試験
場所を工房に移し、無事魔力登録を終えた綾は、これから自身の仕事場になる予定のブースの中にいた。何でも良いから作ってみてくれと、クリストフに言われた綾は、シンプルな指輪を作る事にした。後ろからの視線が気にならないかと言われれば、もちろん気になるに決まっている。だがこれは試験だ。
アイテムボックスに入っていた完成済みの装飾品などをクリストフに渡して、出来映えを見てもらう。その後、どんな作り方をするのか、説明しながら作る事になったのだった。
髪をシュシュで、後ろに一つに括る。お気に入りのエプロンを纏い、紐を腰の位置に結ぶと、自然と気持ちが切り替わる。普段は使い捨てのマスクを使っていたが、今は大きめの布で口と鼻を覆う。金属の粉を吸い込んでしまわないためだ。
たとえ場所が違ったとしても、やる作業はいつもと同じだ。
自身の胸の高さに、スリ板をクランプで固定し、準備に取り掛かる。机の高さは、木工職人達の手によって、綾に最適な高さに調節されていた。姿勢が悪くなると、力が上手く入らず作業がしにくくなるだけでなく、腰を痛めたりする原因にもなるのだ。
糸鋸刃を自在型フレームにセットして、ピンと指で弾く。もう、何度やった作業だろうか。大丈夫、いつも通りにするだけだ。
見慣れた工具達を指先でそっと撫でる。これは大学時代からアルバイトをしたお金で、少しずつ買い足していった工具類だ。高くても信頼できる道具を買うのは、職人としての最低ライン。『道具の性能は安全に直結する。それを怠るのは、馬鹿のする事だ』そう言ったのは師匠だった。使いやすさを研究した彫金道具メーカーの、積み重ねられた技術は、高いお金を払う価値があるのだと。だから高い買い物だったにも関わらず、綾はアルバイトをしながら一式揃えたのだ。
銀の板を糸鋸で切り、やすりで削り、芯金棒に巻きつけ槌で指輪状に整えていく。ピッタリと合わせ目を揃えたら、ロウ付けをする準備に取り掛かる。
耐火煉瓦を作業台に置き、その上にハニカムブロックを乗せる。耐熱ピンで指輪を固定させ、繋ぎ目にフラックスをほんの少し乗せる。そして僅かな銀ロウを乗せ、彫金用ガスバーナーで全体を炙る。温度が均一になるようにガスバーナーを動かしながら、ロウが溶解して繋ぎ目の隙間をピッタリと塞ぐのを確認して、ガラス瓶に入れた水で急冷させた。
この大きさの指輪だと酸洗いの為、水で溶いたコンパウンドに10分程浸けておかなければならない。
ふぅと綾が息を吐いたとき、四人の興味津々の視線と一緒に、左右や上から声が降ってきた。
「面白いな、道具を見せてもらっても?」
クリストフは道具に興味があるのか、綾に許可を求めた。
「どうぞ」
綾が差し出した道具を、角度を変えつつまじまじと見つめているクリストフ。
「素晴らしい道具だな」
クリストフの言葉に、綾も笑顔になる。そうでしょう、そうでしょう!と心の中で頷いた。何たって自慢の道具だからだ。あなたの息子が傷付けようとしましたけどね!根に持ってますけど、何か?思っていても顔には出しませんよ?大人ですから!
「本当に魔力使わないんだね!」
エメリックもガスバーナーを手に取った。意味もなく火を出して遊んでいるのが気になるが、何も言わない事にした。大人ですから!
「普段は魔法使うから、新鮮だったよ」
ダリアとジルが笑顔で言うと、綾は魔法を使った彫金が気になった。
「皆さんはどうやって、作ってらっしゃるんですか?」
「土魔法と火魔法、水魔法を使って…だな…」
はっきり言って、綾には理解不能だ。土魔法と火魔法の合わせ技で金属の形を変える。それを水魔法で冷やし、大まかな形を作った後、魔力を通した道具で細工をしていくのだと言う。え、魔力無ければ、何も出来ないんじゃない!?
「…だから、あのサンドイッチの量なのか」
もの凄く納得した綾だった。
そんなことを話している間に10分経ったようだ。ピンセットで指輪を取り出し、ゴシゴシと歯ブラシを使って水場で綺麗に薬品を洗い流す。
「使ってた道具も材料も、全て揃っているんだから、私の執着って実は凄い?」
そんな独り言を呟きながら、指輪の水分を拭き取った。指輪を固定させてヤスリで仕上げていく。つるりとした表面の光沢が美しい指輪を手に取り、綾は検分していく。うん、いつも通りの出来栄えだ。
「出来ました!」
手のひらの指輪を綾がクリストフに差し出すと、一つ頷いて受け取った。
「魔素も魔力も含まれていない…クロードの言った通りだな」
「私の世界には、魔素も魔力も存在しませんからね」
「そうだったな…。ああ、付与魔法をすると、面白い効果があるそうだ」
「面白い効果?」
「クロードの実験によると、魔素も魔力も含まれていないから、普通より付与魔法の効果が多く付けられるそうだ」
クリストフは、説明し出す。
綾が異世界の素材を使って、異世界のやり方で作った装飾品は、魔素を含まないどころか彫金工程においても魔力を使わない為、スポンジで水を吸い込むように付与魔法を掛ける事ができるそうだ。同じ面積の装飾品であっても、より多くの魔法を重ね掛けできる。
「指輪程度なら、その効果は微々たる量だが、大きな面積になると効果は数倍にもなるだろう。これは凄い事なんだぞ?」
付与魔法とは、装飾品や武器などに魔法を定着させる技術で、例えば防御魔法を付与した装飾品を身に付けるのは、貴族の常識だったりする。その他にも、解毒や魅了など付与魔法の種類は様々あるのだと言う。
「えっと、この方法で作り続けても良いと言う事ですか?」
「…今は公には出来ないが、作るのは構わない。ただ、こちらの彫金方法も学んでくれると助かるな」
「それは、私も学びたいです!」
瞳を輝かせて告げた綾の言葉に、クリストフは目を細めて笑う。何故かまた頭を撫でられた。この国の人は、頭を撫でるのが好きなのね、きっと。
「試験は終わったが、もう少し作っていくか?」
まるで、そうするのが当たり前のように、クリストフは綾に訊いてくる。根っから職人のクリストフは、綾に同じ匂いを嗅ぎ取ったらしい。
「ここを使っても、良いのですか?」
「もちろん!ここは今日から君の場所だ。好きな時間に使ってくれて構わない」
嬉しい!嬉しい!!嬉し〜い!!!綾は緩み切った顔を引き締めて、頭を下げた。
「はい!ありがとうございます!」
クリストフは笑顔でヒラヒラと手を振って、その場を離れた。ジルとダリアも自分達の持ち場に戻る。唯一残ったエメリックは、こっちの彫金方法の特訓予定も考えないとだなと笑って隣のブースに消えていった。なんと、お隣さんはエメリックだったらしい。
他の道具も試したくてアイテムボックスから取り出し、綾は動かす。
…それにしても、ドリルがコンセントに刺さっていないにも関わらず、問題なく動く不思議さよ…。異世界仕様と言われてしまえばそれまでだけれど、謎現象過ぎる。これって考えたら負けってやつですかね!?
熱中しているうちにずいぶん時間が経っていて、エリスが夕食に時間だと知らせに来るまで、休みなく作業に没頭してしまった綾は、慌てて席を立ったのだった。
すみません!投稿時間がいつもより、遅くなってしまいました!




