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クラムチャウダーと約束

 クロードは朝起きて、スッキリしない頭を顔を洗って無理やり覚醒させる。昨日は何だかんだと用事に追われ、寝室に入ったのは時計の針が深夜一時を指していた頃だった。父親との醜い争いに勝利し、気分が高揚していたせいでもあるだろう。さらにそこから腕輪への付与魔法を行い、結果を記録して気が付けば針は午前三時を回っていた。完全に自業自得だが、興味深い結果が出たので後悔はしていない。

 身支度を整え私室を出ると、クリストフと出会す。挨拶を交わし、通路を歩いた。カツカツと磨き上げられた石造りの廊下に、二人分の足音が響く。

「まもなく、中央から緊急呼び出し通知が届くはずだ」

「そうでしょうね」

 そうなる事は想定内だ。執務室にある小型の転移陣、領主達や王族から手紙は緊急の場合、ここに届く。

「他の連中の様子を観察しておけ、どこか接触して来たら警戒した方が良い」

 声を一段低くして、クリストフは呟くように言う。

 非常に低い可能性ではあるが、万が一綾のことが漏れていないとも限らない。間諜を潜り込ませて、腹の探り合いをするのは貴族の常套手段。情報は力だ、警戒し過ぎるくらいで丁度良い。

「…承知しました」

 クリストフは伊達に長年領主という役職に就いていたわけではないので、新米領主のクロードは父の忠告を有り難く受け取っておく。


「で、どこに行くのだ?」

 分かれ道でいつもと違う場所に向かうクロードに目を止め、クリストフはその背中に問いかけた。

「アヤと朝食を摂るので」

 振り返りつつクロードは答える。普段は自室で朝食を摂るのだが、エリスから聞いた綾の様子がどうにも気になった。そっとしておくべきか迷ったが、朝食に誘ってみたら了承を貰えたので向かうところだ。

「私も行こうかな?そのアヤを見てみたい。エメリックが可愛いと言っていた」

 好奇心を隠そうともしない父親に、デリケートな状態の綾を会わせたくはない。余計な情報を吹き込んだエメリックを心の中で罵る。はっきり言って邪魔以外の何者でもない。

「…見知らぬ強面の男が食卓にいたら、彼女は食事が喉を通らないかも知れません。父上は上司になるのですから、いずれ顔を合わせるでしょう?今日の所はご遠慮ください」

「其方、昨日から全く可愛げが無いぞ!」

 可愛げ…ねぇ。

「さて、どこかに置き忘れて来たのでしょう、探しておきます」

 そう淡々と返し、ではと歩を進めようとしたクロードの肩を、クリストフはがしっと掴んだ。

「昨日の腕輪の結果は?其方の事だから、色々試して結果を書き残しているはずだ」

 クロードの耳元で囁くクリストフ。肩を掴んだその手は力強く、逃がさないと雄弁に語っている。

「……」

「それで手を打とう」

 クロードはじとっとした目で、わざとらしい笑顔のクリストフを見詰める。親なのだから当たり前ではあるが、自分の行動を読まれている事が面白くない。

「後でエメリックに取りに来させてください」

 小さく息を吐いてそう言い残すと、今度こそ歩を進める。父親の上を行くのは、クロードにはまだまだ難しそうだった。



 向かったのは小規模な会食に使う部屋だ。小規模とはいえ、バドレー領の特産である樹木であるクメル製のテーブルの木目は緻密で美しく、それなりの大きさがある。十脚の椅子が並んでおり、その真ん中の席の脇に、黒髪を後ろで一つ括りにした綾が立っていた。着替えはエリスにサイズの合う物を用意させている。白のブラウスに同色のカーディガン、萌黄色のスカートと春らしい装いだ。

 赤い目をして瞼の腫れた顔は見ていて痛々しい程だ。まぁ、無理もないとクロードは思った。

 知らない世界に放り出されて、そこで生きていくというのは、口で言う程容易くはない。常識も違う、習慣も違う、今まで築き上げてきた人間関係、地位、全く意味をなさなくなる状況で、一から始めなければならない。その上、家族にも会えない。そんな状況で絶望しても何らおかしくは無いだろう。それでも、前を見据え進もうとする、綾の姿勢は好ましい。


 見ていられなくて、綾に近づくと、不思議そうな表情の視線が返ってくる。腫れぼったい瞼とは裏腹に、潤んだ黒曜石の瞳は澄んだ色をしていた。

「少し動かないように」

 綾の目元を覆うようにクロードは手を翳す。ほわりと青白い光が漏れてすっと引いていく。

「あ…」

 驚いた表情でクロードを見返す綾は、目元に手を当てて変化を確かめているようだ。治癒魔法で赤みと腫れは引いたが、寂しそうな瞳はそのままだった。どうせなら、寂しさまで癒せたら良いのに…。

「…ありがとうございます」

 ぺコリと頭を下げて綾は礼を言うが、コレは自己満足に過ぎないとクロードは思う。

「私が気になっただけだ」

「…クロード様って、モテそうですよね」

 綾はクロードをじっと見詰める。だがその視線に熱はない、ただ単純に感心している様子だ。

「意中の相手にモテなければ、意味はない」

 クロードが肩をすくめて見せると、黒曜石の瞳は瞬きを繰り返した。

「同感です」

 妙に感情のこもった同意の後、クロードを見上げふっと綾は笑った。それだけで、クロードの心は少し軽くなる。


 朝食のメニューは、数種類のパンとサラダ、スクランブルエッグと腸詰め、クラムチャウダーだった。天気が良ければ朝獲れた魚が、その日の午前中には市に並ぶ。これは昨日買ったアサリを、砂抜きしていたのだろう。

 腸詰めやスクランブルエッグを断っている綾は、パンとサラダとスープだけを給仕に皿に控えめに盛ってもらっていた。食欲が無いのかも知れないと、クロードは心配になる。

 いただきますと手を合わせて異世界式の食事のお祈りをした後、食事を始める綾をクロードはさりげなく観察した。

 スプーンを口に含んで、スープカップを覗き込んだ綾は、首を傾げている。

「海が近くにあるのですか?」

 そう言えば、この場所に対する知識は皆無だったな、とクロードは思い至った。

「徒歩で行くには遠いが、馬ならそれ程時間はかからない」

 綾の瞳が、興味がありそうに光を宿す。マーレと呼ばれる海沿いの街に、バドレー家の別邸がある。母親と弟がそこで過ごしているので、視察も兼ねてよく足を運んでいたのだった。

「行ってみたいのか?」

「はい、行ってみたいです。私の国は海に囲まれた島国なのですよ」

 自分が住んでいた国の話を、綾が自ら話してくれるのをクロードは嬉しく思う。恋しいと思っているだけだとしても、悲しみだけに沈んで欲しくはなかったからだ。

「…馬に乗れるのなら連れて行ってやるが、乗れるか?」

「…乗馬経験はありません」

 明らかに気落ちした様子で綾は答える。それほど行きたかったのか…。

「今から覚えればいい。練習すれば乗れるようになるだろう」

 クロードの言葉に綾の瞳が輝き、嬉しそうな笑顔になる。

「頑張って覚えますね」

 綾の心からの笑顔にクロードの顔も綻ぶ。

 クラムチャウダーがとても気に入った様で、綾はおかわりをしている。大丈夫そうだなと感じて、クロードは内心胸を撫で下ろしたのだった。

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