第十五話「気まずい空気」
壁ドン。
若干死語になりつつはあるが、青春に身を置いていてその言葉を知らぬ者はいないと言い切れるほどに有名なものだ。陽キャ陰キャ関係なく、万人共通な言葉。
特に女子などは一度はされてみたいという願望くらいは持っているのだろう。最もそれは、イケメンに限るという文言付きではあるが。
そう、だから陰キャオタクな俺にとっては、最も縁遠いものであるとしか思っていなかった。
しかし今、俺はその縁遠いものと相対することになった。しかも、それをされる側として。
(なんで俺は、月影先輩に壁ドンされてるんだ?)
そう、俺は今階段の踊り場で月影先輩に壁ドンされている。
「零斗くん、私の質問に答えなさい?」
「いや、答えろと言われましても……」
「どうして主人たる私に答えられないのかしら?」
(どうしてこうなった……)
その事情を詳しく知るためには、これまでの出来事を順に追って行く必要がある。
基本広報誌は他の部活と同じように、図書室前の一角に置かれることになっている。そこに印刷と印鑑を押し終えた広報誌を持っていったら、図書室の前に大量の人がいた。今まで見たことがないような規模と人数が。
「来たぞ!」
そしてその集団は俺の姿を見るや否や、一斉に突撃してくる。
「な、なんだ⁉︎」
「早く照川陽里さんの記事を渡せ!」
「そうだ!」
「俺にも寄越せ!」
「俺が先だ!」
「ちょ、ちょっと待て‼︎」
そこから先はまるで生殺与奪をかけた戦いのような、地獄絵図だった。
とにかくもみくちゃにされながら、俺個人はなんとか脱出。しかし記事については、二、三分も経たずに跡形もなく消え去っていた。
当然手に入れられなかった者たちの怒りや不満は爆発して、俺に飛んできた。
「なんであれしか数がないんだ!」
「もっと印刷しろ!」
「全員に行き渡るようにしろ‼︎」
「ちょ、ちょっと待てっての‼︎」
結局その騒動は、図書室から出てきた司書さんと、偶然通りかかった先生の手腕によって収められた。
俺を含めて数人が職員室に呼ばれ状況説明をし、結局増刷するという結果に収まった。なおその増刷分も、今朝になったら全て無くなっていた。
おそらく原因は、俺が照川が記事を出すことをクラスに漏らしてしまったから。その情報が他クラス、他学年の人たちにまで流れた結果の惨状だろう。
(来月の月影先輩以降の記事については、絶対に出すことを漏らさないようにしよう)
そう心に誓うこととなった事件であった。
そんなことがあった次の日の放課後、久しぶりに部員全員が部室に集まった。
そして話題は早速、昨日の照川の記事に関する事件のことになる。
「照川さんの記事、瞬間的に完売したって言う話を聞いたのだけれど」
「それって、本当なんですか~?」
「……酷い目にあった」
彼女たちに改めて事件の概要を話すと、二人とも渋い顔になった。
「なんというか、お疲れ様です先輩〜」
普段俺を犬扱いしてくる星井さんですら俺に同情してくれる。
「でもそれは、照川さんが零斗くんの教室に行ったことが原因じゃないかしら?」
「っ……」
その言葉に肩を震わせる照川。確かに原因の一端はそこにある。
「あなたがもっと零斗くんのことを考えてあげれば、こういう風にはならなかったんじゃないかしら?」
「え、月影先輩がそれを言います?」
「そうですね〜、零斗先輩が可哀想です〜」
「いや星井さんもそれを言える立場じゃ……」
「し、仕方ないでしょ! 私の場合はあんまり時間もなかったんだし。それに……」
「……ん、どうした照川?」
「っ……」
照川は一瞬俺に目を向けて、すぐに逸らしてしまう。今朝のあの画像の一件以降、ずっとこの調子なのだ。今までのように召使い扱いされなくはなったものの、話すことすらままならなくなってしまった。
「と、とにかく! 反省はしてるから! それでいいでしょ!」
照川はそれ以上何も言わなくなってしまう。
「まぁいいわ、とにかく広報誌のスタートとしては悪くない結果のようね」
「まぁ、そうですね……」
ちょっとしたハプニングがあったとはいえ、広報誌のスタートとしてはこの上ない良いものだろう。これだけ話題になれば次回以降も期待が持てる。
