ダンスレッスン
ソフィアの提案に頷いた二時間後、綾は早くも涙目になっていた。
「ギャアァァァ!!!ちょ、ちょっと待って!!これ駄目!!ああ、だから駄目だって!!」
綾の叫び声がダンスホールにこだまする。この何ともいえない、ヒンヤリとしていつつ、プヨプヨの感触が素肌に這うように動き回っているのだ。くすぐったくて身を捩る綾に構わず、それは綾の全身を覆うように這い回る。
「だから、ちょっとだけ我慢してくれれば、すぐ終わるんだって」
水色のブルートパーズの瞳に水色の髪の少年が、呆れたように溜息を吐く。この少年こそが、ソフィアに紹介された綾のダンス講師だった。
「ううぅう、違和感!!スライムの感触って独特で、この反応は正常だと思う!」
「貴族令嬢は、平気な顔出来ないと駄目なんだけど?」
「私、貴族令嬢じゃないんで!!スライムに身体這い回れたこと、今まで生きてきた人生で皆無なんです!!」
「ええ!異世界人だとは聞いてたけど……ってさすがに、スライムは見た事あるでしょ?」
「…ないですね。こちらに来てから見たのって、グリフォンやドラゴンぐらいですよ?」
「…マジか」
少年はブルートパーズの目を見開く。
「人生初スライムが、あなたなので…」
実はこの少年、ソフィアの従魔であるスライムのラム君なのだ。普通スライムは何でも取り込み溶解する性質を持っているのだが、彼は人化した見た目でも分かる通り普通のスライムとは一味違う。もともと賢い個体だったのだが、ソフィアと出会い、ある時から知識を取り込む様になった特殊個体なのだ。取り込むのは知識や技術が主で、だからダンス講師を引き受けてくれたのである。ソフィアによれば、このスライムのラム君は知識を取り込み過ぎて、『賢者』の称号を持ってしまったらしいのだ。
今綾が纏っているのは、ラム君の分身体のスライムである。見た目は非常にアレだが、それさえ気にしなければ、非常に有効な手段なのだ。ラム君は、これを使って正しい姿勢や筋肉の動きを再現して、ダンスを踊らせる事が出来るのだと綾に説明する。ソフィアらしい身体で覚えよう!という訓練だ。
「まずは基本のステップ。そうそう、その調子!」
パンパンと手拍子するラムに合わせて、綾はq足を動かす。
自然と身体が正しく動くので、上達も早そうだと綾は胸を撫で下ろす。基本を教えてもらった後は、曲ごとに違う振り付けを覚える。そしてそれを音楽に合わせて踊る。ラムの指導方法は、日本にいた頃のダンスの授業と同じ感じなので、綾には親しみやすかった。そしていよいよパートナーと踊る事になったのだが…。
「クロード相手だと、背が高くないとね…」
ラムはそう呟くと、綾と変わらないくらいの身長だったのが、見上げる高さになる。身長に合わせて見た目も二十代前半のようになり、切長の瞳は艶やかで色気が凄い。魔物のスライムだと正体を知っていても、ドキドキしてしまう綾だ。
「あれ?こっちの見た目の方がタイプ?」
綾がぼうっと見惚れていたのに気付いたラムは、ふふふと口角を上げて笑う。綾は視線を逸らし、ダンスの振り付けを思い出しながら自主訓練をして意識をそちらに向けない様に気を付けるので精一杯だった。
実際にダンスを始めると、ラムの見た目は気にならなくなる。思った以上に大変だったからだ。身長差のある相手とのダンスがやりにくかったせいもある。これは難易度が高いのではないだろうか?と綾がラムを見ると、ラムは一旦ダンスを中止して考え込む仕草をする。…スライムなのに人間っぽい仕草だった。
「体を密着させるタイプのダンスは、クロード相手だと難しいかもね」
「そうですね」
「息が合ってないと…怪我しちゃう事もあるし…アヤは初心者だからねぇ…うん」
もっと簡単なやつに変えて欲しいなぁ…という綾の願いも虚しく、ラムは笑顔で言い放つ。
「練習あるのみだね!」
「…デスよね」
綾は項垂れつつ、ダンスの訓練を再開させたのだった。