なぜ追放、ざまあがランキングを席巻するのか? 短時間消費型コンテンツ化する「小説家になろう」と、新人作家への提言
短時間消費型コンテンツという言葉がある。
嘘です、無いです。
ググった限りではないので、たぶん私の造語です、はい。
短時間消費型コンテンツとは、簡単に言えば短時間を消費するのに向いたコンテンツである(そのまま)。
短時間消費型コンテンツの特徴として、そのコンテンツに使用する時間を、使用者が生活状況によってどの程度割り当てるのか、といったことを反映させることができる、という特徴がある。
反対は、長時間消費型⋯⋯ではなく、「固定時間消費型コンテンツ」である。
固定時間消費型の代表として、TVドラマやアニメ、映画がある。
これは私個人の話になるが、これらに対して時間を消費する事は殆どなくなった。
ここ十年くらいまともにみていない。
最近だと無職転生のアニメくらいだ。
固定時間消費型コンテンツというのは、基本的に老若男女平等だ。
例えば映画の上映時間が二時間なら、頭が良い人、そうでない人、忙しい人、暇な人、誰もがそのコンテンツを楽しもうと思ったら二時間かかる。
スマートフォンの台頭で、娯楽は多様化した分、それを手軽に提供するデバイスであるスマートフォンに集中した。。
コンテンツはスマートフォンに集約され、コンテンツ提供側の戦略として
「どれだけスマートフォン使用者の時間を、自社のコンテンツに使わせるのか」
という熾烈な競争が起きている。
この競争に、我々なろう作家も無縁ではいられない。
サイレント・ウィッチという作品がある。
今日2021/3/5現在でも、ハイファンタジーのランキングで36位、非常に長い期間ランキング圏内に留まっている。
私はこの作品を読んだ時
「これは日間総合一位を取るだろう」
と思った。
小説家になろうにおいて、こういった作品こそ日間一位に相応しい、とさえ思った。
だからレビューも書いた。
しかし、現実は違った。
サイレント・ウィッチには持続力があり、長期に渡ってランキング圏内に表示されているが、日間総合一位にはならなかった。
今後、なるかも知れませんが。
ここで、小説というものがコンテンツとしてどうなのか、という話になる。
小説は、短時間消費型でありつつ、固定時間消費型コンテンツとしての側面もある。
各々の読書スピードや文章量によってその性質は変動する。
そして、その二つ次第で、どんどん短時間消費に向かなくなる。
つまりここで初めて「長時間消費型コンテンツ」としての小説、という話になる。
サイレント・ウィッチは、約百万字。
どれだけ読書スピードが速い人でも、その全てを楽しもうと思ったら長時間を消費しなければならない。
勿論途中で区切りながら、続きは明日、といったことはできる。
例えば、一斉に百人のユニークユーザーがサイレント・ウィッチを読み始めたとする。
そうすると、読み終わる時間は当たり前だがバラバラだろう。
ある人は、一日で読み終わるかもしれない。
じっくり一週間かけて読む、という人もいるかもしれない。
ではこの百人のうち、三十人が★5を付けたとする。
本当は、もっとバラつきが出るがわかりやすく解説するためにざっくりと。
読書スピードの速い十人は、1日で。
普通の十人が、3日後。
遅い十人が、一週間後。
ポイントの推移は
1日後に+100ポイント。
3日後に+100ポイント。
一週間後に+100ポイント。
となる。
もちろん、その間も新規の読者を獲得するので、長期的に見ればポイントは重なり始めるので、こう単純にはならない。
この100ポイントというのはハイファンタジーランキング下限の百位前後で、ランキングに載るか載らないかの瀬戸際、ということになる。
ランキング下限に載れば、また読者が増えるのでポイントは重なり始める。
だが、一気にドカンとポイントが入る、というのは難しい。
もちろん、現在評価は最新話だけでなく行う事ができるので、読んでいる途中に評価が入ることはあるだろうが、それでもポイントの増え方はどうしても「ドカン」ではなく「ジワジワ」となるだろう。
一方、最近流行りの追放ざまあ。
物語のピークである「ざまあ」に辿り着くのが、どんどん早くなっている。
これは、小説家になろうを「短時間消費型コンテンツ」として捉える読者層を狙っているためだ。
最近では、冒頭とざまあ部分だけ読む、なんて読者も存在するようだ。
これは私個人の経験になるが、あるYouTuberの動画が好きで、よく見る。
その人は魚を仕入れし、捌き、料理にする。
とても面白い動画だが、私は魚を捌くシーンは基本的に飛ばす。
その魚が、どんな料理になるか、しか見ない。
もちろん、魚を捌くシーンこそ醍醐味だと楽しみにする視聴者もいるだろうが、私はそうではない。