「それよりも、弥美は零斗先輩に久しぶりに得意芸を披露して欲しいです〜」
「そうね、久しぶりに零斗くんの紅茶が飲みたいわ」
「はいはい。分かりました」
二人に言われて、久しぶりに部室で紅茶を淹れる。もちろん久しぶりだからといっても、手は抜かないし腕も落ちていない。
「ほら、照川の分」
数はもちろん照川の分も含めた全員分。
「…………」
けれども照川はこちらを向くことはなく、無言で口をつける。
「……零斗くん、ちょっといいかしら?」
「なんですか?」
「少し外にいきましょう」
「はぁ……、分かりました」
話ならここでもいいとは思うが、言われた通り先輩について部室を後にする。
無言のまま部室を離れて、階段の踊り場まで来てから俺の方に振り返る先輩。
「……それで、照川さんとはなにがあったのかしら?」
「はい?」
「照川さんのあの態度、終始おかしかったわ。この一週間の間に何かあったと言ってるようなものだわ。それで、何があったのかしら?」
「……いえ、何もなかったですけど」
まさか照川が俺を使ったコラ画像を作っていて、それを見てしまったなど言えるはずもない。照川に悪いし、何よりも俺自身にもダメージがくる。そもそも正直に言ったところで信じてもらえるはずもない。
「そう、あくまでシラを切るつもりなのね」
「いえ、だから本当に何も……」
「なら私にも考えがあるわ」
「は……? え、先輩……?」
言うが早いか、月影先輩がいきなり近づいてきて、俺は踊り場の壁まで追いやられる。
そして静かに先輩は、左腕を俺の顔の右の壁につけていた。
「あの、先輩……?」
「零斗くん、私の質問に答えなさい?」
こうして、俺は生まれて初めて壁ドンを経験することになったのだ。しかも壁ドンされる側として。
「三度聞くわ、照川さんと何があったの?」
追撃と言わんばかりに、右手で俺の顎を軽く持ち上げる。いわゆる、顎クイ。
「ちょ、先輩……」
あまりの不意打ちに、心臓の鼓動が痛いくらいに早くなる。なんだか頭までクラクラしてきた。
「答えてくれないの、零斗くん?」
「いやだから何度も言ってるじゃないですか。何もないって……」
「…………」
「本当ですって!」
「……そう」
そこで諦めたのか、ようやく壁ドンと顎クイから解放される。
「はあぁ……」
足に力が入らず沈み込む。心臓はバクバクで、息もだいぶ荒くなった。いくら何でも、あれは卑怯だろ……。
「まぁいいわ、今はそういうことにしておいてあげる。ところで」
「はい……?」
「照川さんの記事を書くにあたって、一体どういう風に作業を進めて行ったのかしら? それくらいは教えてくれるでしょう?」
「別に特別なことはしてないですけど。図書室に連れられて、照川が選んだ本を読まされて、土日に街の図書館で一緒に作業をしたって感じです」
「…………」
「先輩?」
それを聞いた瞬間、先輩の表情がさっきよりも険しくなる。
「……つまり零斗くんは、作業と言いながらデートをしたということね」
「ちょっ、デートじゃないです!」
「誰が聞いたとしても、デートしたとしか思えないけれど?」
「だから単に作業をしただけであって、デートでもなんでもないです! それにそんなこと言ったら間違いなくて照川が怒りますし」
「照川さんのことなんてどうでもいいわ」
「ちょっ⁉︎」
「でも、それは一旦置いておきましょう」
「置いとくんですか⁉︎」
「照川さんのやったことは、確かに効率的ね。なるほど、そういう事……」
「……?」
「いいえ、なんでもないわ。そろそろ部室へ戻りましょう」
「え、えぇ?」
何が何だか訳がわからないままに、先輩は部室への帰路につく。なにも言えず、その後をついていく俺であった。
「……なんで零斗が月影先輩に壁ドンされてるの? それにデートって……?」
まぁそりゃあんなことがあったら、こうなりますよねぇ。
で、涼子先輩はいったいなにを考えているのでしょうかね?
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