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マヴァール公爵家

 エナリアル王国の南西に位置する広大な領地マヴァール、その領城はシスル湖を望む小高い丘の上に鎮座していた。湖から流れ出る川に架けられた橋を渡り、門を潜ると真っ白な街並みが現れる。ここら一帯は絹の産地であり、それを使った織物が有名だ。水の豊富な地形を生かし、染色技術なども発達しているため、その品質の高さはエナリアル王国一とも謳われる程だった。

 その技術をもたらしたのは、百年ほど前に召喚された黒髪の異世界人の女性だと伝わっている。王族との親戚関係にあるマヴァールは公爵家の領地なので、元々麦の一大産地で豊かな土地だったのだが、更に彼女が発展させたのだった。

 街中にはそこら辺に猫が寝そべり、欠伸をしていたりする光景がみられる。猫が多い理由は、蚕を食べてしまうネズミを退治してもらう為だったりする。


 昼間は真っ白な街並みが広がるマヴァールも、夜の帳が降りた現在は月明かりに青白く照らされて、静寂が広がっていた。領城の窓からは、光鉱石を使った照明のオレンジ色の灯りが漏れている。

 瀟酒な私室のソファに座り、琥珀色の液体が注がれたグラスを二つ並べて、向かい合って座るのは父と息子だ。猫を膝に乗せている六十代の男性が、前マヴァール公爵であるジェラルドで、若い頃は漆黒だった髪も現在は白髪が混じり、シルバーグレイの髪を撫で付けた上品な面立ちは、穏やかながらも威厳に溢れている。サファイヤの様な鮮やかな青い瞳は、不思議と冷たさを感じさせない。

「彼の様子はどうだった?」

 ジェラルドは猫を膝の上に乗せて撫でながら、まるで世間話のように軽く息子に話し掛けた。前マヴァール公爵である男は、宰相である多忙な息子に代わって、領地経営に勤しんでいる。二人でこうやって酒を酌み交わしながら、情報交換をするのが日常の光景だった。

「嘘はなかったですね」

 対するエヴァレットも簡潔な返事を返す。漆黒の艶やかな髪を持つ宰相である現マヴァール公爵のエヴァレットは、琥珀色の瞳を細めグラスの中身を味わっていた。

「ベリスフォード殿下の話をして揺さぶってみましたが、少し嫌悪感を露わにしていた程度です」

 エヴァレットはその時の様子を思い浮かべているのか、ジェラルドに視線を合わせず答える。

『こちらに都合の良い情報だけ与えて、相手を従わせるやり方は卑怯だと思わないかね?』エヴァレットはベリスフォードの話をしているように見せかけて、本質はクロードの考え方を試したのだ。異世界人を私利私欲の為に利用しているのではないかと、疑っていたのだから。

 バドレーに潜り込ませた間諜(通称『蜘蛛』)から、領主が黒髪の女性を保護したと一報が入った。黒髪はマヴァールでは大きな意味を持つ。それがこの召喚の儀が行われた直後だったので、異世界人ではないかと勘繰ったわけだが…。

 偶然と言うには時期が重なり過ぎている。だが、バドレーから国への報告はない。異世界人が関わることへの報告は国への義務であるから、隠すなど言語道断だ。これが意味するのは、ともすれば王家に叛意有りと疑われても仕方がない行為である。だがバドレーから不穏な空気を感じたことは一度もない。

 ジェラルドはエヴァレットに、クロードと接触する様に持ち掛けた。その結果クロードからも、後ろ暗い感情は感じ取れなかったとエヴァレットは話す。逆に感じたのは清廉な感情で、無表情な彼の見た目からは意外ですらあったとも。

 ただの偶然か?とは思うものの黒髪の女性がこの時期に現れるのは、希少な事例に違いない。


 《感情を読み取る》これは異世界人の先祖の黒髪を受け継いだ、マヴァールの血筋に度々現れる固有スキルだ。感情を読み取る、イコール嘘を見抜く能力なのだが、これが便利でもあり、疎ましくもある。若い頃は悩んだそのスキルだが、今は彼らの立場を支えていると言っていい。

 エヴァレットやジェラルドなどは相手の感情が流れ込んでくるだけだが、異世界人であった彼女は、相手が考えている事まで会話のように聞こえていたのだと言う。


「天文学的な確率で黒髪の女性が現れた。偶然と切り捨てるには、情報が足りません」

 エヴァレットの報告に、ふむと頷きながらジェラルドは猫を撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らす猫は、気持ち良さそうに目を閉じていた。

「異世界人と知らずにいる可能性もありますが、魔法への造詣が深い彼に限って、その可能性を疑わないとは考えられない。知っていて隠している場合、理由があるのかもしれませんし…」