なので、その方の動画時間は基本的に十五分程度だが、その動画に私が使う時間は五分前後だ。
別に統計があるわけではないが、このような時間の使い方は今後ますます増えるだろう。
話を戻すと、追放からざまあまで三万字だとすると、恐らく読者はそこまで読むのに、読書スピードにバラつきがあっても一時間前後。
三十人が★5を入れれば、1日で300ポイント。
現在のハイファンタジーのランキング五十位前後に載るのに充分な数字となる。
そしてそのくらいのランキング順位だと、さらに読者は増え、ポイントは加速度的に増加する。
現在、日間総合ランキングは異世界恋愛カテゴリーの短編が席巻している。
これは、もちろんそれらの短編に面白い物が多いという事もあるだろうが、小説家になろうを「短時間消費型コンテンツ」として利用する読者層の増加を意味してる、と私は捉えている。
つまり、単純に恋愛が強くなり、ハイファンタジーが凋落し始めた、ということよりも、人間関係だけ説明すればざまあ要素に辿り着きやすい異世界恋愛と違い、ハイファンタジーではどうしても「スキル」や「ジョブ」を説明する必要があるため、ざまあまで辿り着く「短時間消費型コンテンツ」としてみた場合、まどろっこしい、というだけのことである。
異世界恋愛における「ざまあ」は、とりあえず人間関係を説明し、その後愚か者を転落するなどさせて罰すれば良い。
一方ハイファンタジーにおける「ざまあ」は、人間関係+スキルやジョブの内容を説明した上、それをどのように使用してざまあするのか、も書かなければならない。
つまり「ざまあ」までのストーリーラインが、異世界恋愛の方が短期で優秀、とも言える。
昨今のランキングに不満を持つ読者層というのは、つまり、小説家になろうにおいて「長時間消費型コンテンツ」を求めている層である。
つまり、サイレント・ウィッチが日刊総合一位とならなかったのは、長時間消費型コンテンツを提供する場としての「小説家になろう」に期待する層が、増え続ける短時間消費型コンテンツを求める層に敗北した、とも言えるし、これは恐らく今後、小説家になろうに限らず、あらゆるコンテンツに当てはまっていくだろう。
それは私が、魚を捌くシーンは飛ばすように。
なので、長時間消費型コンテンツをなろうのランキングに求めるのは、もはや時代遅れなのだ。
全くなくなる、ということはないだろうが、短時間消費型の作品はどんどんランキングにおいて存在感を増すだろう。
そして、小説家になろうにおいての「書籍化」と、ランキングを上がる物に求められる「短時間消費型コンテンツ」としての作品の乖離は進む。
書籍化を考えた場合、外せないものがある。
その小説が十万字を越えるかどうか、である。
十万字を越えなければ、基本的に書籍にならない。
つまり、書籍というのは本質的に「長時間消費型コンテンツ」としての側面が強いのだ。
本を購入する際、その人の読書スピードによって変化するものの、「そのコンテンツにどれだけ時間を使うか」というのは、個人個人が感覚によって判断できる。
そして十万字というのは、多くの人にとって三十分とか一時間ではないだろう。
逆に言えば、仮に二時間使うのであれば、「二時間使用するに足るコンテンツ」であることを求められる。
だが、現在小説家になろうにおいて多くの読者層に求められているのは短時間消費型コンテンツであり、それは書籍に求められるものと、どんどん乖離する。
なので、ポイント上位の作品から書籍化されても、長期に渡ってシリーズ化するような名作小説ではなく、物語のピークが一巻その前半にあり、その後はまたなんとかヘイト対象を作り、ざまあで話を繋ぐか、主人公がとにかく気持ちよくなれるような体験を繰り返す、似たようなエピソードが連続するような、自転車操業的小説ばかりが増えるだろう。
つまり、多数派読者の要望に応えようとすればするほど、一つの作品に腰を据えて執筆するのではなく、どこかで見たような小説の再生産ばかりが繰り返されることになる。
これは読者を意識改革しよう、とかでは歯止めはかけられない。
スマートフォンが持つ「短時間消費型コンテンツへの快適なアクセス」という特徴、つまり時代の要請だからだ。
仮に小説家になろうに投稿される小説が今後「長時間消費型コンテンツ」ばかりになったとしても、その場合スマートフォンで提供される別の「短時間消費型コンテンツ」へ人が移動し、小説家になろうが衰退するだけだ。
恐らく、すでに固定ファンが多数いる「なろう大御所」以外が「長時間消費型コンテンツ」として小説を書いても、サイレント・ウィッチレベルの作品でない限り、そのほとんどが見向きもされないだろう。
では、そんなものはとても書けないという、私を含めた新人作家が、今後小説家になろうにおいてどうやって作品を書いていくのか、その上でどのように読者を獲得するのか、という事になる。
