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ソフィアとレナード

 海に面した崖の上に、瀟洒な屋敷が聳え立っている。外観こそ控えめだが、内装は贅を凝らした手の掛かったものだ。それもそのはず、前領主であるクリストフが、愛する妻であるソフィアと子供たちと過ごす為に立てた屋敷だからだ。

 優美な曲線を描く窓からは、キラキラと輝く水面が見え、波の音が絶え間なく聞こえる。ダマスク柄の壁紙、家具は木目の美しいクメル、ベルベットの布が貼られた豪華なソファは、落ち着いた色合いで見るからに座り心地が良さそうだ。


 そこに腰掛ける一人の女性。

 白銀に輝く長い髪をハーフアップにして、可憐なアメシストの髪飾りをあしらった髪は、輝かんばかりの光沢を放っていた。白銀のまつ毛に縁取られた瞳は完璧な配置で、色は、外側がアメシストの紫色、内に行く程タンザナイトのような神秘的な青紫色となっている。すっと伸びた鼻筋、ぷっくりとしたさくらんぼの様な唇は瑞々しい果実のよう。

 初めて会った者は、その美しさと可憐な容姿に息を呑むだろう。少女のような見た目だが、彼女は魔族、年齢はここにいる誰よりも高い。前バドレー侯爵夫人である、ソフィアである。


 白銀色の上質な絹糸の様な髪を無造作に後ろに流し、落ち着いた藍色のドレスを身に纏った、ソファにしどけなく腰掛けるソフィアの姿は絵画の様だ。そんな光景も意に介さず、背の高い男性がソフィアに封筒を二通差し出す。

「母上、小型転移陣に届いていたよ」

「ありがとう、レナード。休憩していけば?」

「そのつもり。お茶が飲みたくなったんだ」

 レナードと呼ばれた青年は、ソフィアの向かいのソファに腰掛けた。バドレー家の三男で22歳。淡い金色の髪にアクアマリンの瞳の色合いが、ソフィアの最愛の夫とよく似ている。顔立ちはクリストフでなくソフィアに似て整っているが、明るい性格が目元に現れていて、兄弟の中で一番柔和な顔つきだ。研究ばかりしている変わり者ではあるが、要領はよく人当たりも良い。

 研究が一段落したのだろう、平気で食事を疎かにするレナードが、この昼の時間帯にこの部屋にいるのは珍しい。会うのも数週間ぶりの事である。

 メイドの用意した紅茶で喉を潤すレナードは、ほうと息を吐き出した。その姿はあどけなさが残る、気の緩んだ顔だ。我が子を見つめるソフィアの瞳は細められ、少女の様な見た目なのに、母の慈愛に満ちていた。


 ソフィアは何の飾り気もない、真っ白な封筒を手に取りペーパーナイフで開ける。まず一通目はパメラからだった。文字を目で追うソフィアの表情の変化に気付いたのだろう、レナードが心配そうな視線を寄こす。

「何かあったの?」

 レナードは優しい子だと心から思いながら、ソフィアは首を振る。

「いいえ、定期報告よ」

 そう言って、眉根を寄せていた顔を、ソフィアは真顔に戻した。

「わざわざ、小型転移陣使って?」

「報告内容が、万が一にも漏れてはいけないから。なんと、クロードがとても気にかけている相手の報告内容!しかも女の子!」

「あの、兄さんが?問題のある相手なの?」

「クロードの力量が、試される相手なのは確かね。パメラが通常の手紙じゃなく、小型転移陣を使って送って来た事が答えよ」

 レナードは話が見えずに首を傾げている。

「ーーそれにしてもこのポンコツぶり、情操教育を間違ったとは思わないけれど、そっち方面、もう少しどうにかならないのかしら?」

 レナードにパメラの報告書を過去の分も含めて渡しながら、ソフィアは苦笑する。クリストフには手出し無用と釘を刺してあるが、一人でどうにか出来るのか不安になるレベルである。

「え、異世界人!?って、それより、この報告の内容、本当に兄さんのこと!?」

 報告書の内容を理解した途端、レナードが驚きの声を上げた。召喚の際の、あの魔力の渦に気付きもしないなんて、教育的指導が必要かも知れないとソフィアは考えたが、たとえ隣で決闘が起こってもレナードなら気付かないに違いない。レナードは一度没頭すると、他は目に入らない性格なのだ。

