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収穫祭1

 綾は取り乱してしまった次の日は、皆に合わせる顔がなくて緊張してしまったが、今は元通りの日常に戻っていた。

 こういう時こそ仕事に力を入れ、自分自身に向き合うことにしている綾だが、少し問題もあった。一度元の世界のことを思い出してしまったら、そこから芋づる式に様々な記憶を思い出すのだ。家族や友人、同僚、師匠の事を思い出し、寂しくなってしまう。今の環境には満足していて、やりがいもあるのに心の隙間を埋めるのは難しい。


 神殿の奥、小さな森の様な場所に湧き水の泉がある。野鳥の声や木々のざわめき、時折聞こえる虫の羽音以外の音は、コポコポという水音だけ。こんこんと澄んだ水が湧いているのだが、流れ出る事は無い。その理由は単純で、城内の水差しや炊事場へと魔道具で繋がっているからだ。

 綾はお弁当を持って、昼休みにその場所にいた。何故なら、一人で考える時間が欲しかったから。仕事中は何も考えないで作業に没頭出来るのだが、休憩中や夜はそうもいかない。誰もいない空間は寂しくもあり、だからこそ穏やかでもいられる。皆の心配や気遣いは嬉しいのだが、元の世界へ帰れないが故の寂しさは綾の問題なので、誰かに頼ることも出来ない。

「何が不満だって言うの…」

 これだけ良くしてもらっていて、好きな仕事も出来るのに…。でも、ここに来ない事で得ていたものを考えてしまう自分は、強欲だ。失くしたものを、取り戻したいなんて、なんて自分は我儘なのだろう…。元の世界を諦めるには、まだまだ時間がかかるのだろうけど…。そこに想いを馳せる事ぐらいは、許されるだろうと連日ここに通っているのだ。


 綾は知らない。元の世界で自分が命を落とす運命だった事など、知らなかったのだ。




 そんな日々を過ごしている内に、収穫祭の日がやって来た。小麦の収穫が終わり、夏の実りが真っ盛りなバドレー領だが、避暑地に選ばれるくらい夏は涼しい。山沿いや海辺の別荘群は、貴族や裕福な商人が夏を優雅に過ごしている。そういう人々や、近隣の領の人々も訪れる為、華やかな装飾で町は彩られていた。

 色鮮やかな花で飾られた、家々の窓辺や魔法灯を見上げ、綾は浮き立つ空気を肌で感じる。町の大通りは屋台が並び、人々が思い思いに時間を過ごしている。広場で踊る若い男女や家族連れ、休憩スペースでのんびりと談笑する老夫婦、屋台を物色する子供達。


 綾の隣は、茶色のウイッグを被って変装したクロードだ。格好も、平民の晴れ着を着ているが、所作が綺麗なので貴族とバレている…変装になっていない気がするのは綾だけだろうか?綾も今日は黒髪を隠して、赤い髪のウイッグを被っていて、新鮮な気分だ。ベージュ色のワンピースも、この髪色に似合っている気がする。

 こちらの世界の人は日本人より体格が良く、綾はさっきから何度も埋もれてしまいそうになっていた。その度にクロードに救出されているのだが、いい加減痺れを切らしたクロードに手を繋がれてしまった。

「…小さい手だな」

 クロードがポツリと呟く。………完全に子供扱いではないでしょうか?カップルは腕を絡めて、身体を密着させているので、多分子供扱いで間違いない。綾はちょっと悲しくなってしまった。


 バドレーは避暑地とはいえ、夏の日差しはきついので、色々なところに日陰の休憩スペースが設けられていて、魔道具で涼しく保たれている。

 座って果実水を飲みながら、綾は兄に手を引かれて楽しそうに歩く女の子とその親達を、ぼんやりと眺めていた。………兄や両親は元気だろうか?いきなり、綾が居なくなって心配しているかも知れない…。

 次は何処に行こうか…とクロードに話しかけられて、綾はハッと意識を戻す。

「私はよく分からないので…お任せします」

 綾は笑顔で答えたはずだった。だけど返ってきたのは、長い沈黙で…。


「………あの、クロード様?」

 沈黙に耐えきれず、綾はクロードに話しかける。

「………最近…アヤの元気がないと、皆が言っていた」

 クロードの言葉と、真剣なアクアマリンの眼差しに綾の鼓動が早まる。気付かれていたのだと、綾は恥ずかしくなる。

「…最近、色々…思い出す事があって」

 綾はそう答えるのが、やっとだった。そしてまた長い沈黙が落ちる。視線を伏せた綾は、恥ずかしくて顔を上げられない。心ここに在らずの状態で出掛けるなど、相手に対して不誠実極まりないと思い至ったからだ。自分自身が、情けなくて情けなくて、たまらなくなる。

「……私の行きたい所で良いか?」

 綾が頷くと、思いのほか強い力で手を握られる。そうして立たされると、クロードは迷う事なく歩き出した。

遅くなって、すみませんっ!

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