魔王まさゆきの熱属性魔法
杉村まさゆきは異世界転生で得たスキル「全知全能」を封印し、一般庶民としての人生を選んだ。
結婚し、定年まで勤め上げ、子供と孫が生まれ、その生涯を全うした。
しかしスキル「全知全能」取得時のショック死を拒否したまさゆきは、死そのものに拒否される存在となっていた。
死を得るためには、全知そのものへ自身の精神を押し上げなければならない。
精神拡張の旅路の第一歩として、まさゆきは魔王に転生した。
スキルのサポート役であるレムレースは、魔王転生の目標を、その異世界の人間の殲滅にあると語った。
レムレースとまさゆきは格闘ゲームの筐体で対戦している。レムレースはまさゆきより経験者であるが、デーモンの反射神経も手伝い勝てない程ではなかった。負ければ普通に悔しがるので、接待プレイというわけでもなさそうだ。
もし彼女が本気を出してスキル"全知全能"を駆使するなら、まさゆきとの対戦などワンサイドゲームのはずである。他の一人用ゲームでも、理論上の最短クリアどころか、偶発的な電気信号によるエンディング画面の呼び出しさえ可能なはずだ。
彼女がその一部分を預かるスキルは、オンオフとか、出力の調整が効くのだろうとまさゆきは想像した。
異世界"ウィッカーランド"では古くより、辺境に住む魔族とほぼ大陸全土で繁栄する人間達とで争っている。魔族は人里を襲い、人はモンスターを討伐する、異世界特有の御都合主義的種族間情勢だ。
まさゆきはこの世界に魔王として転生した。そして転生の"目玉"は、人間たちを根絶やしにすることだとレムレースは言った。
「…魔族全員をスキル"全知全能"で人間に変えるっていうのはどうかな。人間と魔族とで争っているんだろ?なんなら人間を魔族に変えるとか」
「たわけ、日和るな」
ロクに必殺技も使えないが、このラウンドはまさゆきが取った。
「んあああ!お前さんが目指しているのは"全知"じゃぞ?そんな眠たいやり方では、いつまで経っても1を足すだけじゃ。無限へ到達せんがために無限の時間を費やすつもりか。
お前さんの中の悪魔性を呼び覚ますのじゃあ!」
「なっ、何だよ、悪魔性って…」
レムレースは悪魔性については答えず、まさゆきのアイディアについて言った。
「人間の定義とは何じゃ?そんなものは自意識と、他者の自意識が好き勝手に決めとるだけじゃろが。知的生命体の錯覚、病とでも言おうか。
お前さんはこの後に及んで自分を人間じゃと思っておるようじゃが、その人間をさっさと辞めてもらおう」
「…人間を、辞める?」
「根絶やしとは言ったが、お前さんが大勢の人間を殺すというのが主なコンセプトじゃから、絶滅まではさせんでも良いがな。努力目標というやつじゃ」
まさゆきの操作するプロレスラーに超必殺技を当てて、レムレースはラウンドを取り返した。
まさゆきは筐体のレバーを離す。ゲームを続ける気はすっかり萎えていた。
「…なんでそんな簡単に殺すとか言うの?
レムレースちゃんだって分かってるはずだろ。異世界の住民は、本当に生きている。ゲームじゃないんだ。
四天王だって馬鹿だけど、あいつらなりに真面目に生きてるの分かってるんでしょ。俺なんかよりもずっと、それが分かってる。
人間たちだって、地球の連中に比べれば文明とか劣ってるけど…同じものなんだろ?それなのに何でそんなこと言うんだよ」
「分かっているとも。
かけがえのない命、知性、奴らの生きた時間。そのひとりひとりが与え受けて来た愛、家族を奪われた憎しみ、言葉に起こらぬほど些細な感情、断末魔の苦しみ。
ワシがそれを知っておるというのは、本を眺めるようにではないぞ。"自分自身の感情として"も分かるということじゃ。
それは魔族でも人でも、お前さんでも等しくな。まだ赤子のお前さんと、お前さんの両親がオムツを換える時の気持ちの一回一回まで知っておる。つまりワシは…お前さん"以上に"お前さんのことを分かっておるのじゃ。はっきり言おう、今この宇宙で誰よりも、お前さん達を分かっておるのがこのワシじゃ。
そしてワシさえも、スキル"全知全能"の御前では…プラナリアにも等しいということも分かっておる」
まさゆきは食い下がる。いかに世界観がゲームじみていようとも、精神的日本人男性である彼にとって、人が人を殺すことなどあってはならないことだ。
「本当に殺すしかないっていうのか?なんかこう、和平条約を結ぶとかあるだろう」
