木工工房と彫金工房
エメリックとチョコレートを食べながらコーヒーを飲むうちに、綾の機嫌と体力は少しの回復を見せた。エリスは夜勤が終わり、パメラが綾の側に付いている。
「今日は工房に連れて行こうかと思ってたんだけど、寝不足じゃな…」
エメリックはクロードの馬鹿めと罵りながら、チョコレートを口に放り込む。
「え、行きたい!!」
食い気味に言い切った綾に、エメリックは苦笑いだ。
「大丈夫なの?一応簡単なものを作って見せてもらう予定だけど?」
「本調子ではないけど、短時間なら平気!って言うか、そろそろ働きたい!!」
いつまでもお客様扱いは居心地が悪いし、庶民の綾は落ち着かない。
「就職自体はもう決定事項だけれど、今回は綾の希望で実力を見る為のものだから…。綾が良いのなら、まぁ良いかしら」
パメラが許可を出し、本日の予定が組まれていく。綾の希望はあるかとパメラに訊かれたので、少し考えた。
「寮の部屋を見てみたいのですが、良いですか?」
「ええ、大丈夫よ。それに木工工房から、家具の進行状況を確認するなら連れてきてくれって言われてるの。前に綾の希望は出したけれど、確認も兼ねてね。大きなデザイン変更は出来ないけれど、細かい調整は出来るって」
散歩ついでに木工工房に連れて行かれて、希望を訊かれたのはたった二日前の事だ。
「もうそんな出来てるんですか?早い!!」
「あら、職人を煽った人が何を言っているのかしら?」
「え、何それ?」
エメリックのガーネットの瞳が、好奇心に輝く。大した事はしていないのだけれど…。
「アヤったら、家具の希望のデザインを訊かれて『機能美を追求して貰えれば充分です。でもちょっとした遊び心が有ればなお良しって感じでしょうか。ここの職人さん達は優秀だと聞いているので、私の予想を上回ってくれるのを、期待しています』なんて言うのよ?」
木工工房の責任者が職人の煽り方が上手いって、綾の事を褒めていたわとパメラが笑う。
「…ああ、完全に煽ってるね」
「自分の意見を最低限満たしてもらえたら、後は職人さんに任せるのが一番だと思っただけです」
どんなものが出来上がるのか、楽しみだ。
「職人の気持ちは、職人が一番理解できるよなぁ…」
エメリックの言葉は、的を射ていた。
早速木工工房に向かい、進捗状況の確認をする事になった。
綾はパメラとエリックの後に続いて、工房内に入る。パメラが扉に手をつくとふわりと淡い光が放たれ、カチャンと解錠の音がした。これも魔道具なのだろう。
鼻腔をくすぐる木の匂い。魔道具の機械が動き、板を削っている。騒がしいが、活気がある工房内を見渡し、手招きする職人の側にパメラが向かう。
「形が素敵ですね。依頼通りの出来栄えです!椅子の背もたれの角度も、座りやすそう!」
「嬢ちゃんは小柄だから、椅子は小さめにしてみた。ベッドボードには、良い夢を見せてくれるアリンダの花の模様を入れてみようかと思うんだが、どうだ?」
「素敵です!!!」
その仕事ぶりに惜しみない賛辞を贈ると、その際の誇らしげな職人さんのドヤ顔を見て、綾は嬉しくなった。やはり職人はこうでなくては。
職人の仕事というのは、一見地味な作業だ。毎日同じ作業をしている様に見える人だって、いるかも知れない。しかし美しいだけではいけないし、使いやすい様に工夫をしたり、使う人を傷つけない様に形に配慮したり、考えて最適な状態を作り出すのは、職人の裁量だ。機能性と造形性の融合、それは簡単な事ではない。芸術家ではないから、それは作品ではなくあくまで商品なのだ。
例えば同じ椅子の注文が複数あったとして、気まぐれに違うデザインで作るわけにはいかない。同じ物を複数作る事の大変さを、綾は身をもって知っている。それを当たり前にこなしてこそ、職人だと綾は思う。
目立つ仕事ではないけれど、誰かの生活を豊かにする仕事。自分の作り出した物が誰かの手元に渡った時、その人が喜んでくれるのが、職人にとって一番嬉しい事だ。誰かの喜びや幸せを作り出しているという事実が、職人の矜持なのだと綾は思う。
「良い職人さん達ですね。仕事ぶりが素晴らしいです!」
「ふふふ。だってバドレーの産業を長年支えてきた自慢の職人達だもの!」
そう語るパメラも誇らしげだった。とても良い関係を築いているのが、その態度からわかる。働いている職人さんも生き生きしていて、瞳が輝いている。
むせ返るような材木の匂いも、木屑でムズムズする鼻でさえ、愛しく感じる。ああ、この空間が好きだ。…胸が熱くなる。
…ここに来て良かった。綾は異世界転移して、初めて心からそう思った。
木工工房でこうなのだから、彫金工房も素敵な職人さん達がいるのだろう。そんな場所で働けるのなら…私は、きっと頑張れる!
「完成、楽しみにしてますね!!」
綾が声をかけると、職人さん達は軽く手を上げて答えてくれた。
彫金工房の扉の前で、パメラが手をついているのを見遣りながら、綾は深呼吸をする。やはり緊張しているみたいだ。
カチャンと解錠の音が聞こえて、パメラがドアを引く。エメリックの背中越しに見えた室内には、意外な人物が眉間に皺を寄せて立っていた。
「…遅い」
アクアマリンの瞳に、銀色の髪を後ろに撫でつけた髪型。この領城内で一番地位が高いと思われる人物が、待ち構えていたのだった。
「え、そんなお約束ありましたっけ?」
何も聞いていないぞ?と思いながら綾は首を傾げる。パメラとエメリックは苦笑いだが、特に何も言わなかった。
「…顔色は、悪くないな」
綾の質問には答えず、何処かほっとした顔をしてクロードは綾の顔を覗き込んだ。もしかして、心配されたのだろうか?
「ただの寝不足ですし…。あ、チョコレートをありがとうございました」
綾が頭を下げようとすると、それを遮るように手を伸ばされる。
「…いや、ただの詫びの品だから。…昨日は悪かった」
じっとこちらを見つめてくるクロード。思いの外真剣な視線に戸惑いながら、綾はクロードを見つめ返す。叱られた時の銀の表情を思い出すのは、何故だろう?何だかクロードは、犬っぽく感じてしまうのだ。
「いえ、お気になさらず」
そう綾が答えると、柔らかにクロードの瞳が細められた。
ちょいと中途半端な感じで終わっています。すみませんっ!