魔素と魔力の関係
具沢山のスープと、サラダ、そして分厚い具がこれでもかと挟まった、数種類の山盛りのサンドイッチが大皿に盛られている。自分で食べたい量だけ取って食べるらしく、六人しかいないのにこの量は…と綾は目の前の皿を見詰めた。マーサ、ドニ夫妻の分もあるとしても、食べ切れる量ではない様な…?
そう思った綾だったが、数分後には大いに納得することになった。あっという間に、大皿に盛られたサンドイッチが消えたのだから。消えたと思ったら、更に同じ量の大皿が、ドニによって運ばれてきた。どんだけ食べるのか!?まだ一個のサンドイッチを頬張っている最中の綾は、消えるサンドイッチを驚きと共に見詰める。赤い髪の女性も、男性に負けない量を食べている。大食い選手権会場だったりするのかな?って、んなわけない。
「もっと食べないと…」
無表情ながらも心配そうな気配を漂わせ、ドニが綾を促してくるが、そんなに入りませんよ!?と言いたい。具沢山スープとサラダだけでも、結構なボリュームなのです!食べ物を残すのは、綾の主義に反するので、サンドイッチ一個でお腹が一杯です!と断る。ドニさん…そんな目で見られても食べられないんですってば…。だからそんなに小さいのか!?と小声でドニが呟いた。えっと、遺伝だと思います!
「魔力が保たないんじゃないか?午後から魔力を使うだろう?」
クリストフが眉間に皺を寄せて、綾に問いかけた。一見厳しい表情に見えるが、これは心配されているだけだろう。こういう表情はクロード様にそっくりだな…なんて綾は思う。
「彫金に魔力は使いませんよ?」
綾が首を傾げてそう言うと、驚きを隠せない様子のクリストフ様と、二人の職人達の姿が目に入る。そもそも魔力の使い方も知らないのだから。
「…えっと、食べる事と魔力って、何か関係があるのですか?」
「「「「え?」」」」
え?って、え?所在なげに視線を彷徨わせる綾は、助けを求めてエメリックを見た。食堂内の沈黙を、綾はどうしたら良いのか分からない。もしかして、やっちゃった!?
「あー、まだその辺の説明はしてないから…」
エメリックはサンドイッチを食べる手を止めて、他の皆に言う。それより、そんな細い体のどこに、大量のサンドイッチが消えるのでしょう!?とエメリックに問いたい綾だったが、そんな雰囲気ではないし、魔力の話も気になる。
「…思っていた以上に、常識が違うようだ。隠せるなら隠した方が良いと思っていたが、無理そうだな…」
ふぅと一つ息を吐き出すと、クリストフは綾を見詰めた。
「…すみません」
常識一つ取っても、違い過ぎるこの世界での綾の立ち位置は、とても危ういのだろう。綾はどのような事が常識なのかすら、知らない事実に愕然とする。自然と視線が下がり、指先を見つめる事しか出来ない。
「謝る必要はない。その内皆には話すつもりではあったんだが、時期が早まっただけだ」
「どういうことですか?彼女は一体…」
クリストフやドニと同じくらいがっしりとした身体つきの、二十代後半くらいに見える紺色の髪の男性が、眉を顰めてクリストフに問いかけた。
「ああ、彼女は異世界人だ」
「「「「え!?」」」」
その場にいる人間の視線が一斉に綾に注がれ、綾は居心地の悪さに俯いてしまう。スカートの布を握り締め、居た堪れなく不安な気持ちをやり過ごす。
「王都に行かず、ここに留まることになったんだ」
皆の驚きを意に介さず、淡々とクリストフは話す。
「…大丈夫、なのですか?」
同じく二十代中頃の年齢に見える赤髪の女性も、眉を顰める。皆のこの反応から推測すると、やはり綾はクロードに対して無理を言ってしまったのだと、痛感した。更に強くスカートの布を握り締め、身体を縮こめる。
もう、誰の顔も、怖くて見ることが出来なかった。一気に指先が冷えて、ドキドキと動悸が激しくなってくる。やはり出て行くべきだろうか…そんな思考にまで陥ってしまった綾は、これからの事に意識を向けていた。
「アヤの希望でもあるし、領主であるクロードが決めた。私もその意志を尊重する」
キッパリと言い切ったクリストフの声で、綾の意識が浮上する。恐る恐るクリストフを見ると、意外な事に優しげな表情で微笑まれた。綾は、まだここに居ても良いのだろうか…?
エメリックに視線をやると、いつものように笑っている。その笑顔に少し安心してしまう綾は、自分で思っていたよりも未来の親友の存在が大きいことに気付く。
いつの間にか綾の背後に立っていたパメラが、綾の背中をさすっている。パメラの手の温もりが冷えた心を温めてくれるようで、なんだか泣きたい気分だ。
「…ああ、ごめんなさい。あなたを歓迎してない訳ではないの。ただ人間の特権階級は、複雑だから心配になってしまっただけで…。領主が決めた事に、口出しする気はないの、本当よ?」
赤い髪の女性は、綾を気遣わしげに見詰め、もう一度ごめんなさいと謝る。綾は謝って欲しかったわけではないので、いえ…と答えて首を振る。
「ダリアはバドレー領の心配をしただけで、君を傷つける意図はなかったのは理解してほしい」
紺色の髪の男性は、そう言って綾を気遣いつつ、女性に悪意はなかったと主張する。よく見ると男性の瞳は、一見緑色に見えるのに、角度によって色が変わる不思議な色合いで、赤、橙、黄色、緑色の強い分散光を発すスフェーンという宝石を思い起こさせた。
綾は先ほど謝っていた赤い髪の女性が、ダリアという名前だと知る。よく見るとダリアも、紺色の髪の男性と同じ様な色合いの瞳をしていた。
「もちろん、承知しています」
綾がそう答えたことで、紺色の髪の男性は何処となくホッとした表情で、柔らかい空気になった。自らをジルと名乗った男性は、綾に魔力と飲食する事の関係を解りやすく教えてくれた。
この世界には、『魔素』が存在している。それは水、土、空気、あらゆる物質に含まれているが、色を持たない純粋なエネルギーだと考えたらいい。人間を含めた動物は、その魔素を食べ物や飲み物、空気から取り込むことで自分の色に染めている。それが『魔力』だという。魔力になって初めて魔法が使えるのだ。魔素を自分の色に染めることで魔力とし、魔法が使えるが、魔素という存在は不思議で、そのままだとエネルギーにはならないのだという。
「だから、魔力を使う為には、魔素を体内に取り込む事が必要なんだ」
「不思議ですね、ではその『魔素』は何処から発生するのでしょう?エネルギーは使えば無くなりますよね?」
エネルギー不足にならないか心配だが、なんと今まで枯渇したことはないらしい。
「…それはまだ解明されていなくて、研究中らしい。魔法を使いやすく進化させる事に重きを置いてきたから、最近まで誰も研究しなかったのが本当の所だ」
ジルは肩をすくめて見せた。
「そんな研究をしているのは、変わり者だけだと言われている。まぁ、その変わり者が、私の息子のレナードなのだがね」
クリストフはニヤリと笑うと、綾を嬉しげに見詰めた。
「魔力でなく魔素に興味を持つなんて、綾とレナードは気が合うかもしれないな」
「…それ、クロードの前で言ったら、クリストフ様…また口聞いてもらえなくなるかも…?」
エメリックの言葉に大きく頷いたのは、パメラただ一人だった。