「くどいのう。勘違いせんで欲しいのじゃが、戦争をしているからとか、人の善悪がために殺すのではないぞ。つまらん理由で矮小化するのも構わんが、どんな理由があろうと殺しは殺しじゃ。
むしろ人と魔族の戦争でさえ、お前さんが人間を殺すための舞台装置に過ぎんのじゃ。お前さんが日和るたび、それだけ部下が死ぬ。どうじゃ、さぞ殺しやすかろう?」
やはりレムレースは本気だ。しかしまさゆきには全く納得がいかなかった。
「じゃがまあ良い、これも経験じゃ。ワシのサポート抜きでやってみるのも良かろう」
瞬きの間で、まさゆきは森の中に居た。辺りを見回しても、レムレースはどこにも居ない。
「はっ?ここはどこだ?また転生したのか?」
「いいや。同じウィンドウリッカーズランドの、人間の領土に近い森じゃ。
この辺りの人間は、森に隠れ住むモンスターをレジャー感覚で狩る。いわゆるレベリングとか、ファーミングじゃの」
レムレースの姿は見えないが、その声だけがまさゆきには聞こえる。
森の奥から獣のような声が聞こえる。魔族の言葉も混じっているようだ。
まさゆきが行って見ると、ゴブリンの集落が冒険者達に襲われていた。
実際はゴブリンたちも武器を取って戦っていたが、あまりにも一方的な戦いであったため、まさゆきには"襲われている"ように見えた。
剣のような長物を持つ冒険者の、全く腰の入っていない一振りで、ゴブリンは輪切りにされる。魔法の玉で、アニメに出てくるチーズのように穴だらけになる。
彼らの表情は口元に笑みすら浮かべて楽しげで、スポーツ感覚のようであった。
「末端とは言え、一応お前さんの管轄じゃな?ああ〜どんどん殺されてしまうぞ。早く止めんとなあ?」
レムレースは傍観を決め込むつもりだ。彼女の立場は、人間や魔族といった生き物たちよりも、スキル"全知全能"の側に近い。
まさゆきは怒った。そこにいかなる理由があろうとも、彼にとっては動物虐待の現場にしか見えなかったからだ。
彼は怒鳴る。
「おい!止めろ、このガキども!」
ビキニアーマーを身につけ、ごちゃごちゃした変な形の武器を持った冒険者達、男、女、女、幼女。混乱し、逃げ惑うゴブリンの群れ。
冒険者達はまさゆきを見て叫んだ。
「■■■■■■■■!■■■■!■■■■■■」
「■■!■■■■!」
「…は?な、何?」
まさゆきには彼らの言葉が全く聞き取れなかったのだ。レムレースは教えた。
「ああ、お前さんの脳に入れてるのは魔族の言葉だけじゃからな。人間のものは分からんじゃろ。ダウンロードしていない、異世界の言葉じゃからの。当然奴らにも、お前さんの言葉は通じておらんぞ」
「■■■■■?」
「■■■■■■……■■■」
「止めろお!!ストップ!ウェイタモーメン!」
まさゆきは身振りで静止を促した。しかし冒険者達はまさゆきを警戒しつつも、ゴブリン退治の手を止めない。
「ほれほれ、人間相手にコミュニケーションが成立せんというのはどんな気分じゃ?奴ら、お前さんをゴブリンの親玉じゃと思っておるぞ。まあ、おおむね正解…いや、これも正解"以上"じゃな。なんせゴブリンリーダーどころか、ラスボスの魔王様じゃ」
まさゆきが歩み出ようとすると、火の玉のひとつが飛んできてまさゆきの肌を掠めた。牽制のつもりだろう。やはり彼らはゴブリン狩りの手を止めることはない。
「くそっ、こいつら退く気ないのかよ!」
「気持ち良く害獣狩りをして遊んでいたところに、とんだ大物が出て来た格好じゃからなあ。…相手にするかどうか決めあぐねておる。…お前がかばったゴブリンどもは、逆にやる気を出して来たぞ?…さあ、どうするどうする」
スナック菓子でも食べているのだろう、レムレースはサクサクと咀嚼音のASMRと供に解説した。
まさゆきの体は全身ピンクで羽とツノが生えたデーモンである。このデーモンが挙動不審のへっぴり腰でうろついて、冒険者のゴブリン狩りを邪魔している形だ。
やがて冒険者の男は意を決し、まさゆきに斬りかかる。
まさゆきがその剣を防ぐために組みつくと、冒険者の手甲がウェハースのように砕けた。デーモンに生まれ変わったまさゆきの視力は飛ぶ虫を見極める。初めてプレイする格闘ゲームでもそこそこ戦えるほどだ。さらにその腕力は、硬貨を指で折り曲げられるほど強かった。
まさゆきがとっさに手を離すと、男は逃げ惑うゴブリンの子供に狙いを変え、斬りかかった。
