シリウスの話2
「まず、少しだけ私の話を聞いて欲しい。悩むのは、その後でも遅くはない」
シリウスの感情を窺わせない声音は冷静そのもので、綾はその声に促され深呼吸して表面上は落ち着いた態度を取る事ができた。
「…はい。取り乱して、申し訳ありません」
クロードから受け取ったハンカチを目元に当てながら、綾は頭を下げる。ハンカチからは、クロードが普段身に纏っている森のような香りがして、少しだけ心が和んだ。
「気にするな。この世界に来て間もない者なら、無理もない」
シリウスの雰囲気が少し緩んだと思ったら、この場にいる他の者達の力も抜けたのを綾は感じた。もしかしたら、綾とシリウスのやり取りを、緊張しながら見守っていてくれていたのかも知れない。
綾は少し申し訳ない気分になりながら、エメリック、ジルやダリアの方を向くと、クロード同様に、心配そうな表情の彼らがいた。心の中でごめんなさいと謝りながら、視線をシリウスに戻す。
「時々、この世界の生物に金色の目をした個体が現れることがある」
徐に話し出したシリウスの声が、広間に響いた。
「金色の目?」
それは目の前のシリウスの瞳の色ではないだろうか…。綾はその金色の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「そうだ。先程私は神は人間に干渉出来ないと言った。だが例外があるとも言った、それが金目だ」
自身の目元を中指でトントンと指差し、シリウスは話を続ける。
「金目は、神の目とも言われる。神が金目を通して、世界を見ていると言われている」
「…伝説ですか?」
「伝説とも言えないのだ。金目は危機的状況にある場合でも、運を掴み取り生き残る場合が多くてな…それで群れる動物や魔物などは本能的なものもあるのか、金目がリーダーをしている事が多々ある」
「先程おっしゃられていた、ほんの少しの運の良さが発揮されるわけですね?そして、陛下も金色の瞳ですね?」
敢えて綾はそのように質問した。自身を落ち着かせる意味もあるが、確認の意味を込めて。
「これは遺伝ではない。父も金色の目だったからそう思われているが、私の場合はたまたまだな。クラデゥス帝国では高位貴族六家の中で、金色の目の者が生まれたら、その者が皇帝になると定められている。その選択が神に繋がっていると信じられているからだ」
「陛下は、信じられているだけではないとお考えなんですね?」
「そうだ。私は基本、私の意思で動いている。だが時々、何となくこうした方が良いのではないか…と感じる時がある。うまく説明出来ないが…。ただそれは『神の意思』と呼ぶには心許ないと感じる程度のものだ。今回この国を訪れたのは、そうした方が良いと思ったからだ。君に会った方が良いと思ったし、それからエナリアル王国の王族にも会った方が良いと思った。ただその選択が、クラデゥス帝国の利益に繋がるとは限らない。ただ世界にとっての利益にはなる場合がある」
感覚的なものを言葉にするのは難しいのだろう、シリウスは眉間に皺を寄せて少し困った顔で綾を見た。綾は何となくそれを察し、頷いてみせる。シリウスが言いたいことは理解できたと思う。
「だから『神の意思』なのですね」
「金目も、異世界人の纏う神気も、似たようなものと考えられる。以前クラデゥスに亡命した異世界人を保護した時に、気付いたのだがな」
「保護…そんなことが?」
綾は思わず目を丸くして、確認してしまった。
「ああ、記録は改竄されて残っていないと思うが、事実だ」
前例があるのなら、もしもの時に頼っても大丈夫なのだと綾は安心感が増す。もしかしたら、彫金棟の皆やクロード達もその前例を知っていたのかも知れないと、綾は思い至った。
「其方の行動は封じられはしないし、操られたりするわけでもない。其方の行動は其方の意思で行われる。アヤが心配していたのはそこだろう?それだけは安心していい」
その言葉に、強張っていた肩から力が抜けて、綾は安堵のため息をついた。私は私の意思で生きていける。今までもそうやって来たし、それがこれからも変わらないのであればいう事はない。
ただ『神の意思』とやらの不安は、すぐに拭い去れるものではないが…。
「私の知り合いの兄妹が、金色の瞳なのですが…?」
綾はフィリスとウェインを思い浮かべた。神官と神の子である二人と、神の関係が繋がっているように思えて仕方なかったのだ。もしかしてそれにも『神の意思』とやらが働いているのかも知れないと気付いてしまったら、シリウスに質問せずにはいられなかった。
「金色の瞳は珍しいが、一定数いるのだ。何と言っても世界を見る神の目だから。二、三百人いれば一人ぐらいの割合だ。琥珀色の瞳が多く存在するから、それに近い金色の瞳と区別しようとは普通考えないだろう?人間の中ではそれほど目立たないし、偏見もないだろう」
「知っている人は知っているという事ですか?」
「そうだな。為政者は知っている者が多い。それから、縁起が良いとされている地域もある」
金の瞳の者に特別な運があるのなら、伝承が残っていても不思議ではないと綾は思った。
「…其方がいつ金目に会ったのかは知らないが、神が君を確認したかったのかも知れないな」
金目に会った事を、当然のように受け止めるシリウス。それを見た綾は、シリウスの中の『神』という存在が、どういうものなのかと初めて興味が湧いた。
「こちらに来て、数日後だったと思います」
綾は記憶を辿り、正直に答える。キラキラと輝く金色の瞳が思い起こされ、思わず笑みが漏れる。
「そうか。神が気に掛けているのだろう…。其方は『神の意思』を嫌がるかも知れないが、私は呪いではなく加護のようなものだと受け止めている」
「…加護ですか」
「そうだ。確かに騒動に巻き込まれやすくなる。だが、それを切り抜ける運も与えられているのだ」
「……」
「先程も言ったが、それを切り捨てるのも、掴み取るのもその者次第だ。焦らなくてもいいが、いつか折り合いをつけて生きていってくれるのを願う」
真摯な視線に、綾は何を言うべきか迷ったが、ここで虚勢を張り取り繕った態度を取るのは違う気がした。
「すぐに気持ちを切り替えることは、出来ません…」
言葉にしたのは、綾の正直な気持ちだ。
だけど…フィリスといい、シリウスといい、金色の瞳を持つ者に綾は、悪い感情は浮かばない。もしかしたら、それが答えなのだろうか…?いや、早々に結論を出す必要もない事だ。
「今は、それでいい」
シリウスの金色の瞳は、慈愛に満ちていた。綾は少し恥ずかしくなって、俯く。自分が子供に戻ったような、何とも不思議な気分だ。
その時、ポンと綾の頭に大きな手が乗せられた。顔を上げるとクリストフの少し濃いめのアクアマリンの瞳が細められている。無言で綾の頭を撫でる、その手は暖かい。何だかくすぐったい気分で、髪がぐしゃぐしゃになるのも構わず、身を任せてしまう綾だった。
その光景を落ち込んだ様子のクロードが見ていたのに、綾は全く気付かなかった。




