交換条件
「…何故」
分かったのか?そう聞きたかったが、それは言葉にならなかった。綾はひゅっと息を呑み、血の気が引いていくのを自覚する。馴染みのある茶葉に心が躍り、淹れ方をアルフィに教えながらお菓子を盛り付けたのが仇となるとは…。これから自分はどうなってしまうのかとか、考えると目の前が暗くなる様だ。でも…だけど…それより、どうしてその言葉が出てきたのかの方が重要だと思った。馴染みのある和菓子、緑茶、それだけじゃない。マヴァールの直営店で、調味料を見つけた時に感じた事。この世界に日本人は召喚されていたのだと…。
「…日本をご存知なのですか?」
一気に冷たくなった手を握り締め、絞り出した声は分かりやすく揺らいでいた。
「私の祖母が日本人だったのだ。色々な文化を伝えたんだよ…」
マヴァール前公爵の声音には懐かしむ様な響きがあった。
「…私を王都に連行しますか?」
綾は恐怖のあまり声も、手も震えていた。
「君の返答次第では、目をつぶっても良い」
綾は俯いていた顔を上げて、マヴァール前公爵のサファイアの様な瞳を見詰めた。そこにあるのは思いの外、真剣な眼差しだ。綾を蔑む気配はない。何故だろう?命令して言う事を聞かせる事だって出来るはずなのに…。
「私に出来る事なら…」
綾はマヴァール前公爵をじっと見詰め返した。
「アヤ!交渉はもう少し慎重に行うものだ!」
成り行きを見守っていたクロードは堪らず声を上げた。
「ふふ、君には立派なナイトが付いているんだな。クロード、領主としての君の判断が、今の状態を招いた事を自覚しているかい?」
一見穏やかな口調に騙されるが、マヴァール前公爵の言っていることは厳しい。
「違うんです!私が頼み込んでここに置いてもらってるだけで!」
綾は慌ててマヴァール前公爵に説明した。
「アヤ、君に頼まれたのは事実だが、匿う事を決めたのは私の判断だ。もちろん責任を取る覚悟もある」
クロードのアクアマリンの瞳が、綾を真っ直ぐに見詰めている。その言葉が嬉しくて、綾の瞳が潤む。
「クロード様…」
綾がクロードと見つめ合っていると、すぐ側で生温かい視線を感じた。
「ふふふ、若いって良いねぇ」
マヴァール前公爵の声に綾は顔を赤くし、クロードもサッと視線を逸らす。
「ジェラルド、お前は性格が悪いな!」
クリストフが突っ込んだ。綾が周りを見渡すと、クロード以外の視線が生暖かいので、綾は思わず顔を俯けた。あれ?何でこんな感じになってるの!?さっきまでの緊張感は何処に行った!?
「ジェラルド、綾にやってもらいたい事は、例の髪飾りの鑑定だろう?」
クリストフは呆れた顔で、マヴァール前公爵を見ている。
「さすがクリストフ、御名答だよ」
「普通に依頼してくれれば、対応したのに…」
クリストフはぶつぶつと文句を言いながら、ジトッとした目でジェラルドを見る。
「確証が欲しかったんだ。それにクリストフ、君にアヤと髪飾りの言葉を結び付ける様子は無かったじゃないか!これだけ一緒に過ごしているのに、アヤと祖母の故郷が同じだ気付いたとは思えないが?」
なかなか鋭い突っ込みを、マヴァール前公爵は入れる。
「私は、妻以外の女性に興味が無いだけだ!!」
クリストフは堂々と言い切った。そうだよ、クリストフ様はこういう人だったと、綾は溜息を吐く。
「知ってる!だから直接確かめに来たんじゃないか!君が当てにならないから!」
「だって、私は引退した身だし!」
すっかり開き直ってるクリストフは、パタパタと手を振る。
「私だってそうだが、領地経営はしているぞ?君は趣味に没頭し過ぎではないか?蜘蛛の報告で私は羨ましくて仕方ないよ」
「ちゃんと関わってますぅー!!」
「趣味の部分だけだろ!!」
何だ?この小学生ぐらいの少年の様な会話は…。
綾が呆気に取られて見ていると、クロードとレナード二人分の溜息が聞こえた。アルフィは流石に態度を崩さない。秘書官の鏡である。
まだやいのやいの戯れている二人を尻目に、クロードは綾を手招きして自身の隣に座らせた。ふわりと森の様な香水の香りに、綾は安心感を覚えた。綾の隣にレナードも座ろうとしたのだが、クロードが追い払う。
「心が狭い男はモテないよ!?」
「心配しなくても、嫌というほどモテるので心配は無用だ」
とレナードに真顔で返すクロードは、ハッとした顔で綾を見、違うから!と慌てる。何がだろう?綾は首を傾げた。
「座らせてくれたって良いだろ?」
わざとらしく唇を尖らせ、レナードは渋々綾の斜め横の一人掛けソファに座った。
「何を言っている?わざわざ狭い場所に座る必要は無いだろう?空いてるところに行けば良いだけではないか」
「いやいや、三人掛けなんだから、兄上とアヤが少しズレてくれたら十分座れるよね!?」
「でかい男が座ったら狭い。空いてる場所があるのに、何故座らない?」
う、うーん?緊張感は何処行ったんだろ?綾は兄弟のやり取りを微笑ましく見守りながら、アルフィが持って来たお茶を飲んだのだった。
あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いします!