祖母の秘密
マヴァール前公爵ジェラルドと、クリストフの言い合いが終わり、バドレー兄弟同士のじゃれあいも終わった頃、お互い気が済んだのか話の続きとなった。
「アヤ嬢に頼みたいのは、クリストフが言った通り、この簪の『鑑定』だ」
ジェラルドの祖母独自の隠蔽魔法が掛かっており、異世界の言語を解読可能な綾に頼みたいのだとジェラルドは言う。
「それは構いませんが、秘密を暴いても良いのですか?マヴァール前公爵様のお祖母様が、何か隠したくて施した魔法なのですよね?」
「私もそれは考えた。だが、もう祖母を知る者も少ない今、秘密が秘密でなくなっても良いのでは無いかと思うのだ。何より、私は何が書かれているのか知りたい。私はどんな秘密があろうと、私の祖母への想いが揺らぐ事はないと言い切れるからだ」
「…そこまで覚悟がおありなら、引き受けます」
「ああ、ありがとう!」
ジェラルドに手渡された木箱に入った簪を、綾は慎重に手に取る。
紅珊瑚の簪は精緻な細工が施されており、一目見てかなりの逸品だと見て取れた。小さな花の形の鈴が五個程付いていて、その内の一つが取れかかっている。
「では、拝見致します『鑑定』」
綾は目の前の文字を目で追いながら、何故ジェラルドのお祖母様が隠蔽魔法を施したのか理解したのだった。
綾が虚空を見詰めて、他の者には読めない文字を読んでいる時、他の者は食い入る様に綾に注目していた。特にジェラルドは、胸の鼓動が高鳴るのを自覚していた。これ程胸が躍るのは久し振りだ。
ジェラルドはスキルで、他人の考えがぼんやりと理解出来るのだが、バドレー侯爵家の皆は殆ど嘘がない。綾を怖がらせてしまったのは申し訳ないが、ジェラルドはこう見えて、綾を気に掛けている。ここで繋がりが出来れば、綾を支援する事もやぶさかではないのだ。
『鑑定』が終わり、綾が真っ直ぐにジェラルドを見詰めて話し出した。
「マヴァール前公爵のお祖母様、スズ様はこの簪をある人から貰いました。それは異世界に召喚される前で、自身の婚約者だった方です。スズ様は召喚されたその時、この簪を身に付けておられたのです」
一度も話していない、祖母の名前を綾が言い当てた時、ジェラルドは胸が高鳴った。
「ああ、そうだったのか!だから、隠蔽魔法を使ったのか!」
「はい、マヴァール前公爵様のお祖父様への配慮ではないでしょうか?」
そして綾が詳しく語ったのは、ジェラルドが初めて耳にする話だった。鈴の視点で語られる日記の様な内容は要約するとこんな感じだ。
福山鈴は老舗の呉服問屋の娘で、幼馴染で許婚の呉服屋の長男に嫁ぐ予定だった。
関係も良好で、二人は仲睦まじく結婚に何の問題もなかった。鈴自身も結婚を心待ちにする程で、お互いの家族も仲が良くこの二人の淡い恋を応援していた。呉服屋の長男の名は雅紀、彼からの贈り物の簪は、愛する人の名を表した可愛らしい鈴が付いていた。
だが、鈴が異世界に召喚されてしまった。彼女は、こちらに来た当初、現実を受け入れられず、泣き暮らしていたという。さらに悪かったのは、鈴の持っていたスキルが、人の考えを読むというものだったのだ。他人が抱く自分に対しての感情、知りたくもない色々な情報が入ってきて、人間不信に陥る鈴を支えたのがジェラルドの祖父、当時のマヴァール公爵だった。
食事も喉を通らないほど憔悴していた鈴は、部屋から殆ど出ない生活をしていたが、したい事はないか、行きたい場所はないか、食べたい物はないかと毎日根気よく問いかける男性に、自身の故郷の料理をポツリと漏らした。それを奔走し探し回ったのが、マヴァール公爵だったのだ。
献身的に彼女を支える当時のマヴァール公爵に胸を打たれ、鈴はやがて恋に落ちた。公爵は貴族らしく表情が動きにくいが、鈴への想いは彼女のスキルによって隠せていなかったので、鈴は次第に絆されていったのだった。
「まるで日記の様だな…」
綾が読み上げる内容にジェラルドは正直な感想が漏れた。その言葉に、綾も頷く。要約すると大した文章にならないのに、そこに鈴視点から感じた事や、気持ちが乗っているのだ。
「多分本当に日記です。その後は、結婚して子供に恵まれた事を喜ぶ文章が続いてて、孫の婚約者にこの簪を渡したいと思った事が書かれています。そして、『鑑定』のスキルを持っていた夫のマヴァール公爵に、この簪がかつての婚約者から貰った物だと知られたく無かったから、これなら心配性な旦那様にもバレないだろう…ふふふ的な事がかかれています」
意外とお茶目な性格だった祖母を、ジェラルドは懐かしく思い出す。
「祖父は祖母が大好きだったから、知ったら落ち込んだだろうね」
「でも、大切な物だからこそ、引き継いでもらいたかった気持ちも、分かる気がします。だって自分の名前と同じ『鈴』が付いているから、自分の分身の様な気がしたのだと思います」
ジェラルドは目を見開く。
「祖母の名はスズ、『鈴』と同じ意味だったのか!!」
「私の国では、『鈴』の音には魔除けや、空間を清める効果があると信じられてきたのです」
「ほう、そんな意味が…!アヤ嬢、祖母の形見の事、本当に知れて良かった!心から礼を言うよ!ありがとう!!」
ジェラルドは感極まって、身を乗り出し綾の両手を握った。クロードの眉間に皺が寄っているが、今は気付かないふりをしておく。
「私は大した事は出来ていませんが、喜んでもらえて嬉しいです。それに良い物を見せて貰えて私も嬉しいんです。紅珊瑚は真珠同様、汗や脂で汚れたら拭き取らなければ、輝きが落ちてしまいます。ですがこれは百年経ってるとは思えないくらい輝いていて美しい。どれだけ大切に扱われてきたのか、分かりますね」
黒曜石の瞳が細められて、微笑んだ綾の顔が、祖母のそれと重なった。ジェラルドの胸には熱いものが込み上げて、抑え切れないくらいだ。
いくら礼を言っても良い足りないくらい、ジェラルドは綾に感謝していた。そしてこれから彼女を襲う困難を払い除けるよう、手を尽くそうと決意したのだった。