領主との面会2
自分を見つめるアクアマリンの様なアイスブルーの瞳、絹糸の様な艶やかな銀色の髪を、後ろに撫でつけた髪型。綾はなぜか昔飼っていた犬、シベリアンハスキーの『銀』を思い出した。さっき夢を見たからかも知れない。顔付きは精悍なのに、甘えん坊なのが可愛かったな…なんて、こんな状況なのに思ってしまう。ああ、現実逃避している場合じゃない。
「申し遅れたが、私の名前はクロード・バドレーだ。バドレー領の領主を拝命している」
その声音は低く穏やかに響きつつも、上に立つ者特有の威厳があった。
「こちらこそ、名乗らずに失礼いたしました。私は、石黒 綾と申します」
綾は緊張しつつも、失礼のないように気をつけながら相手の様子を伺う。マナーが分からないので、日本式のお辞儀をしてしまったが、変に思われなかっただろうか。
領主の側に控えている男性は、アルフィ・ドーキンスと名乗った。焦茶の癖のある髪と、ペリドットの様な緑色の瞳が優しげな印象だ。
「体調は大丈夫だろうか?食が進まない様だが…」
クロードは気遣わしげな視線を綾に寄越す。
「寝ていたから食欲がなかっただけで、特に問題無いと思います」
綾の気分が沈んでいたのは確かで、食欲が湧かなかったのもそこに起因しているが、あえて言う必要はない。医者にも問題ないと言われたし、さっきまで寝ていたので、頭はスッキリしているぐらいだ。
「それは良かった。早速で悪いのだが、君を『鑑定』させてもらえないだろうか?」
「『鑑定』…とは何でしょう?意味は理解できるのですが、人に対して行う事なのですか?」
綾は眉根を寄せて、目の前の男を見る。人に対してするには、耳慣れない気がした。宝石などを鑑定するなら理解できるのだが。
「ああ、魔法は理解できるだろうか?」
常識が違うと思い至ったのだろう、クロードは少し考える素振りを見せた後、言葉を選んで話し始めた。
「はい、何となくは。ただ私のいた世界には魔法などなかったので…」
「『鑑定』とは物や人の持っている特性、機能や能力を把握できる魔法だ。君の能力などを把握しておきたい。報告が必要だから」
その『報告』という言葉に、ぶわりと警戒心が湧く。
「報告…ですか?」
知らず、声が強張る。
「異世界人の身柄は、国への報告が義務付けられている」
坦々と話すクロードを綾は見詰める。何とも言えない不安が、這い上がってくるように綾を包んだ。
「…拒否することは出来ますか?」
おずおずと綾は申し出る。
「出来れば拒否して欲しくなかったのだが…、理由を聞いても?」
彼の表情は困惑はしていても、怒りは感じ取れないので、綾はほっと胸を撫で下ろした。クロードは綾より圧倒的に立場が上の人間だ。頭ごなしに叱責され威圧的な態度を取られても、仕方ないと感じていただけに有り難い。
「ーーあの、私がここにいる事に、バドレー様は疑問を持っていらっしゃる様には見えませんでした。普通なら荒唐無稽な話だと、切り捨てられるような類の話だと思うのです。それなのに報告が必要だとおっしゃいました。そこから推測すると、私みたいな存在が珍しくない可能性があると…、もしくは私は誰かに呼ばれて来たのでは無いかと考えました」
異世界転移なんて、小説や漫画の中の話みたいだけれど、飲み込まれる時に光の文字が浮かんでいたから、魔法ではないかと思い至ったのだった。
「…なるほど」
一言呟いた彼は、視線で先を促す。
「それはこの国自体か、上層部なのか、私には判断出来ませんが…。バドレー様は、自分の意思とは無関係に連れて来られたとして、その原因を作った相手を信用して協力する気になりますか?」
問いかける形を取っているけれど、否定と受け取られるだろう。今度こそは不愉快にさせてしまうかもと、綾は内心ドキドキしながら彼の返事を待つ。
「…誘拐犯を信用できないと?」
「そ、そこまでは、言ってません!」
綾は慌てて否定した。間違ってはいないけど!と内心思っていたが。
「君の言いたいことは理解した。君の推測する通り、王国の中枢に近い者主導で召喚の儀式を行い、何人かの異世界人が呼ばれたようだ。ただ、呼んで終わりではない。国はそれ相応の地位と待遇を用意している」
お金はもちろんのこと、住む場所、土地や身分なども貴族並みのものを与えられると言う。一般的に異世界人は、高い技術や魔力を持っていることが多いからだそうだ。至れり尽くせりとはこういう事を言うのだろうか。だけど安心させる様に告げられた言葉とは裏腹に、綾の不安は増していく。
「…そこまで高待遇だと、私は逆に怖くなります。その裏で自分に要求されているモノは何なのか…と。もし自分にとって飲み込みたく無い要求をされた時、断れない様な状態にはなりたくありません」