もう間に合わない。
そこでとっさに、まさゆきは冒険者の武器が壊れることを願った。
この瞬間、まさゆきの意志によりスキル"全知全能"が行使された。
冒険者の剣は迅速に折れた。
その御業のあまりの迅速さのために、剣の破片は空気分子と衝突し、膨大な熱エネルギーと衝撃波が発生する。
そして森の一帯が吹き飛び、余波は約半径五十キロに及ぶ。それは面積にして北海道一個分ほどで、二つの都市八十二の村と多数の森と生き物を含んでいた。
爆心地には巨大なキノコ雲が立ち上り、放射能が渦巻く焦土と化した。
「初めてにしては、上手い具合に抑えられたのう。大陸ごと消し飛ばずには済んだようじゃな」
クレーターの中心でレムレースは言った。それから彼女は立ち上る熱と湯気と煙を、肩についた埃を払うように除ける。
冒険者も、ゴブリンも、まさゆきもまとめて蒸発した。しかしまさゆきはデーモンの特性により、精神が死なない限り塵からでも再生できる。
むせて咳き込みながら、まさゆきは言った。
「…い、いったい、何が起こった」
「この異世界の物理法則も、お前さんが知っとるものとおおむね同じじゃ。
お前さんは光の速さに近い速度で冒険者の何とかソードをぶち折った。それで核融合が起きたわけじゃな」
まさゆきは、自分がスキルによって作り出した、まるで砂漠の様な光景を見渡した。空は真っ青で、雲ひとつない。
「これ何人くらい死んだんだ」
「ほほー、死者を数で語るのか。ひとりひとりのかけがえのない命を。まるでテレビじゃの。
調べによると死者119014人、重症者98814人、軽傷者1636139人。被害者の中に日本人は含まれていない模様です。不幸中の幸いで、魔族も多数死にました。では次のニュースです。レッサーパンダの赤ちゃんが生まれました」
「ふざけるな!!!」
「ふざけているのはお前さんじゃ。
お前さんが人間じゃと?笑わせるな。こんな核ミサイルみたいな真似を出来る人間がこの世のどこにおる。働く父親も飯を作ってる母親も、前途ある若者も可愛い娘もジジイもババアも妊婦も赤子もみんな吹っ飛んだぞ。
どんな気分じゃ?ええ?"元"日本人、杉村まさゆきよ」
レムレースの喋り方はいつもと変わらない。アイスを食べながら語る時と同じく、全く普段通りのものであった。
その言葉の内容に反して、責め立てるでもなく、茶化すでもなく、極めて平然としていた。
まさゆきは吐いた。内容物までは再生されていなかったため、胃液と空気しか出てこなかった。
新たに誕生した魔王まさゆきの力により、大陸南部の地方が壊滅した。爆心地は今後しばらく人の住める土地では無くなるだろう。
過去視の魔法によって"たかがゴブリン狩り"が魔王の逆鱗に触れ、このような事態を招いたことが人間達に知れ渡った。人間の国々は魔王の怒りを恐れ、冒険者達への討伐依頼は取り下げられるようになった。
逆に魔王の庇護下にあるモンスターは勢いを得て、村々へ侵攻している。六百年ぶりにどこそこの領土を取り返した。
こういった配下の報告を、まさゆきは上の空で聞いた。
自身の恐るべき所業にさえ興味を示さない魔王の立ち居振る舞いに、配下達は改めて崇敬の念を深めた。
魔王まさゆきの心境は、底なしの泥の中にあった。
彼の善良な精神にとって、無辜の人々を地獄に突き落としたという事実は、自身が地獄で責め苦を受ける方がまだマシに感じられた。
生きているだけで針のむしろに包まれている。食事も喉を通らず、無理に食えば吐く。酒を飲んでも酔いが回らない、眠りも取れない。
彼は、自分はもう二度と地球には帰れないと思った。
その目玉が落ち窪み、鮮やかなピンクの顔色が黒ずむと、まさゆきの魔王としての風格は一層増した。
一体どうすればこの罪を償えるのか。まさゆきは泣きながら、レムレースに被害者の蘇生を願った。後生だから、時間を巻き戻してくれと。
「無論出来るとも。じゃがそれはお前さんがスキルを使いこなし、自分でやることじゃな。
そして一刻も早くスキルを使いこなすためには、もっともっともっとより多くの人間を殺すことじゃ。
この世を地獄に変えろ。悪逆の全てを知り尽くせ。
さあさあ、落ち込んでいる暇はないぞ。がんばれ、がんばれ」
レムレースは手拍子しながら言った。
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