一つは、完全に割り切って、短時間消費型コンテンツとして小説を乱発する事である。
序盤でポイントをかき集め、それを十万字まで引き延ばし、書籍の打診を待ち、書籍化し、打ち切られたらまた同様の作品を書く、という手法。
だがこれは、当たり前だが多くの作品を書くことが求められる。
筆の速い人でないと難しいだろう。
そして、ますます乖離する状況に辟易した出版社は、いつかポイントを見て打診する、ということを控え始めるかもしれないし、すでにそうなっているのかもしれないが、私にはわからない。
次に考えられるのは、「短時間消費型コンテンツ」から「長時間消費型コンテンツへの誘導」だ。
というと、「え? いわゆる短編詐欺?」と思う人がいるかもしれないが、違う。
現在「断編」とか、「短編詐欺」などと呼ばれる作品群は、「ざまあ見たければポイント入れてね!」というだけなので、それが連載になったところで結局「短時間消費型コンテンツ」である。
ランキングに載る手段としては有効なのだろうが、結局変わらない。
手前味噌で申し訳ないが、最近投稿した「俺は何度でもお前を追放する」という新作が結構読まれた。
この作品、追放はあるがいわゆるざまあはない。
たぶん。
最高で日間二位、一日に獲得した最大ポイントは6416ポイント、現在約40000ポイントである。
この小説は、典型的な「短時間消費型コンテンツ」だ。
約三万五千字、一時間かからずに読める。
感想欄などには書いて良かった、と思える嬉しいコメントが多数寄せられたが、その中に
「時間が丁度よい」
という意見が多数含まれていた。
この小説、連載終了時点では、ブックマークが37、それまでの1日の獲得ポイントで一番多い日で80ポイントくらい、ギリギリハイファンタジーのランキングに入らなかった、という作品だ。
それが、完結を機に読者が増え、夜22時に完結した作品が朝の段階で150ポイントを獲得し、無事ハイファンタジーのランキングに入った。
このようなポイント推移を辿ったのは、この作品が「短時間消費型コンテンツ」だからだ。
読み終えた方に頂いたポイントが、その日のうちに集中した、だからランキングに載れた。
もっと読みたい、物足りない、という意見もあったのだが、そういう方向けにちょっとした後日談も書いた。
そしてこの作品を書くことで、私の中で一つ大きな出来事があった。
過去作(まだ連載中だが)である「農閑期の英雄」のブックマークが1000ほど増えたのだ。
農閑期の英雄は、ピーク時のブックマークが4800で、ランキングから転落後はブックマークは減少し、4100程度になった。
書籍化に伴い、100ほど増加し、今回の新作を読んだ読者が、農閑期の英雄も読んだ、または時間がある時に読もうとブックマークしてくれたおかげで、またランキング入りし、結果さらにブックマークが増えたのだ。
農閑期の英雄は、約三十万文字。
「短時間消費型コンテンツ」とはあまり呼べないだろう。
私の言う「短時間消費型から長時間消費型への誘導」はこれだ。
経験がある人も多いのではないだろうか。
「あの話だけちょっと読もうかな」と思っていた漫画や小説を、気がついたら読破していた、といった経験だ。
つまり、短時間消費型コンテンツを求めていたはずが、いつの間にか長時間を消費していた、という経験。
あるよね?
そして、長時間消費型を短時間消費型に変える手段もある。
「連載」だ。
総量としては長時間消費するものの、毎日ないしは週何回、月一回でもいいが、連載を追ってもらうことで、「一日の消費時間のうちいくつかを、自分の連載小説に割いてもらう」という手法。
つまり、短時間消費型コンテンツとして優良なものを提供しつつ、本命の長時間消費型コンテンツへ無理なく移行してもらう、ということ。
つまり、短編だけ、長編だけ、ではなくこれからは「どっちも書ける」を目指す必要がある。
そして強力な短時間消費型コンテンツとして作品を発表し、同時に「長時間消費型コンテンツ」として優秀な連載を始めれば、その作品が伸びる可能性は高くなる。
では、そろそろ結論。
今後私を含めた新人作家がなろうで生き残る戦略は
1・サイレント・ウィッチクラスの名作を書く(難易度・激ムズ)。
2・短時間消費型コンテンツを提供し続ける(結局これも激ムズ)。
3・短時間消費型コンテンツから長時間消費型コンテンツへの誘導(なんだかんだ難しい)。
となる。
で、私は今回3を選んだ。
というのも、今私は「俺は何度でもお前を追放する」の完全版を構想、および執筆中だ。
ハッキリ言って、面白さ倍増である。
まだ未発表だが、見かけたら是非読んで貰いたい。
つまり、このエッセイ自体が、短時間消費型コンテンツであるエッセイから、長時間消費型コンテンツへの誘導の為に書かれたのだ!
はっはー! 引っかかったなー!
⋯⋯読んでね。
では。