 エヴァレットも表情には出難いものの、その内側に激情を孕んでいる事をジェラルドは知っている。

「そうだな。簡単な接触だけで、真偽を確かめる事は不可能だ。引き続き蜘蛛からの報告を待つとして、自ら動き出してみるよ」

 どの様な隠し事を持っていたとしても、敵でないならそれでいい。結局そこに尽きるのだ。


 ジェラルドはその一報を聞いた時、久しく感情が昂った。彼自身も熱くなっている自覚はある。全く見当違いかも知れないが、なんせ彼の祖母と同じ黒髪の異世界人の可能性があるのだから。黒髪だからと言って、同じ国だとは限らない。でも、もし万が一彼女が祖母と同じ国の人間ならば、あの謎が解けるかも知れない…。ほんの一縷の望みでも…縋ってしまうのは、ただ知りたいという純粋な想い故。


 思い出すのはジェラルドの頭を撫でながら、穏やかな笑みを浮かべる姿。漆黒の髪は白いものが混じってしまったが、その細められた目元の優しげな眼差し、黒曜石のような澄んだ瞳は愛情に溢れていた。

『ジェラルドの大切な人に、これを使って欲しいの』

 祖母が箱の中に入った、美しい髪飾りを見せてくれた。ジェラルドが十歳くらいの頃だっただろうか。

『この髪飾りを?』

『今はあなたのお母様が使ってくれているけれど、あなたが大きくなった時にあなたの大切な人に渡してあげてね。守ってくれますようにって、おまじないをしておいたからね』

『うん。約束する!』

『ジェラルドは、素直ないい子ね』

 自分の真っ直ぐな黒い髪を漉く、優しい手つきを思い出しジェラルドは懐かしい気分になった。

 ジェラルドが妻を迎えた時、約束通り祖母の髪飾りを妻に手渡した。それを目を細めて見ていた穏やかな祖母の顔を、ジェラルドは昨日の事のように鮮明に覚えている。


 彼女が亡くなった時、ジェラルドは喪失感で数日間泣き続けた。エヴァレットが三歳の頃だった。良い大人なのに情けないとは思うものの、祖母は彼にとって大きな存在だった。忙しい両親よりも長い時間を、一緒に過ごしていたからだ。

 大恋愛の末結ばれた祖父と祖母は、仲睦まじい夫婦として知られている。祖父はそんなジェラルドより酷く憔悴していた。祖母が亡くなってから、生きる気力を失くした祖父は、後を追うように一年後に亡くなった。祖父の葬儀にも涙は流れたが、祖母に会いに行ったのだと考えれば、悲しさの中に嬉しさもあり、不思議と納得できたのだった。



 回想に耽っていたジェラルドは、エヴァレットの声で現実に引き戻された。

「領主が黒髪の女性を、とても気にかけている様子だったと蜘蛛から報告が上がっています」

「氷の彫像と言われる彼が?」

 ジェラルドは思わず疑問を持ってしまった。クロードの態度は、誰に対しても最低限の礼儀さえ尽くせばいいと考えているのが、手に取るように分かる。簡単に懐に入り込ませないし、入ることもない。そんな男が?と。

「呼び名は他にもありますよ。死んだ表情筋だの、絶対凍土だの」

 エヴァレットはくくっと控えめに笑う。散々な言われようだが、それだけ目立つ存在であることの証だ。おそらく、容姿端麗の上、領主としても優秀な彼への嫉妬も入っている。後は、クロードに袖にされた令嬢が、冷たい態度の彼に言った言葉から発展したもの。

「クリストフは、人見知りなだけだと笑っていたがな」

 不器用だから心配だと眉間に皺を寄せていた男とは、暫く会えていない。

「ああ、フレデリック殿下も似たような事を仰っていましたね」

 エヴァレットは笑みを深くし、琥珀色の目を細めた。第二王子フレデリック殿下は、ジェラルドの孫になる。エヴァレットにとっては姉の子であるから甥だが、身分は王族になってしまった姉と甥には公的な場では気安く出来ない。だが私的には、ジェラルドは孫として、エヴァレットは甥として気安く接している。もちろんフレデリック殿下がそう望んだのも、理由としては大きい。

 フレデリック殿下はバドレー家の三男レナードと仲が良いらしく、クロードとも多少は交流があるようだ。

「家族や友人には、柔らかい表情も見せるらしいですよ?」

 ちなみにエヴァレットは見たことはないと笑っている。ジェラルドも社交的な最低限の笑みを見たことがあるぐらいだ。


 取り敢えずバドレーを訪れる許可をもぎ取らなければ、そう考えながら装飾品の修復依頼の手紙の文面を考えるジェラルドだった。

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