カマルと綾2
いつも使っている客間に戻り、綾はベッドの端に腰掛ける。闇雲に屋敷に向かって歩き出し、何処をどう通って帰ったかも覚えていない。帰る途中で誰かに出会った気もしたが、綾は頭が一杯で反応すら出来なかった。
「……異物」
この世界に来て、綾は蔑まれたり憎まれたりしたことはなかった。それは綾が正体を隠していたから?これが異世界人だと人に知られた時の、正しい反応だとしたら?
『アヤ嬢自身が異世界人だと、王家に届け出た方が良いと思うんだ』
そう言った、マヴァール前公爵ジェラルドの言葉を思い出し、途端に綾は怖くなる。これから新しく会う人は、綾を異世界人として見るのだろうか…。そして、この世界の『異物』だと認識するのだろうか…?そう思うと、目の前が真っ暗に塗りつぶされていくような恐怖を感じた。
「違う…そんな事ない。エメリックやエリスさんや、パメラさんやクロード様は普通に接してくれるもん…カマルさんだって…」
次々に彫金棟の皆の顔が浮かぶ。その誰も、綾をいい意味でも悪い意味でも特別扱いなどしない。
そして沸々と怒りが湧いてきた。先ほどカダという少女に言われた時に感じたのは、驚きと悲しみ、そして怒りだった。綾は傷ついたのは確かだが、同時に怒りも感じたのだ。
「子供の言う事を受け流せないなんて、私もまだまだだな…」
私は口先だけの謝罪をされたくなかったのだ。そして口先だけの許しを与えたくもなかった。私は彼女を許せないから、謝罪を受け入れたくなかったのだ。
ベッドのくまたんを抱きしめて固く目を閉じる。じわりと湧いてくる涙を、我慢しながらベッドの上に倒れ込んだ。こんなことで、泣いてなんかやるもんか!思い出すのはカマルのエメラルド色の瞳ではなく、涼しげなアクアマリンの瞳。
心配そうなアクアマリンの瞳が、サラサラと揺れる銀色の髪の間から、綾を見つめている夢を見た。
綾が立ち去った直後、その場所は重苦しい空気に支配されていた。追いかけようとしたカマルは、チェスターからやんわりと止められる。チェスターが自身の護衛に合図をして、綾の後を追わせたのでカマルは引き下がったのだ。
綾を、一族の問題に巻き込んでしまったとの後悔がカマルを襲う。唇を噛み俯きそうになる心を押さえ込んで、その元凶と向き合わなければならない。
ブランの民の少女カダは、カマルと向き合って立っていた。明るい茶色の髪とエメラルド色の瞳は、ブランの民に良くある容姿である。もちろん世界中に散る過程で、他の国の人々の血が混じり、色々な髪や瞳の色を持つ一族の者が増えた。それは当たり前のことなのだが、古参の保守的な考えを持つ者には一族の長には一族の中から相手を選び、ブランの民の特徴を守るべきとの意見もある。カマルからしてみれば、それは古臭い考え以外の何ものでもないし、そんな事を言う者の意見を聞く気もない。カマルは守るべきものは一族の者、人が一番で次いで文化や風習などである。長い間他と交わらなかったからその容姿の者が多くなっただけで、ただそれだけのものを有り難がっている意味は無いと思うのだ。そしてこの少女も保守的な考えを持つ者だった。
相変わらず赤くなった手を反対側の手で押さえている。術返しにあったのだとすぐに分かった。カダの魔法の適性は知っている。光魔法は使えなかった筈なので、回復出来ないのだろう。カマルも使えないが、使えたとしても使わなかったと思う。
「一族の決定は絶対だ。お前は自分が何をしたのか理解しているのか?」
カダは綾の服装で、バドレーでの待遇を見誤り、侮蔑の対象にした。あの魔道具のネックレスが、綾を守る為のものだと認識出来ない愚か者だ。面会の場をマーレの屋敷で行う時点で、どれだけ優遇されているのか知る事も出来たと言うのに…。
「私は納得していません!」
ああ、何をどう説明したとしても、言葉が届かない事はあるのだ。散々議論したのにこの態度は救いようが無い。
「それでも決定は絶対だ。もう何度も話し合って出た結論を気に入らないと言うならば、一族の集落を出るしかない。そこまで考えての行動ならば、許容できる。だが一族を抜けてからにするべきだ。それがブランの意思だと思われるのは、許容出来ない」
カマルは出来るだけ冷静に話そうとはするものの、声に怒気がこもってしまう。
「私に出て行けと仰るのですか!?」
カダは目を見開き、信じられない!!と叫ぶ。
カマルの又従姉妹のカダは、末娘なので甘やかされて育ったのだろう。だが、一族の掟すら守れない者は、一族と名乗る事は出来ない。カダは鑑定魔法が使える事から、一族でも優遇されていたのだが、それが増長に繋がったのだろう。
「本当に何も考えずに行動したのだな…だが、もう庇える段階ではない」
一族に不利益をもたらした者は、追放一択である。子供ならば庇えるが、カダは成人済みなのでそれすら出来ない。
カダの身体を淡い緑の魔力が包む。何か叫んでいるが、これ以上言い分を聞く気はカマルには無かった。そして強制的に転移させたカダは、今集落の地下牢に居るはずだ。
「本当に申し訳ない事をした。無断での『鑑定』は敵対行為に取られても、言い訳出来るものでは無いのに…。謝罪すら拒否されたのなら、私達を許す気は…綾には無いのだろうな…」
自分にもう少し統率力があったなら、こんな事にはならなかっただろうか…。悔しさから、カマルは己の唇を噛む。今更後悔しても、時間は巻き戻らない。
「あなたからの謝罪ならば、アヤさんは受け取るでしょう。ですが形だけの謝罪ならば、必要無いという意味では無いでしょうか?」
チェスターの冷静な言葉で、カマルは今何をすべきか思い出し、それに対して頭が回りだす。
「また改めて、出直す事にします」
カマルはチェスターに向けて頭を下げる。
「余計な事を言わせて貰えば、浅慮な者は長の妻には向きませんね」
このチェスターという男は、カダの想いに気付いたのだ。だけど受け取れない好意など、困るだけなのだと理解すら出来ない者をどうしたら良いのだろうか。
「勿論、そのような事は起こり得ません」
カマルはキッパリとチェスターに言い切った。