「是非会ってみたいわ、そのお嬢さんに」

 クロードがしでかした事に対するお詫びの手紙を出して、その返事は返って来ていたものの、やはり直接会って話してみたいソフィアだ。

「……僕が研究に没頭している間に、こんな事になっていたなんて…!」

 彼女が召喚されてから一月経っている。世間に疎いレナードがショックを受けている様子に呆れた声が出た。

「だから夕食ぐらいは一緒に摂りましょうと、いつも言っているじゃないの」

「…善処します」

 言質を取らせないのは、おそらく守る気がないのだろうとソフィアは溜息を溢す。


「ーー問題は、こっちの手紙よね…」

 二通の手紙のもう一つを手に取り、ソフィアはペーパーナイフで開封していく。

 真っ黒な封筒を好んで使う人物は、ソフィアは一人しか知らない。彼女の兄でクラデゥス皇帝、シリウスである。金色のインクで書かれた文字は、エナリアル王国では古代文字とされている言語だが、クラデゥスでは一般的に使用されているものだ。古代文字は、王国では付与魔法や、魔法陣でしか使われていないが、ソフィアにとっては最も馴染みのある言語である。


「シリウス叔父さん、何だって?」

 レナードは好奇心を隠さず、そわそわと黒い手紙を見つめている。

「…近いうちに来るって。召喚を強行したエナリアル王国への、和平維持の確認の為なんて、それらしい理由をつけているけれど…もう、一月も経っているし今更な気もするわ。気付いてるとは思っていたけど、異世界人の彼女がここに留まっているから興味が沸いたのかしら?」

 ソフィアが読み終わった手紙を、レナードに差し出す。

「次に来るのは、クロード兄さんに結婚相手を押し付けに来る時だと思ってたよ」

 手紙に視線を落としながら、レナードが呟く。古代文字も、ソフィアの指導で魔法に長けた三兄弟は、難なく読めるのだ。

「あら、レナードの相手かも知れなくってよ?」

「僕は当分結婚する気はないんだけど…」

「クロードが片付いたら、次の標的はあなたよ?」

 シリウスは人間の寿命が短い事を、誰よりも理解している。ソフィアがここに嫁ぐ事を、最後まで心配していたのだから。可愛い甥の心配も、当然するのだ。

「フレデリックが、妹はどうかって本気の目をして訊いてくるのが恐ろしいのに…叔父さんにまで言われたら、僕はどうしたら良いんだろう…」

 逃げられる気がしない…!と小声で呟くレナードを、好奇心一杯のタンザナイトの瞳が見つめていた。

「あら、あらあらあら!そんな話、初めて聞いたわ!良いお話じゃないの!」

「王女殿下を、侯爵家の三男が娶れるわけ無いだろ!?」

 レナードの消極的な発言に、ソフィアの中の何かがキレた。

「はじめから諦めるだなんて、そんな子に育てた覚えはないわ!それでも私の息子なの!?年齢も魔力も釣り合いが取れてるんだし、何とでもなるわよ!!いえ、何とかするわ!!!」

 主にクロードが!と心の中でソフィアは呟く。ソフィアの無茶振りは、バドレー三兄弟にはお馴染みのものだ。レナードはヒクヒクと頬を引き攣らせた。

「フレデリックと同じ事言うの、やめてよ!!!僕は研究さえ出来たら良いんだってば!!」

「王家の予算を使って、研究しまくりの人生も良いじゃない!!」

 エナリアル王家など、ソフィアにとっては、踏み台でしかない。我ながら良い考えだと、自画自賛するソフィア。

「は!王家の予算!?確かに魅力的かも…ってダメダメ!」

 逆に王家に取り込まれるのは嫌だと、レナードは首を振るが、ソフィアは身を乗り出し、息子の両手をがしっと掴んだ。クリストフが絶賛する強気の表情は魅力的だが、レナードは狼に睨まれた哀れな羊の気分である。

「レナード、結果さえ出せば良いのよ。誰も口出しできないくらいの成果をね。私の息子だもの、出来るわ!公爵家のボンクラ供を蹴散らして、王女を娶るなんて最っ高に素敵じゃないの!クリストフにも出来たのだから、あなたにも出来るわ!!」

「話題失敗したーーー!!!!」

 レナードは頭を抱えた。

「ーーそれに、負け犬の遠吠えほど、耳に心地よいものはなくってよ?」

 公爵令息達の、悔しそうな顔を思い浮かべたのだろう。ああ、その時が楽しみだわ!と、ソフィアは口角を釣り上げうっそりと微笑んだ後、高笑いをする。

「シリウス叔父さんより、母上の方が魔王!!!!」

 涙目で、レナードは真実を叫んだ。

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