綾の過去2
綾は、ダリアに連れられて彫金棟の食堂に来ていた。違うのだと何度も呟く綾は、泣きながらダリアに引きずられる様にここに連れて来られた。
食堂のある一階には談話室もあり、ソファの上に座らされた綾は、マーサからタオルを受け取ったダリアに涙を拭かれている。子供にされているような扱いも気にならないくらい、綾は自分の事に精一杯でクロードに失礼な態度を取ってしまった事を後悔していた。
見開かれたアクアマリンの瞳から見て取れたのは、驚愕と続いて傷付いた様子だった。違うのだと、そんなつもりじゃなかったのだとちゃんと説明したいのに、上手く言葉に出来ずに涙ばかりが溢れてしまう。一瞬、あの男と間違えただなんて、どうかしていたとしか思えないのに…。
「全然似ていないのに…何で…」
夜中に怖い夢を見てしまったせいだろうか………?
「アヤ、マーサが飲み物持って来てくれたけど、飲める?それとも夕食がまだだから、食事が良いかしら?」
ダリアはずっと綾の隣に座って、背中を撫で続けてくれていた。子供のように泣きじゃくっていた事を自覚した綾は、恥いるように俯いた。まだ心の中の嵐は去っていないが、自分の状態を自覚出来るくらいには落ち着いている。
「ダリアさん、すみません…私………」
そこまで言って、綾は口を噤む。どう説明すれば良いのか、綾は分からなかった。簡単に説明出来る内容ではなかったからだ。
「何があったのか知らないけれど、話しても話さなくても良いわ。まずは落ち着きましょう?ね?」
ダリアはぎゅっと綾を抱きしめた。よしよしと頭を撫でられて、背中をポンポンされて、綾は身体から強張りがほぐれていくことに気付く。
この異世界に来てから、誰かに抱きしめられたのは、エメリックの吸血の時ぐらいで、もしかしたら綾は寂しかったのかも知れないと自覚した。良い大人なのに、情けない事だが、今安心している自分自身がいるのは確かだ。
クロードとの乗馬は、抱きしめられた数には入らないと綾は思っている。あれは安心感ではなく、ドキドキの方が成分的に多い気がするのだ。
「ホットミルクよ?アヤさん、飲める?」
マーサがソファの前のローテーブルに、マグカップを二つ置いた。ダリアと綾の分だ。
「ありがとうございます…いただきます」
ダリアの身体が離れるのを少し寂しく思いながら、綾はカップを手に取る。温かいミルクを口に含むと、優しい甘味が広がっていく。こくりと飲み込んで、思わずほっと息を吐いた。
「蜂蜜入れてみたの。たまに飲みたくなって、自分用に作るのよ」
マーサは笑顔で、自分の分のマグカップを手に取り、向かいのソファに腰掛ける。
「とても美味しいです…」
何だか、子供を見守るような眼差しのダリアとマーサの視線を受けて、綾は面映くて俯く。チビチビとミルクを飲みながら、綾はポツリと言葉を吐き出す。
「…人違いだったんです。クロード様だと思わなくて…その…」
ダリアは綾の肩を抱き、背中を撫でる。その温もりに勇気を得て、綾はカップをローテーブルに置いて話し出した。
「…こんな所に居るはずもないのに…あの時はどうしてか……思い出してしまって…状況とか匂いとか…だから……クロード様に、申し訳ない事をしてしましました…」
綾は自分自身が情けなくて、項垂れた。膝の上でエプロンを握りしめる。
「間違えた人は、アヤにとって、怖い人だったのね?」
ダリアが問いかけると、綾はこくりと頷いた。思い出すだけで怖くて、肌が粟立つ。
「ここには、アヤを傷付ける人間はいないわ…」
ダリアは、綾をもう一度ぎゅっと抱きしめた。
「………はい」
綾はダリアの胸で肩の力を抜いて、しばらくダリアにされるがままになっていたのだった。