第二十話「信頼」
「着いた、ここ」
照川に連れられたどり着いた場所は、その外見からも分かる通り。
「……なんか渋いな」
裏道に入った、陽キャ女子が近づきそうもない、言ってしまえば地味な感じの喫茶店だった。
ナトラエも若者客を取り入れようと、外装を明るい感じに仕上げている。だけれどここは裏道にあって、隠れ家のような様相をしている。
「なんか照川がこういう雰囲気の場所に来るなんて、意外だ」
「意外ってどういうこと?」
「照川のことだから、もっとインステ映えしそうな店とかに行くものだと……」
インステ―――インステグラムは、若者を中心に今一番勢いのあるSNSサービス。そこで人気が出るような写真を撮影できる、いわゆる映えるような陽キャ女子御用達の店に行くものだと思っていた。
「確かに普段のみんなと一緒なら、そういうところにもいくけど。でも一人の時は、こんな風に落ち着いた場所の方が好きなの」
そう俺に説明しながら、入り口の扉を開く。
中に入ると、そこも外見通りの静かな空間と言った店内。今のところお客は一人もいない。
カウンター席の奥に陳列している酒瓶を見れば、夜が酒場であるということがすぐに理解できる。昼は喫茶店、夜はバーなのだろう。
ナトラエとは違う、まったく別種の喫茶店。こういう雰囲気の店は、あまり経験がない。
「やぁ陽里ちゃん、いらっしゃい」
入って最初に声をかけてきたのも、これまた渋い感じのバーテンダー。
「お久しぶりです、マスター」
「おや、今日はお客連れなんだね。もしかしてそこの君は、陽里ちゃんの彼氏かな?」
「ま、マスター‼ こいつはそんなんじゃ……!」
「って言ってるけど、そっちの君は?」
「えっ、あぁ……違いますよ」
店の雰囲気に充てられて、ナトラエモードになりかけていた。仕事モードはココでは押さえよう。
それに、なんか照川には睨まれてるし。とりあえず普通の客としていないと。
「へぇ、なるほどね」
「?」
「いいや、お好きな席にどうぞ」
何を納得したのかは知らないが、案内されて二人でテーブル席へ着く。
「ご注文をどうぞ」
「私はいつもので」
「俺は……アールグレイのホット、ストレートで」
「かしこまりました」
注文を取ってから、静かにその場を後にするマスター。
「さて……」
そうして改めて、照川が俺の方を見つめてくる。ただ、顔は笑顔なのに目が全く笑ってないのがものすごく怖い。
「まず一つ」
「?」
「今日見たことは絶対に他言しないこと。分かった?」
「いや、俺は別に……」
「分かった?」
「いや、だから……」
「わ・か・っ・た?」
「……はいはい、分かりましたよ」
「返事は一回!」
「……はい」
相変わらずな調子の照川。けれども、久し振りなこの感じの照川を見て、なんだか安心感を覚える。
「……で、照川の方こそ何してたんだよ」
聞きながらも、大体察しはついているんだが。
「今日発売のグッズを探してたの。その途中で、色々なものに目移りして……」
「……この量か」
確かに何店舗も店を巡っている間の照川は、何かを探しているといった様子だった。最終的にはその何かを見つけて大興奮していたけれど。
けれどもその間にも、いくつものグッズを買い込んでいた。
「こんな量、どうするんだよマジで」
「部屋に飾るの」
「……マジで?」
こんな数をすべて飾れるとか、照川の部屋は一体どうなっているのか。
「お待たせしました」
と、そこでマスターが注文の品々を持ってくる。一度会話を切って、頼んだ紅茶に口をつける。
「……美味い」
「でしょ?」
照川がドヤ顔で見つめてくる。なんか勝ち誇られてるようで、ちょっとムカつく。
ただそれはともかく、この紅茶は本当に美味い。もしかしたら、俺以上に美味いかもしれない。いや自惚れるつもりはないけれども、ちょっと衝撃を受けた。
「俺が淹れる紅茶に反応が薄い理由が分かった気がしたわ」
こんなうまい紅茶をしているなら、確かに俺の淹れるものなんて霞む。
「そういうわけじゃ、ないけど……」
「……それで、なんでこんなところに?」