待遇や地位に付随してくる、義務と言う名の鎖が怖い。それに絡め取られたら、動けぬ様になってしまうのではないかと綾は考えてしまうのだ。
「…なるほど」
少し考え込む様な素振りを見せたクロードは、それ以上の言葉を続けない。沈黙が部屋を支配する。綾の目の前の二人の人物は、彫像の様に動かない。
心が落ち着かず、視線を落とし、綾は膝の上で両手をぐっと握り込む。今勇気を出さなければ、もう逃れられない場所へ行かされる様な気がした。それはこの国の中枢で、見えない檻と鎖が待つ世界だと…。考え過ぎだとか、悲観的だとか言われたとしても、嫌なものは嫌だ。
「あの…報告が必要だとおっしゃっていたので、まだ報告はされてらしゃらないのですよね?」
「ーーあぁ、まだだが…」
視線を落とし、考えに沈んでいたクロードは、顔をあげて綾を真っ直ぐに見つめる。
「可及的速やかに出て行きますので、見逃していただく事は出来ないでしょうか?」
綾の願いに、アルフィもクロードも目を丸くした。無理な要求をしている事は綾だって理解している。だけど、目の前に座る人物は、高圧的でない態度からも分かるように、感触的に良い人そうだと綾の直感が告げていた。一縷の望みをかけて、言ってみたのだ。
「……君の様な若い女性が、知らない土地で一人で生きていけるのか?住む場所はどうする?職も先立つものも無いだろう?」
険しい表情だけど、その声音からは、綾への心配が感じ取れた。幸い首にあるネックレスは転移しても無事だったし、換金すれば多少の金額にはなると思うのだ。
「一応職人なので、仕事は何とかなると思うのです。作った物を売れば、生活はしていけます。向こうでもそうしていましたし…」
ただ、どこで作ってどこで売るか…と言う問題は、今は棚上げしている。
「それにしても無謀と言わざるを得ない。君の国はどうか知らないが、世間知らずの女一人で生きていけるほど、ここは甘くはないぞ?身を守る手段はあるのか?最悪、騙されて売り飛ばされる」
クロードの声には、呆れが混ざっていた。アルフィの表情も似たようなものだ。
「…治安が悪いのですか?」
先程窓から見た景色は、丁寧に整理された庭と整然とした建物だった。スラムのような場所でなければ、何とか生きていけるのではないかと考えたのだけれど…。
「領都は、比較的安全だが、犯罪が無いわけではない。この辺りは弱い魔物だけだが、郊外には強くて危険な魔物だっている」
「…魔物」
予想はしていたけど、魔物いるんだ…。魔法があるのだから、当然なのかも…。
見通しが甘かったのは事実だけど、何とかなると思っていた。でも、さすがに魔物に対する対処法なんて綾には思い浮かばない。
「…無理ですか」
思わず大きな溜息を吐いてしまった綾に、クロードは気遣わしそうな視線向けた。
「……君の懸念は理解できる。だが、流石に見逃すわけにはいかない」
「ーーはい。無理だろうとは思っていました」
言ってみただけだ。だけど落胆は隠せない。綾は俯きながら、これからの事を思う。
「……見逃すことは出来ないが、君が私の管理下にいると約束出来るなら、国への報告を引き延ばす事は可能だ」
「え、それはどういう…?」
ことなのかと言葉を続けようとした綾だが、尻すぼみになってしまった。
「幸い、君はなぜか王都に召喚されずに、この辺境のバドレーに来た。まさか中央の人間もこの場に君が居るとは思わないだろう。他の召喚された者は、王城の召喚の間に集ったらしいからな」
綾がここに飛ばされたことは異例であるらしい。
「間諜がいるかもしれぬから、君を異世界人として周知は出来ないし、目の届く範囲で働いてもらう事になると思う。扱いは城で雇われた一般人になるが、本当にそれでも良いのか?」
「はい!十分です!むしろ有り難い待遇です!バドレー様、有難うございます!!」
綾は瞳を輝かせながら、立ち上がって深く深くお辞儀をした。その姿に驚いたのか、クロードは目を丸くした後、目を細めてくつくつと笑った。背後に控えたアルフィも笑いを堪えられず、口元を押さえている。
お辞儀が珍しかったのかな?などと綾は考えていたが、二人は終始冷静に対応して大人しそうな印象の綾が、感情を真っ直ぐに表に出して笑顔になった事に笑っていたのだった。
「ああ、私のことはクロードと名前で呼んでくれ」
城の人間は前領主と区別するため、皆名前で呼んでいるらしい。意外と気さくな人柄なのかも知れないと綾は考えた。
「私のこともアルフィとお呼びください」
「クロード様とアルフィ様、改めてご好意に感謝いたします」
綾はもう一度頭を下げて、二人を真っ直ぐに見詰める。様は不要ですとアルフィは破顔した。