き込んできたので、綾はクロードの手をガシッと握った。
「いえ、今日は存分に気晴らししてください!」
真剣な綾の顔と、握られた自身の手を見比べて、クロードは瞬きを繰り返す。
「ん?ああ、そうだな?」
綾はハッとして、パッと手を離した。いけない、いけない、ちょっと感情が昂ってしまったらしい。すみませんと謝った後、綾は無言でサンドイッチを食べた。
「最近、暑くなってきたな」
クロードが木漏れ日から除く空を見上げながら、綾に話しかけてきた。きっと綾が作り出してしまった、変な沈黙を破ろうとしてくれたのだろう。気を使わせてしまったことを申し訳なく思いつつ、綾も上を見上げる。
「もう夏も近いですけど、私のいた国に比べたら、凄く過ごしやすいですよ」
日本の夏の炎天下は、地獄だったと綾は思う。夏は殆ど部屋に閉じ籠り、冷房の効いた室内から、出ようとは思わなかったぐらい、インドア派な綾だった。
「まぁ、ウラール地方は避暑地になるくらいだが、暑いものは暑いだろ?」
「私にとっては、湿度が高くないだけで、快適ですけどね」
おまけに梅雨もないなんて、天国だと綾は思う。床のベタついた感じが嫌いなので、雨の日の除湿は必須だったのだ。
「ああ、夏といえば、夏の終わりに収穫を祝う祭りがある。賑やかで楽しいぞ?」
「わぁ、楽しみです!あ、でも、一人じゃ行けないんだった…」
風船のように膨らんだ期待をすぐに萎ませて、綾は残念な表情をした。
「祭りでも何でも、また連れて行ってやるから、一人で出掛けるのはやめておいてくれ」
綾の表情の変化に苦笑しつつ、クロードが請け負う。
「本当に?連れて行ってくれます?」
「ああ、約束だ」
「じゃあ、小指を出してください」
不思議そうな表情のクロードだったが、右手の小指を差し出してきた。綾はそれに自分の小指を絡める。
「指切りげんまん〜嘘ついたら針千本飲ます!指切った!」
「…なかなか、怖い約束の仕方だな!?」
「ふっ、本当にはやりませんよ?」
「そ、そうか…いや、約束を破る気はないからな!?」
「ふふ、期待しておきますね」
クロードと繋いだ小指は、とても温かく感じた。
デザートの焼き菓子をもぐもぐと食べながら、海を眺める。海面はキラキラと光り輝いていた。
怖がっていたのが嘘みたいに楽しい。自分から彼の手を取ってしまうくらいに、綾はクロードに気を許しているのを自覚してしまった。
それは綾の傷が癒えたからなのか、相手がクロードだからなのか、綾にはよく分からない。後者だとすれば、私は…。思い浮かんだ可能性を、綾は頭から追い出し、なかった事にした。
昼食を食べ終えて、後片付けが終わる頃。クロードに何処に行きたいかと訊かれて、綾は首を傾げてしまう。
「お任せします」
「…こっちには貝製品の工房があるのだが、行ってみるか?」
「行きたいです!」
興味深々の綾に、クロードはふっと笑う。
「アヤは、ブレないな?」
何気にクロードには、仕事人間だと見抜かれている気がする綾だった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
ゴールデンウィークは仕事なため、来週はお休みさせて頂きます。
では、また⭐︎あなたが楽しんでくれていますように♪