こうしてお茶に連れてこられたけれど、なんで連れてこられたのかよく分からないままだ。そろそろ本題に迫っても問題ないだろう。
「それは……。……あんたがつまらなそうにしてたから」
「はぁ?」
「私に付き合わせて、振り回して。悪いと思ったから」
「はぁ……」
普段から人を散々弄んでいるのに、今更何を言っているのか。
「なんでそんな顔をしてるのよ」
「なんでって言われても……」
「何か不満なの? 零斗だけが誰も知らない私の趣味を知ってて、それで一緒にその趣味で盛り上がれるんだから。それのどこが不満なわけ?」
「いや盛り上がってないし。それにお前と趣味は共通じゃない」
俺に腐女子趣味は存在しません。どっちかと言えば照川一人で盛り上がってたし、それを少し離れて見てながら荷物持ちしてただけだ。
「……もういい」
そう言って、席を立ちあがる。
「どこへ行くんだ?」
「お手洗い! そんなこと聞くなバカ!」
そのままづかづかと歩いていってしまう。
「なんなんだ、マジで……」
本当、照川の言うことはよく分からない。
「やれやれ、君は男性としてはダメダメだね?」
反対に近づいてきたのは、この店のマスター。
「君、同業者だね?」
「…………」
「見ていればわかるよ。あぁいや、別にそれがどうということはないんだ。久しぶりに緊張したよ」
「……すごい美味しかったです」
そう、素直な感想を述べた。同業者として悔しい一面はあるけれど、それは決して表には出さない。褒めるべきは褒める、それがこの一杯を入れてくれたマスターへのお返しだ。
「それならよかったよ。そのうち君の店にも行ってみることにしようかな。見てわかるよ、君も相当な腕前何だってことはね」
「お待ちしております」
「でも、それならもっと女の子のことは大切にしないとダメだよ?」
「はぁ……?」
マスターの急な話題転換についていけない。
「陽里ちゃんとは、あの子が中学生の頃から知っているんだけど」
「?」
そう思えば、急に照川との過去話を始める。
「彼女最初の頃はあんな垢抜けた子じゃなかったんだよ」
「垢抜けたって……」
もはやそんな言葉、死語だろうに。
「うまい言葉が見つからなかったんだ、許してくれ。でも、今ほど明るい子じゃなくて、もっと地味な感じだったんだ。そして……」
「そして……?」
そこで何故か言葉を止める、その表情は、少し重苦しい。
「いつも一人だと言っていた。自分の趣味を分かってくれる同性はいなかったってね」
「そう、なんですか……?」
今の照川とは、普段から友達に囲まれてたくさんの男子から注目の的になっている照川とは真逆だ。つまり彼女は、いわゆる高校デビューというものなのだろう。
「だから意外だったよ、君みたいな人と一緒にこの場所に来たのはね。自分だけの秘密の、癒しの場所だって言ってたから」
「秘密……癒し……」
マスターの話を聞いて、少しずつ疑問が融解していく。
照川が文化探究部のことを『心休まる場所』と言ってた理由、オタク趣味を隠している理由、記事を出すときに極端に怖がっていた理由。そのすべてが、一本の線でつながった気がした。
「あの子が君のことをどう思ってるのかはさておいて、少なくとも、自分の秘密を反すくらいには信頼しているんだ。だから君も、それにちゃんと応えるべきじゃないかな?」
「……………………」
信頼。正直よく分からない。
普段は俺のことを道具扱いしてくるくせに、信頼されてるとは思えない。嫌よ嫌よも好きの内とか、可愛さ余って憎さ百倍とか、そんな言葉は信じられない。
ただ、照川が俺のことを信頼して色々と話をしているのなら……。
「何の話をしているの?」
戻ってきた照川に、怪訝な目で見られる。
「僕が紅茶の味を聞いていただけだよ。そうだろう?」
「え、えぇ。そうですね」
「そっか。確かにマスターの紅茶は美味しいからね」
何とか誤魔化すことには成功した。それでも、マスターの話は片時も頭を離れることはなかった。
信頼。その言葉の重さと意味を、彼はいかに思うのか