部屋の見学
階段を登り切り、三階に到着した。そこにあるのは少し開けた場所で、三人掛けのソファーがローテーブルを挟んで二つ向かい合っており、ちょっとした休憩スペースになっている。窓の光が柔らかく差し込む空間は、本棚と観葉植物が置かれており、居心地が良さそうだ。
左の廊下を進むと、小さめのキッチンを併設したダイニングルームがある。大きめのテーブルが中央にあり、椅子も八脚あった。暖炉の側にはソファーとローテーブルもあり、綾が滞在している客間ほどではないものの、家具も装飾が少ないだけで瀟洒な造りだし、なんとも贅沢なスペースだ。食器棚には皿やグラス、ティーポットなどの茶器、カトラリーなども常備してある。もちろん、調理器具も一式揃っているので、料理もできるらしい。ただ、三食おやつ付きの寮生活で使用するかどうか、疑問ではある。
向かいの部屋は、トイレと洗面所と洗濯場、そしてお風呂場だ。一階にもお風呂があったが、こちらにもあるのが不思議だったのでパメラに訊ねると、一階まで降りるのが面倒な場合や、一人でゆっくり入りたい場合に使うらしい。一階は大浴場だが、こちらは小さめの湯船だとの事。
共有空間とはいえ、実家の部屋より断然豪華であり、もっと簡素な空間を想像していた綾は、ここの標準がコレなのかとこめかみを揉みたくなったのだった。
階段の側の休憩スペースまで戻り、右側の廊下を進むと、両側にドアが四つずつ、計八つのドアがあった。奥の左側は使われている部屋だそうで、綾の部屋はその向かい側の右のドアだと説明してもらった。
パメラがドアに手をつくと、お馴染みの解錠の音が聞こえ、ドアを徐に開いた。少し緊張しながら中に入ると、見事に何もない空間だった。フローリングの床も壁紙も真っ新で使われた形跡すらない。照明器具は埃が被らないように真っ白な布が掛かっている。
トイレはあるものの、キッチンはないし、風呂もない。共有スペースにあるので当たり前だが、個人用のトイレがあったのが綾は嬉しかった。出来ればトイレは共有したくなかったからだ。作り付けの棚があり、クローゼットが大きめなのが、少し嬉しい。
ここでも本日三回目の魔力登録をする。扉の内側の壁には、管理人のマーサとドニ夫妻の石が嵌まっていた。何かあった時のために、同僚の女性にも頼む方がいいと言われ、綾は頷く。
「エメリックにも魔力登録してもらおうかな?同僚だし」
親友だから、部屋に来る事もあるかも知れないし。
「いいけど…アヤはもうちょっと警戒心持った方がいいんじゃない?」
「ドニさんとエメリック、どっちが強いの?」
「…魔法では負けないけど、剣の腕や腕力では勝てないかな…。マーサも参戦したら、かなり苦戦すると思う…」
「ほら、大丈夫じゃないの」
本当に二人って強いんだ…。穏やかそうな印象しかない綾には、エメリックの言葉は不思議だけれど、クロードも同じ評価なのだからそうなのだろう。
「まぁ、アヤが良いのなら…」
渋々といった感じで、エメリックは石を嵌める。
何故かエメリックと同じ動きをしている人物がいるのだが…え、突っ込んだ方がいいのだろうか?
「…何故クロード様の石まで嵌めるのですか?」
振り返ったクロードは、さも当然といった態度だ。…当然の顔をしているのがおかしいと思うのだけれど?え、私がおかしいの?
「私は、君の責任者だから」
それって良いの?一応綾が女なのは、理解してくれているのだろうか?…いや、してないかも。別に何かあるとか、微塵も思っていませんから良いですケド。
「俺に張りあってるだけだから、気にしなくていいと思うよ」
エメリックは綾を見ながら、苦笑する。エメリックに張り合うって、子供か!?初対面の時の、威厳のある領主像がガラガラと音を立てて崩れていく気がする。
突然、部屋の中に虹色に光る蝶が舞い込んで来た。窓が開いていないのにも関わらず、一体どこから?と綾が疑問に思っていると、クロードを一周した蝶は光る文字になってしまった。綾は初めて見る美しい魔法に、目を丸くする。
「『会談の予定があるから、早く戻って来い』ってもうそんな時間か…」
腕時計を睨みながら、クロードは独りごちた。
「アルフィに怒られる前に、さっさと帰れ!こっちに、とばっちりが来るのは嫌だからな!」
エメリックがクロードの背を押して、追い出しにかかる。アルフィが怒るとそれ程怖いのだろうか?
「…仕方ない、結果報告も兼ねて、今日も夕食は一緒で良いだろうか?」
振り返ったクロードと、綾の視線が絡む。
「私は、大丈夫です」
綾が答えると、ふっと眉間の皺が取れて、クロードの纏う空気が柔らかくなる。足取りも軽やかに、クロードは去っていった。
「…後ろ姿が、盛大に尻尾を振って喜んでいる犬みたいだ」
エメリックの小さな呟きは、パメラにしか聞こえていなかった。
「うん?どこの扉でも開けられるなら、魔力登録しなくても良かったんじゃ…?」
部屋の中を見学し終わり、階段を降りながら綾はエメリックに疑問をぶつける。
「だから、俺と張りあっただけだって。俺がしてるのに自分がしないのは、負けた気分になるんじゃないの?クロードにとっては」
「…はぁ。負けず嫌いって事?」
本当に子供っぽいな…。
「…アヤだからだと、思うけどね」
そんな話をしながら一階へ降りると、マーサとドニが昼食を用意して待ってくれていた。もうそんな時間なのかとエメリックが時計を確認すると、時計は12時を刺している。
食堂で待たせてもらって、パメラが工房へ赴きクリストフ様へ予定を確認しにいくのを待っていたら、本人を連れてパメラが戻ってきた。その背後に男女二人の姿も見えた。
淡い金色の髪に、クロードよりも若干色の濃いアクアマリンの双眸の五十代くらいの男性が、綾の目の前に立っていた。背が高く、クロードよりはがっしりとした身体つきで、白いシャツにゆったりしたトラウザースを纏っている。クリストフの目つきは鋭いが、口元に湛えた笑みで、綾は快活な印象を受けた。
「クリストフ様、お初にお目に掛かります。綾と申します、よろしくお願い致します」
顔を見上げながら挨拶をし、ペコリと頭を下げると、クリストフは微笑む。
「思っていた以上に、可愛らしいお嬢さんだ。こちらこそよろしく!」
手を差し出したクリストフ様の手を、綾が握り返す。武人のゴツゴツした、けれど温かくて大きな手だった。
「挨拶はそのくらいで、さっさと食え!料理が冷める!」
ドニが仏頂面でその場にいた、皆を椅子へと急かす。マーサが水を注いで回ると、昼食が始まった。
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