寮の見学
パメラの提案で、彫金師用の寮の建物にやって来た。他の建物と似た様な灰色の石造りの外観で、何の変哲も無い3階建ての建物だ。
「思ったより、こじんまりしてますね」
先ほど訪れた木工工房は、広くて大きな工房と倉庫があり、職人も多かったので寮の建物も大きかった。通いの職人もいるだろうが、独身の者だけでも相当多いだろう。
それに比べると工房の広さも寮の建物も、四分の一ぐらいの大きさだ。扱うものの大きさを考えたら、当然だとは思うけれども。
「ここで働く彫金師は綾を含めても、6人だけだから。街の方にも工房はあるけど、ここは魔力量が多い者専用なんだ」
「何故ですか?」
「魔力量が少ない者と、魔力量の多い者が同じ空間で作業すると、魔力の低い者に負担がかかって、魔力酔いを起こす事がある」
魔力酔いとは、濃い魔力に晒される事で起こる体の不具合の事だ。具合が悪くなったり、酷いと失神すると言うクロードの説明を聞いて、綾はこの国での魔力量の重要性を改めて認識した。
「彫金に魔力を使う場面が、全く想像出来ないのですが…」
昨日水晶に魔力を込めるまで、魔力の認識すら出来ていなかった綾にとって、未知の世界だ。
「私からすれば、魔力なしでどうやって彫金するのか、理解出来ないのだが…」
クロードは首を傾げる。そういえば昨夜も、綾の所持している道具類や薬品を不思議そうに眺めていたっけ?もしかして、私の作り方ってここでは異端だったりするのだろうか?と綾は少し気になった。
寮の扉の内側で、同じ様に魔力登録と掌紋登録をする。
「基本、この魔力登録のしていない場所への立ち入りは、登録者の許可がいる。気をつけて欲しい」
クロードの言葉に、綾の背筋が伸びる。逆に言えば、魔力登録をしたこの場所は、綾の居場所でもある。お客様ではない本当の居場所、その事が綾はとても嬉しかった。
「はい」
綾達が食堂に入ると、ノートに何か書きつけていた女性が顔をあげ、立ち上がるとにこやかに微笑みながら挨拶をして頭を下げた。そして、その女性は厨房にいる誰かを呼んだ。
マーサと名乗るふくよかな五十代くらいの女性は、白茶色の髪を後ろで纏めていて、明るい茶色の瞳はシトリンの様な色合いで、穏やかそうな笑顔が印象的だった。寮の管理人がどんな人なのか気になっていた綾は、笑顔で綾を迎えてくれたマーサの優しそうな物腰にホッとする。
厨房から顔を出したのは、がっしりとした身体つきの五十代くらいの男性。ムーンストーンの様な青みがかった灰色の瞳に、緑色の髪を短く刈り込んだ髪型は、苔みたいだと綾は思った。必要最低限の単語のみを話す、ぶっきらぼうな話し方から寡黙そうな印象を受ける。
ドニと名乗った男性は、綾が挨拶をすると、何故か無言でお菓子を手渡して来て、頭を撫でた。ニコリともしない愛想のない態度にも関わらず、頭を撫でられ続けられた綾は、ドニの意外な一面に、内心驚いていた。綾がお礼を言い、不思議そうに見返していると、エメリックが笑いながら綾の年齢をドニに告げる。ドニは目を見開いて驚いていた。
どうも綾を子供だと勘違いしていたみたいで、小さいからもっと食べろと言う事だったらしい。実は凄く優しい人なのだと、綾は理解した。どう頑張っても、もう縦には伸びない綾だが、お菓子は遠慮なく頂き、マジックボックスにしまっておく。
「まさか、子供に間違われるとは…」
それなりの年齢の成人女性の自覚がある綾は、若く見られたと素直に喜べない。
「俺なんか、未だにもっと食えって言われるんだぞ?」
エメリックは笑う。単純に体の大きさで判断しているだけだから、気にしない方が良いとクロードも言ってくれたが、頬がひくついていたのを綾は見逃していない。どうもクロードに対して、残念な印象が日々強くなる気がする。
この国の人の平均が大きめなのであって、綾のそれと違うだけだと声を大にして言いたい!日本で標準だった体型が、こちらの小柄になってしまうのは、もう仕方ない事なので諦めるが…。
一階は食堂や談話室、お風呂、更には遊戯室なるものもあった。見て回りながら、全体的に木のぬくもりが感じられる内装が、居心地が良さそうだと綾は感想を抱く。二階が男性の部屋で、三階が女性の部屋となっているとクロードやパメラの説明を聞きながら、階段を登る。
実は元凄腕冒険者だったという管理人のドニ、マーサ夫婦も一階に住んでいるので、セキュリティーは万全だとクロードは説明した。
「いざという時、開けられない場所があるのは、困るのではないですか?」
閉じこもってしまったり、病気で困っていたりした場合に駆けつけられないのは?と綾は疑問に思う。
「大丈夫だ。領主一族が開けられない扉はないから、この領城内ならばどこでも入れる」
「え、女風呂も?」
「…理論上は、可能ね」
パメラが肯定する。
「そんな事はしない!!」
クロードの強い口調からは、焦りが感じられた。ちょっと気になっただけで、本気でするとは思っていないのに。ただちょっとした好奇心と、確認作業なのに。
「ぶわっははは!!!領主に向かって、面と向かってそんな事は聞く奴初めて見た!」
やっぱりアヤは面白い!とエメリックが笑う。
「…だとすれば、私も男湯を堂々と見られることになるわね」
至極真面目な顔で、パメラが呟いた。真面目そうに見えて、結構お茶目なところがあるのは、この数日で知ったことだ。
「パメラさんはそんなことはしないでしょう?」
「ふふふ、アヤは良い子ね」
また、頭を撫でられた。今日はよく撫でられる日だ。
「…私を何だと思ってるんだ」
クロードは落ち込んで、項垂れている。
「あははははは!!!」
「エメリックは、笑いすぎだ!!」
目を釣り上げて怒るクロードだが、エメリックはそんなことは気にならないのか、ずっと笑い続けている。
「はぁ、部屋を見るんだろう?」
じとっとした目でエメリックを一瞥し、諦念が滲んだ表情のクロードは、一つ息を吐くと三階へと続く階段を足速に上っていった。




